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田舎のおっちゃんになるよ

「ぼーっとしてたらすぐに田舎のおっちゃんになるよ」ということをある人から聞いた。当たり前のことだが田舎に住んでいるおじさんのことを非難しているわけではない。「田舎のおっちゃんになる」は悪いことなのか?良いことなのか?自分が考えられるマイナス要素を想像してみて、そうならないように意識することが大切なように思えてきた。

おっちゃんの視点

まず田舎は関係なく、おっちゃんと言われる年齢になるということ。具体的にそれが30代なのか、40代なのか、50代なのか、それは話す状況などにもよるのだろうけど、若くないという意味でのおっちゃん。
どんな年齢でもできないことはないと自分に言い聞かせている。「おっちゃん」のもつマイナスイメージで私がもつのは視野が狭くなること。新しいことをするとき、例えば旅行をするときの吸収力や感性はどうしても若さが勝る、若いときほど新しい地を訪れたときに感じることが多い、ということを聞いたことがある。本当にそうなのかわからないけれど、新しい体験だけでなくどんなことでも、視野が狭くなることはできるだけ避けたい。
そのために必要だと思うことはできるだけ大きな視点でものをみること、建築の設計をするときは空間的、時間的に大きな視点をできるだけもつようにしたい。長い時間軸でその建築がどう使われ、どうメンテされ、どう愛されていくのか、射程範囲を長くする。柔道を通じてこどもと接するときはその時その瞬間がこどもの将来にどう影響するかを考えていたい、自分の子どもと接するときもその時のことで怒ったり褒めたりするのではなく、子どもが抱いた一つ一つの要望や疑問がどんなことにつながりそうか、ゲームをするのがただよくないのではなく、ゲームをとことんやるということはどういう広がりがありそうか、そうした視点で考えていたい。
視野が狭くなることはまず避けたいなと思っている。それは一つの偏った視点で見ないようにするということかもしれない。

田舎にいる

田舎にいるということにどんなイメージをもつか、どんな人がどんな状況で言うかにもよると思うが、田舎に住む身として心がけたいことは、田舎だけに目を向けないこと。
個人的なイメージなのだが、田舎暮らしは単純に良いとよく聞く気がする。田舎で暮らしている人は少数派だからだろうか。どこまでが都会でどこまでが田舎なのかは定義しにくいので田舎と都会を対照的にみることをあまり好まないのだが、仮に田舎と都会があり、田舎ばかりを見ていると、いろいろなものが見えなくなってしまう気がする。それは田舎で触れるものだけで自分を成長させると偏ってしまうと感じるということなのかもしれない。
例えば、「田舎は自然が豊かでいい」と言うときに、自然が豊かでない土地との比較が含まれている。それは豊かでない場所があるからこそ豊かであることが感じられるということでもある。「田舎は虫が多い」というマイナスイメージでも、虫が少ない場所のイメージがあるから感じるということが言える。
ある部分だけに視点を置いてしまうと、その視点から見えるものや感じるものが本当なのかどうか、感じているものの本質がわからなくなるのかもしれない。

否定して肯定する

上に書いたことは結局、一つの視点でみてしまうことの危うさということになるだろうか。
一つの視点で見ることを避けるのはどうすればいいのか、自分の考えや思いを批判して肯定することを続けるしかないのかもしれない。ある考えが生まれると、それは偏った視点になっていないかと考える、それを続けていくしかないのかもしれない。終わりがないように思えてとてもしんどいことだが。
2項対立に限ったことではないが、良い部分があり悪い部分がある。当たり前のことだと言われそうだが、そのことを忘れないでいるそういう態度を続けたい。
田舎のおっちゃんにも良いところと悪いところがある。自分が良くないと思う部分はできるだけなくしていく、悪いかどうかを判断するのにも慎重でいる必要がある。



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