永吉昴とPについてのSS

『夏空に高く』

「あのさプロデューサー。キャッチボール…、しない?」
 なんというか、彼女らしくなかった。

 永吉昴のアイドル活動をプロデュースする事になって数か月。レッスンの合間に劇場近くの公園で彼女とキャッチボールをするのが日課となっていた。無類の野球好き、おまけに底なしの体力。毎度ついていくのがやっとだが、担当アイドルとのコミュニケーションともなれば手を抜けるはずもない。潑剌とボールを寄越してくる彼女に原石を見たのは他でもない自分なのだから。ところが。
 「アイドル永吉昴はいつも元気いっぱい」…どこか当たり前のようにそう思っていたのだ。そんなイメージとは裏腹に、事務所に入ってきた時の彼女はドアの開け方からして別人のようだったし、どこか萎れたその表情はただならぬ事情を感じさせるに充分だった。
「いいよ。ちょうどひと段落ついたところだし、何よりいい天気だ」
「……っ!」
 いつもの永吉昴が、ほんの少しだけ戻ったように見えた。

 燦燦と照りつける太陽が、ようやく大人しくなってきた昼下がり。どこまでも広がる青空に、白球が行き交う。
「おっ、けっこう上手くなったんじゃない?プロデューサー」
「そりゃあこんなに暑くたってお構いなしにやってるからな。お陰様で上達したよ、永吉先生…って、あっ」
「おわぁ!?もぉ~どこ投げてんだよ~」
「ハハッ、すまんすまん」
 あさっての方向に飛んで行ったボールを追いかける昴の背中は、いつものそれだった。純粋に楽しいのだろう。でも、今日はきっとそれだけじゃなない。
「おーし、じゃあこっからワンバンで届けるぜ~見てろ!」
「あ、昴ちょっと待った」
「はぁ!?」
「あ…」
 イチローさながらのレーザービームを、おそらくはイメージしていたのだろう。ところがボールは途中で彼女の手を離れ、ボテボテのゴロになってしまった。
「あーあ…、やっぱりなかなか上手くいかないもんだなー」
「…そうだな」
「……」
「なぁ昴」だらだらと地べたを転がるボールを拾いに向かいながら続けた。「なんかあったか?」
「っ!…アハハ、わかる?」
「さっき“やっぱり”って言ったろ?」
「げ、昨日やってたドラマの探偵かよ。そんな事で分かっちゃうもんなのか〜」
「おいおい、そんな事とはなんだ。あそこのベンチでちょっと休憩しよう。そろそろ持って来たポカリが飲みたかったんだ」
 彼女は小さく頷いた。

 この公園には、緑地帯に沿ってベンチが等間隔に設置されている。親切なことに屋根までついているから、涼をとるにはもってこいの環境だ。だがベンチに腰掛けた途端に彼女は静かになってしまって、こちらに目も合わせず魔法瓶のコップの縁を人差し指でグルグルとなぞっていた。さて、どうしたものか。
「お茶でもなんでも、一人暮らしだといちいち作るの面倒でさ。ついついペットボトル買っちゃうんだよ。だから昴とこうやって公園に来ないと、粉のポカリなんて飲む事ないもんなぁ~。良いよな、これ」
「…」
「昴も言ってたけどさ、氷でガンガン冷やすもんだから頭がキーンってするんだよな。昴風に言えば、『すっげーキンキンしてて美味い!』って感じか?でもこれが夏って感じで__」「あ、あのさ!」
 コップをなぞる指が止まった。
「……学校でどうしたらいいか、困ってる事があるんだ」
 彼女の言うことには、今の学校は電話連絡網を作らないのだそうだ。しかし緊急時にはどうしてもクラスメイト全員に連絡する必要があるから、代わりになるものが必要になる。そこで利用されるのは、なんとスマートフォン向けのSNSアプリだという。そのアプリでクラスのグループを作って、即座に情報をシェアする。別段それ自体に問題があるようには思えないが…。
「で、昴はそれが嫌なのか?」
「いや、そうじゃないんだ。でも、クラスの一人がそれとは別にグループを作ったんだ。そいつとはよく話してたから、グループに招待された時もふつーに入ったんだぜ?でもさ、思ってたのとは違ったんだ…」
 すると彼女は再び黙ってしまった。なんとなく、察しはついた。技術は進歩しても、なかなか進歩しないものもまたあるのだ。しばらくして、彼女はコップを握りしめながらようやく口を開いた。
「…そのグループに呼んでない奴のことを、みんなで悪く言ってるんだ」
「……」
「たしかにその子、クラスの中でも浮いちゃっててさ。皆で行動しなきゃって時も、勝手にどっか行っちゃうこともあって…。でもさ、だからって寄ってたかって言わなきゃいけないのかな?オレだけおかしいのかな?オレ、いつも嫌なことははっきり嫌だって言うから、わかんないんだ」
「うん」
「なぁプロデューサー、教えてくれよ。オレ、そのグループにいたら一緒になって陰口言ってるみたいで嫌なんだ。…でも、それを皆に言えないんだ」
「その子たちとも仲良くしていたい、か」
「うん…。担任の先生は『みんなで何とかしなさい』ってなんだか無責任だからさ、兄ちゃんたちに相談してみたんだ。そしたら『陰キャだからしょうがない』とか『今度はお前が仲間外れにされるぞ』とか、そんなんばっかでさ。兄ちゃんたちがオレの事を思って言ってくれてるのはわかるんだ。あーでもインキャ?ってのはよくわかんないけど。とにかく!兄ちゃんたちに話してもモヤモヤしてしょうがないんだよ」
「なるほどな…」
 まるで決壊したダムのように言葉が溢れ出てきて、果たして彼女にどう応えてやるのが正解なのか、少々迷ってしまった。大人の立場から処世術を授けるのは容易い。だがそれではきっと彼女の気持ちは晴れないだろう。日陰にいるはずなのに、生温い汗が首筋を伝う感覚だけが強くなっていった…。昴くらいの頃、色んなことをああでもないこうでもないと、よく悩んでいたっけ。遠く忘れてしまっていたが、彼女にとってはまさしく「今」なのだ。何を隠そう、彼女はまだ中学生。なればこそ。
「そうだな…昴はどうしたいんだ?」
「えぇっ!?オレの話ちゃんと聞いてたのかよ?」
「聞いてたさ。でも、昴自身がどうしたいか決めないと、たぶん意味がないんだと思う。先生がどう言ったのかはわからないけど、たぶん皆なら自分たちだけで解決してくれると信じてるんじゃないかな。それに__」
「…それに?」
「昴を見てると、いつも思うよ。『こんな友達欲しかったなぁ』って、ほんとにいつもさ。だから自信持て」
 大きくクリッとした彼女の目が、さらに大きくなっていって、もうどうしようもなく行き場に困っているのが伝わってきた。「…ヘヘ、なんかあついな」
「ポカリ飲め、ポカリ」
「う、うん」
 すっかり氷が溶けてしまったポカリを一気に飲み干すと、昴は意を決したかのようにすっと立ち上がって遠くをまっすぐに見据えた。その精悍な眼差しは、ステージの幕が上がる前のそれにとてもよく似ていた。おかえり、ヒーロー。
「オレ、やるだけやってみる。じゃ、レッスンあるから先行くよ。サンキュな、プロデューサー!」
 そう言うと昴はものすごい勢いで劇場の方向へと駆けて行って、あっという間に小さくなった。これからレッスンなのだから、本当に底なしだ。やれやれ、グローブとボールは、今日のところは代わりに持って帰ってやるとしよう。

