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コミュニティナース

ナースと聞くと看護士が思い浮かぶかもしれないけれど、この本に書かれているコミュニティナースは看護士である人も多いけれど看護士とは少し違う活動についてかれている

かつてはこんなことが普通にあったのかもしれない
この本で語られているとても大切なことは地域における人の繋がりだと思う。
そんな人のつながりがかつてはあったのだろう。私が生まれた田舎でも小さい頃はもっと人のつながりがあったような気がするが、はっきりとわからない。社会の変化やなどの色々な要因でつながりが薄くなっているのは間違いないのかもしれないい。お金を出せばできることが増えているからそうなのだろうか、それだけが要因でないような気がしている。

なぜ人と繋がることが必要なのか

本をよむだけでは、「なぜ人とつながることが必要なのか」いまいちピンとこなかった。この本を読むきっかけとなったコテンラジオを聞き直したところ、面白すぎて2回聞き直してしまった。コテンラジオで語られていたことは後にまとめようと思うが、相互扶助が必要な社会に変化するのが必然である時代と言えるのではないだろうか、生活コストを負担しながら生きることの限界がきている、それは地方と都会に違いがないのかもしれないけれど、地方ではそれが顕著になるような気がする。

素晴らしさを感じるのはなぜか

生活コストを自分で負担するとはどういうことか、それはお金を払って大変なことを誰かに任せるということなのだと解釈している。この誰かに任せることはずっと可能なのか、賃金の交換をベースに誰かの困っていることを解決することが可能な社会は続けられるのか、うまく言えないのだけど、それは難しいと思っている。人口減少が原因かもしれないし、地球環境の維持困難が原因かもしれない、色々な原因があるような気がしている。
人とつながり助けあうこと、賃金の交換をベースとするのではなく(賃金の交換があることがダメなのではない)、人とのつながりをベースにするようなそんなことがじわじわと起これば子どもたちやその次の子どもたちに胸をはって次の社会を渡せるのではないか。

コテンラジオで語られていたこと

著者の矢田明子さんがコテンラジオのゲスト回があった。そこで語られていたことをまとめてみる。
※個人的な感想と解釈が入っています。
・コミュニティナースは相互扶助のスーパーバージョンである。
・コミュニティナーシングという活動を大切にしていて、「暮らしの身近な場所で嬉しい楽しい心身の健康を一緒に考える」をコンセプトに活動されている。
・現代は福祉と福祉以外などセグメントが分離される社会だが、「みんなのおうち」ではナチュラルにセグメント同士が交わっている。
なぜそれが出来るかというと、例えば公民館と違って取組みのミッションを明確にしているから。
・コミュニティナースは特殊スキルを持っている、テクニカルに参与ができる。5人で2000人をみることができる。関係構築の職人
なぜそれが出来るか、一例としてアクティブリスニング
喋っていることと思っていることは違う、本音を言語化できる人はいない。その人が考えていることを話しながら引き出すように会話するということだと思う。
・現代は生活コストがかかりすぎる、生活コストをかけることに限界が来るので、株式会社は生活コストを負担できないと人を雇用できなくなるのではないか。コミュニティナースは相互扶助の関係を作ることで生活コストを縮小できる。
・支援だけをされるのは誰でも嫌である。自分が何かを与えることができると、何かを受け取ることができる、相互扶助の関係を作り出すことで、誰もが与えて受け取れる関係を作ることができたとしたら、身体が悪くなってから病院に行くのではなく、調子が少し悪い時に相談する。子育てを親だけでするのではなく、助けられる人が助ける。病気を治すための治療費、人件費、子どもを預けるためのコスト


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