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あたらしもの好き。

おとぎ話の王子でも
昔はとても食べられない アイスクリーム~♪

という童謡があって、幼い頃に聞いたそれをなぜだかすごく覚えている。

たぶん幼稚園児だった僕は、それを聴いて「真の豊かさとは何か」ということを考えた……ような気がする。
つまり、王子様は当時でいえば、相対的に非常に「豊か」であったはずだし、僕はといえば、決してお金持ちではない。
それなのに、僕は王子様でさえも食べられなかったアイスクリームを食べられる。ふだんからもしかしたら、王子様よりもおいしいものを食べているのかもしれない。
「相対的」な豊かさよりも「絶対的な」豊かさを感じられれば、「自分が王子様だったらなぁ」なんて憧れる必要はないのだ。

もちろん幼稚園児の時にそんなことまで考えたわけはないけれど、確かに僕は昔から、相対的な豊かさや勝ち負けに、ほとんど興味を持たない人間だったと思う。

さて、やっと本題に入るのだけど、21世紀に入った現在、技術の進歩はめざましい。僕が生まれたのは1980年代で、それから30年ちょっとで、「道具」の常識はひっくり返った。
僕は子供の頃からの予想通り(笑)、まったくお金持ちにはならなかったけど、最先端の技術を追いかけていると僕でも「20年前の大金持ちでもできなかったこと」ができる、という実体験が無数にあることを知った。

もう一つの原体験がある。確かあれは、僕が高校生の時だったと思う。
テレビのショッピング番組で、ジャパネットタカタの社長さんが売っていた「携帯用カーナビ」。
極度の方向音痴で、何度か通った友人の家に行くのにも迷子になるような僕にとって、カーナビは憧れだった。
「あれさえあれば、僕でもいったことないところにいける!」
新しいところに行くのはいつでも不安と隣り合わせで、そのせいで結局行くのをやめることも多かった僕にとってカーナビは救世主にも思えた。
でもそのとき、テレビで売っていた国語辞典ほどもある無骨な「携帯用カーナビ」の値段は、10万円。
高校生にはとても手の出ない値段だった。
だけどそのとき僕はなぜか確信していた。僕が大人になる頃には、携帯用カーナビはもっとずっと安くなって、誰もが持つようになる。
だから、僕は将来、恐れずに新しいところに行くことができる。よかった。

もちろんそれは、そのとおりになった。
今、僕の手元にあるスマートフォンには、当時とは比べものにならない制度のナビゲーションソフトが入っている。
住所または名称さえわかれば、いけないところなどほとんどない。
「行ったことないところにはなるべく行かないようにする」という僕の人生観さえ変えてしまった。

僕は、障害というほどではないけれど脳の特性に偏りがあるようで、苦手なことも結構多い。そして体もとても弱い。なので、こうした最新技術が諦めざるを得なかったかもしれない僕の可能性を広げてくれることに、言葉にならない感動を覚えたのだ。

そして今、つい最近も僕は、スマホを最新のPixel3aにして、AIで画像処理をするカメラの性能に興奮している。部屋には43インチの4Kモニターがあり、プライムビデオで映画を見たりできる。だいたい毎日Google Homeに話しかけているし、Google Playミュージックに契約していて、いつでもスマホで世界中の音楽を聴ける。まだコンテンツが少なめだけど、VRやARの技術にも期待している。

スマホ依存とかネットの害とか、最新技術に関しては批判的な言葉を目にすることも多い。もちろん、そういう面もあるのだろう。
だけど僕にとっては、まさしく実体験として味わった「技術は人を自由にする」という感覚が根底にある。

僕が「あたらしもの好き」な理由は、こんなところ。
これからもいろいろ、楽しみにしている。

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