 それから2、3日が経って、これまた絵に描いたような夏日のことだった。不思議なもので、事務所の階段を登る音でもう誰だ来たのか分かってしまった。ほどなくして、やはりけたたましい音と共にドアが開かれ、答え合わせは完了した。
「ハァハァ…、プロデューサー!!」実に昴らしい表情が、そこにはあった。
 さて、キャッチボールの時間だ。  

「オレは、どっちにも『このままじゃ嫌だ』って言ったんだ。だって、どっちかだけに言うのは、なんか不公平だろ?だから一緒にドッチボールやったんだぜ、どうよ」
 先生の都合で体育の授業がたまたま自由時間になり、件のグループの子らが昴を誘ってドッチボールをすることになったのだそうだ。それで例の子はというと、こっそり何処かへ行こうとしていた所を昴が引っ張ってきてチームに入れたのだという。
「そりゃあ、はじめはどっちも嫌そうな顔してたよ。でもさ、グループの皆には『嫌なことあるなら直接言え』って言って、その子には『お前も勝手にどっか行くな』って言ったんだ。お互い何にも話さないままなのが良くないって思ったから」
「それでいきなりドッチボールなのか?」
「オレ、兄ちゃんたちとケンカした時、いつも仲直りする方法があってさ。今プロデューサーとやってるみたく、キャッチボールするんだよ。そうすると、どうしてケンカなんてしてたんだろーって、どうでも良くなっちゃうんだ。だからオレ、その子にも手加減とかなしで思いっきり投げたんだぜ?そしたらそしたら、向こうもテンション上がってきてさぁ!___」
 アプリのグループは無くなった訳ではないけれど、ドッチボールをして以来、その子の陰口はパタリと止んだらしい。だが、皆がその子のことをじっさいにどう思ったのかも、その子が今回のようにまたゲームに参加してくれるのかもわからない。それでも、昴は間違いなくきっかけを作った。
「なんだ。この前はあんなに難しい顔してたのに、実は方法を知ってたんじゃないか」
「…そんなことないよ」グローブの中のボールを見つめながら、昴は首を横に振った。
「学校の皆がオレたち兄妹みたいにはいかないだろ?…だからこんなことやって失敗したらどうしようって、ホントはずっとそう思ってた。でもあの時、プロデューサーが『自信持て』って言ってくれて、すっげー元気出たんだ。だから、その…ありがとな!」
 気恥ずかしさを紛らわすかのように放たれたド直球のストレートは、受け止めた掌に大きな重みを残した。そうとも。言葉でなくても、言葉でないから、伝わることもある。それは時に言葉を超える。昴は、それを知っている。
「よし昴、ちょっとフライ上げてみるからさ、キャッチしてみろ」
 ただし今度は出鱈目な方へ行かないように。ありったけの力を込めて、悠然と浮かぶ入道雲目掛けてずいぶんと高く放り投げた。
「おお!すっっげーーー!!」
 ボールがのぼってゆく…
 どこまでも高く、高く。
 駆ける、駆ける。心が、跳ねる。
 空から落ちてきた雲を手中に収めた瞬間、その姿はひるなかでありながらも昴宿の輝きを放っていた。
 そして、永吉昴は大きく振りかぶる。
「よーし、もう一球!」

おしまい⚾️

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