山田杏奈は、なぜ「お手」と言わせて手を繋いだのか 【僕の心のヤバイやつ】
みなさん、犬から何かを横取りしてますか?
僕はしてません。
でも山田はしました。
そう、Karte.52「僕らは少し似ている」です。
飼い犬のわん太郎を連れ、市川と会った山田は、促して言わせた「お手」の号令に犬よりも速く反応。市川の掌に手を重ね、そのまま手繋ぎモードに突入しました。
わん太郎も、びっくりですよ。
ふたり合掌、備品倉庫のくわがた捕獲……山田のアクトは常にミラクルですが、奇抜さはこれが極めつけでしょう。「みつどもえ」千葉の秘技にも通じる、アクロバティックな手口です。
普通に握ればいいじゃん、山田なら市川もウェルカムじゃん、と思わなくもありません。でも山田はそうしないんです。「言うことを聞かない犬の代わりに飼い主として」という建前を用意します。まわりくどいワンクッションを入れるんです。
何故なんでしょうかね。
恋する少女の照れ隠し? 山田ゆえの奇行?
答えはコミックス2巻(Karte.16〜30)にあると、個人的には思っています。
市川京太郎という男
市川は、必然性の無いことはしない男を自認しています。山田に骨抜きにされること多々ゆえ、自認の真偽は不明ですが、理屈から入る男であるのは確かです。
また、自己評価が低いので、山田が自分にポジティブな気持ちがあるなど思いもしません。妄想ですら、思いません。
そう、市川は妄想たくましい男ですが、思い人の山田と付き合う妄想だけは、これまで一度もしていません。いわゆるツイヤバ(作者の桜井がTwitterで披露する公式二次創作マンガ。本編との整合性は緩め)で、山田と他の男がいちゃつくことは、普通に妄想しているのにです。
コミックス3巻の終盤あたりからは、山田との可能性を考えそうになる描写も出てきます。でも2巻では、そこまで至りません。好意は一方通行で、届き交わることはない。そう思い込んでいるのです。
三顧の礼も叶わず
一方の山田は、Karte.15「僕は抱きしめたい」で市川の優しさに気づき、彼に対する興味を強めています。そうでなければ、自転車の後ろに乗ったりしません(Karte.16)。少なくとも、もう少し仲良くなりたいくらいは思っていたでしょう。
となれば躊躇しないのが山田です。立て続けに距離を詰めに行きます。
Karte.17「僕は譲った」では、顔交換カメラアプリで一緒におもしろ写真を撮ろうと誘います。
Karte.19「僕は再び遭遇した」では、偶然マックで出会ったので階下に追いかけ、一緒にカウンターに並びつつ話しかけます。
Karte.28「僕は学校が楽しい」に至っては、校門で網を張り、一緒に教室に向かおうとします。
しかし、いずれの際にも、市川は芳しい対応をしません。
写真に関しては、女子の人間関係修復優先という事情があり(山田はそれに気付いていません)「いや…そういうの…いいんで…」と断ってしまいます。これはまあ事情が事情でしょうがないこと。市川も断腸の思いであることが描写されます。
けれどもマックでは、完全な自責点。お金を持たない山田に対し「買いに来たんじゃないの?」「トイレは上にしかないだろ」と無思慮に言い放ち、彼女をいたたまれなくさせます。山田が場を去った後、もしかして自分と話しに来たのではと思い至りますが、すぐに、有り得ないことと打ち消します。
校門でも、あとをついて歩く山田に「誰か待ってたんだろ?」と冷や水をぶっかける市川。いやいやいや、と突っ込みたくなりますが、この際の彼は、もしやと思い至ることもありません。
自己肯定感に乏しくて、山田の目的に気づけないわけです。自分目当てに行動するなんて思えない、ということです。
しかも、市川は理屈から入る男ときています。
必然、その行動はなんですか、意味がないですよね、といった風味の、しょっぱいリアクションになるわけです。
本来、チャンスが降って湧いているはずなのに、みすみす逃してしまう市川。痛恨の極みです。
