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建築を仕事にしてから独立するまで

前の記事で建築の仕事に着くまでを書いた。
今回は建築の仕事を始めてから独立するまでについて残してみたい。
(誰が見たいんだというこては別にして)
東畑建築事務所で設計の仕事を始めてから幸いにして色々な用途の設計を担当した。色々なことをやってきたからこそ、一つのことを深く掘ることができていないと言えるし、広くやってきたからこそ色々な経験ができたと言えるのかもしれない。民間、公共建築の割合は、公共建築の現場を2件担当したこともあり、公共工事の方が少し多いかもしれないけれど、民間工事の設計についてもいくつか担当させてもらった。関わった用途は博物館、特別養護老人ホーム、劇場、工場、スタジアムなど様々である。
さらに、BIMを用いた設計に積極的にトライしてきたことは自分のキャリアの特徴だと思う。設計を始めた頃から興味があったので勝手に勉強して設計作業にBIMを使ってみていた。(慣れていなかったのでモタモタしていたけれど当時の上司は怒らずやらせてくれたのでとても感謝している)前職で社内のBIM利用を推進することにも携わって、環境整備や社内講習なども担当していたのでその経験は今も活きていて、大学非常勤講師の仕事などにつながっている。

建築の仕事を始めてそんなことを体験してきた私がなぜ独立することにしたのか。組織設計事務所で着実にキャリアを重ねていたと周囲からは見えると思う。キャラが独立するようなタイプでないことも自分ではなんとなくわかる。自分の気持ちを作った理由は色々と考えられるのだけど、「一回キリの人生だから色々やってみたい」と思ったというのが一番近い表現だと今は思う。
東畑建築事務所は素晴らしい設計事務所で若手にチャンスはあるし、他の組織のことを詳しく知るわけではないけれど、個々人に与えられる裁量も大きく、能力を発揮させてもらえる事務所だと思う。組織での仕事が嫌になったというよりも他のことへの興味が湧いてきたのである。ちなみにだが、新型コロナが拡大する前に気持ちを決めていたので、結果的に無関係ではないが、直接的には関係ないと思っている。
「色々やってみたい」という言葉の中には様々なことが含まれていて、地元の淡路島で暮らしたい、淡路島で子育てがしたい、組織でない場所で働きたい、自分の名前で仕事してみたい、規模の大きな仕事以外もやってみたい、建築設計以外のこともやってみたい、思い返すたびに別のことが出てくるかもしれない。
「色々やってみたい」という動機はとても危ういと我ながら思う。「色々やる」のはある意味ですぐできてしまう、やればいいだけの具体性のない目標である、より具体的な目標が自分には必要である。
独立するときの目標として、「今と未来の子どもたちが自慢できる地域を増やす」と言葉にした。これまたぼんやりしていて、しかし今の自分にはこれが限界のようだ。

より具体的な目標が生まれてきたときに本当に独立したと言えるのかもしれない。

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