気づいたら負けのデスゲーム 【僕ヤバ 好きなツイヤバ1】
単独でこのツイヤバだけ見ても意味が分かりませんよね。以下の先行作品に続き、エピローグ的に投稿された一枚です。
※ ツイヤバ:「僕の心のヤバイやつ」作者がTwitterで披露する公式二次創作マンガ。本編よりも若干、フリーダム。
セットで見ると分かります。
会話自体の意味がほとんど無かったことも。
先行ツイヤバ
山田「私は骨折したことないなー」「骨折するならどこがいいかなあ」「足とか腕はやだし…顔もやだな…」
市川「全部やだろ」
山田「どっか折らなきゃ友達が死ぬ設定とかで…」
市川「なんだその僕好みのデスゲームは…」
本件ツイヤバ
山田「あ 折る骨によって死ぬ人が違うとかさー」
市川「結局人死ぬのか…」
山田「だんだんそのルールに気づいてくの」
市川「気づいた頃には体ボロボロじゃないか…」
ほんと、会話の中身はナンセンスなんです。
ただ、そのナンセンスに意味があると言いますか。
ツイヤバでも本編でも、無意識だった二人が状況に気づいて自制ってオチ、定番じゃないですか。
「言った言葉の意図せぬ大胆さに気づき、二人、うつむき赤面」とか「近づき過ぎたことに気づき、はじけるように距離を取る」とか。
状況に気づいたが最後、素直にお喋りできないみたいなところあります。
このマンガの宿命ですね。
本件ツイヤバでも、握った手、しかもかなり不自然な形態、という状況を二人が意識したら終わりなわけです。
だから気づかないふりで無意味な方へ目を逸らしながら話し続ける、と。
意味ある会話で現実に戻らないように無意味な空想に耽っていく、と。
無意味を維持すれば「いつもの所」が二人を分かつまで、ずっとこの状況を続けていられるのです。
二人の無意味さにも力が入ります。
そうやってこのマンガの宿命に抗い続ける二人の姿が美しいなあ、とメタっぽい感想を抱くわけです。