それでも、痛恨の度合いは、山田の方が大きかったかもしれません。いや、実際、この3連敗は、山田史に残る衝撃的事件だったと思うんです。ツーショットを断られたときの、驚きに固まった表情が象徴的でした。
市川、唇噛み締めて涙浮かべてるんですね。初めて気付きました。細かい。
山田杏奈という女
撮られることが仕事の山田です。
文化祭(Karte.11)では、下級生からグループ撮影を求められる描写もありました。
その直後のスキットでも、市川に(山田の近くにある文化祭の出品物の)写真を撮っていいかと問われ、迷うことなく自分との撮影と理解し、セルフィーのツーショットを撮っています。
自分を求められることに、疑いの余地は無いというわけです。自意識過剰ではなく、それが当たり前だったからでしょう。愛される天分を持っていて、常に求められ乞われる存在だったのでしょう。
後に市川姉に「可愛いって言われない?」と感心されたときの反応も、その推測を裏打ちします。口の雑煮も構わずに「あいっ いはれもす!!」と返す山田の笑顔は、自然な自信に満ち溢れ、厭味なところがありません(Karte.55)。愛されてまっすぐ育ったのだなあと思えます。他者からの拒絶や留保と縁があるようにも見えません。
山田もさることながら、この市川も、てるてる坊主みがあってかわいい。
だから、ツーショットを断られるなんて、きっと全くの想定外です。
話しかけることや一緒に歩くことに意味を求められる経験も、なかったでしょう。
やはり、相当の衝撃だったんじゃないでしょうか。
山田の深い心情は、直接描写されないのではっきりとは分かりません。
しかし、その後のKarte.30「僕は溶かした」で(おそらく)市川を好きだと確信した彼女が、三度の失敗を踏まえ臆病になったとしても、それは自然なことでしょう。
近づきたいけどこれ以上の失敗は辛い、と。
市川は常に必然性を求めてくるから、抜かりのないように、と。
仮に拒絶されることがあっても痛くならないように、と。
そう考えると、3巻以降の山田の行動がしっくり来ます。
LINEを聞くにも、おもしろスタンプを送りたいから。
イブに会うにも、マンガを早く貸したいから。
初めて手を繋ぐにも、はぐれたくないから。
(後付けですが)ハグをしたのは、仲直りだから。
ステップごとに行動の必然性を用意し、守りを固めているわけです。
それでも、さすがにお手の横取りは「ない」気がしますが、全て山田を萎縮させた市川が悪いんです。健気な山田は無罪なんです。
「なぜ高スペックの山田が、対市川では自信なさげなのだろう」という疑問をたまに見かけますが、僕はこんなふうに解釈しています。冒頭の問いについても同様です。もちろん、単純に好きな気持ちが恥ずかしいという部分はあるんでしょうけれど。
そしてKarte.57
ある意味「市川はクールで超然としているから(でも、それもまたいい)……」と、山田が誤解した部分はあるんだと思います。
そう言ってしまうと身も蓋もないですかね。
でも、恋愛の始まりなんて、案外みんなそういうものなのかもしれません。
その山田の誤解が解けたであろう最新エピソードが、先日公開されました。Karte.57「僕は僕を知ってほしい」です。
市川が自分の弱さをさらけ出し、山田に感謝の言葉を発したあのシーン。市川は彼女の腰をほんのりと抱きしめました。理屈でなく、そうせずにいられなかったんでしょう。
あれで、山田の前にあった、必然性の壁が瓦解してもおかしくありません。自分の衝動を抑えなくていいんだ、と思いを新たにしたかもしれません。枷が無くなった山田は、果たしてどうなるんでしょうか。
一方で、あのシーンの山田の表情には、何か含みがあるようにも見えました。一筋縄でいかない予感もあります。ほんと、どうなるんでしょう。
感動的であると同時に謎も多いエピソードでした。僕的には。