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ReBuilding Center JAPAN

行ってみたかった場所。リビセンを知ったのは自宅の離れを解体している時だった。大量の木材、畳、土などを捨てていた時だ。リビセンの活動をウェビナーで聞いて「素晴らしい」と思ってから、ずっと行ってみたかった。
大正時代の古い建物を解体する時に業者さんに聞いてみた。「木材はどう廃棄されるのか」「土はどう捨てるのか」木材はウッドチップになって燃料にするのだという、土はどうするか忘れてしまった。石は破砕したりして再利用するのだと聞いた。解体して捨てることに後ろめたい気持ちを持っていた私はそれを聞いてホッとした。アリバイ作りのような気持ちだったんだろう。再利用されるからとてそのためにエネルギーが使われることに変わりはない。心苦しかったので、瓦や木材、建具を少し取っておいている。

離れを解体して、廃棄される木材

リビセンは商店街の近くで周囲に材木屋やお店などがあり、まちの周りの建物と変わらない姿だった。作業の音が外に聞こえているが、違和感は全くなかった。だが、規模は想像していたものの2倍くらいある。

建具やガラスがあるコーナー

建物の中には所狭しと「レスキュー」してきたものたちが並ぶ。なんだか不思議な空気感があった。リサイクルセンターとの違いをあげるとしたらその空気感だろうか。それは店の人とお客さんの距離感が近いからなのか、またはモノの置かれ方なのかもしれない。

「ReBuild New Culture」というテーマが示すとおり、ただ解体して捨てられるものを拾って売ったり、それを使って改修をしているだけではなく、その奥にテーマや思想があるのだと思う。冊子に出ている、「工作的な時代」「世界を因数分解する」といった言葉にそれが表れているように感じる。

1階のカフェは整えられた場所だが、ただ単にキレイという感じではない、レスキューした材料を使うこと、思想が空間に出ているなと感じた。多分キレイにしようと思ったらできるのだと思う。していないのだ。インスタ映えするかと聞かれたらあまりという声の方が多そうに思う。でもそれがいい。

大量に置かれているものがどんどん売れるかというと、そうでもないんだろうな、と想像していた。多分ずっとそこに置かれたままのものもあるのだと思う。売れることだけが目的ではないのだと思う。捨てないことが大切なのではないだろうか。
人口減少の日本では、空き家問題しかり、これから解体される家屋や建物が多くでてくるのは自明である。自ら所有物建物の解体を経験して思うのは、解体される建物には解体することに後ろめたかったり、寂しい気持ちを抱える持ち主がいる場合がある。個人差はあるがその気持ちはなかなか忘れられないような感覚がある。捨てられるはずだったものに新たなストーリーが加わることで救われる気持ちがあるし、そうしたストーリーに共感する人が使うことで新たな人とものとのつながりができるのかもしれない。

モノが単なるモノなのか、背景のあるモノなのか。地球環境を破壊し続けている我々が単なるモノを作り続けられるような時代でない。背景のあるモノを生み出すことにこの活動の本質があるように思う。

と言っても、見に行っただけでは、リビセンの活動の一部を見ただけだろう。次はまとまった休みを作って、体験しに行きたい。
https://rebuildingcenter.jp/


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