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グレーのままで抱え続けるということ

白と黒のあいだ、1と0のあいだで、簡単には決めつけられないもどかしさに耐えながら考え続けること、その場しのぎのインスタントではなく、じっくりと時間をかけて消化し、深化させていくこと。今、なによりないがしろにされていて、でも本当はいちばん大切なこと。

先日、深い話ができる大好きな友人と、そんなことを語り合った。
「若者たちが生きていく未来の世界を少しでもよいものにするためにできることはなんだろう」という話の中でのことだ。
こんな話を、笑い飛ばしもせず、肩をすくめて黙ってしまうのでもなく、真剣に語れる人がいるのはとてもしあわせなことだ。

実感として、現代の社会で多くの人が「すぐに答えが出ないことを考え続ける」ということができなくなってきている、というのは事実だと思う。
それは個人の能力の劣化というより、大人たちが、社会の成功者たちがずっとつくってきた「目先の成功を最優先する経済活動」のせいだろう。

「考えさせるもの」よりも「安易な答えを提示するもの」の方が売れるからと言って、できもしない断言を恥ずかしげもなく提示し続けた。
単純で、インスタントな、白か黒かの二元論で、物事を切り取り続けてしまった。
悔しいことに、そういう事実は間違いなく存在する。

本当は、ある面では世の中は少しずつだけどよくなっていると思う。
たぶん、その要因はインターネットだ。インターネットによって、これまでつながる手段をもたなかった人同士がつながるようになった。
メディアや、「人脈」とよばれるもののような、社会の権力構造に組み込まれた手段を介さなくても、社会の片隅の、小さきものと小さきものが、直接つながれるようになった。
権力者たちが隠したかった多様性は、隠しきれずにこぼれるようになってきた。

残念ながら、現代の日本で力をもっている人々は、そうやって人々が「気づきはじめた」ことを認めない。変わっていこうとする流れを、必死で押し戻そうとしている。
今、社会で力をもっているのは「旧来の社会」で成功した人たちだ。彼らはこれからの社会が変わってしまっては困るのだろう。
社会がよりよくなってしまったら、自分の成功が否定される気がするのかもしれない。
自分のプライドを守るために、社会を不公平なままに留めておこうとするのは、とても醜悪だと僕は思うけれど。

でも、「もはや白と黒の間の、グレーで居続けることに耐えられる人なんていない。そんなものは意味がない」と絶望してしまうつもりはない。
全力で邪魔をしている人がいるとはいえ、もう僕たちはつながってしまっている。
どこかでひっそりと息をしている「伝わる人たち」に届く可能性は、残されている。

だから僕たちにできることは、嘆いてばかりいないで、届くかもしれない人たちに届けるように、自分だけでも迎合せず忖度せず折れず、よいと思えるものを生み出し、応援し、伝え続けるしかないんだろうな、ということを、その友人と確認し合った。

考えてみれば僕は、こういうことを話せる仲間とすでにたくさん出会っている。
出会いのほとんどは、インターネット。
インターネットがなければ、僕はいつまでも、暗い部屋の隅で「誰もわかってくれない」といじけていたかもしれないのに。

今だからこそ、僕だからこそ、自分の手の届く範囲から、一歩ずつ。

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