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ポストバブルの建築家展

兵庫県立美術館で開催。12/19に鑑賞
建築物のテーマごとにジャンル分け(生活+α、飲食/宿泊する、働く/福祉/教育、集まる/展示)がされていて、それはそれでみやすかった。
「かたちとは」という問いに対して建築家ごとの解答が添えられていて、それと作品を見比べながら見ることができるので、作品の奥にある思考のようなものが少し見える感じがして興味深かった。
キュレーターーの五十嵐氏の趣旨文章には「かたちとコミュニテイは対立するか?」「奇抜なオブジェを目指すわけでなく、コンテクストを読み、コミュニティに関与していくかたちが成立するはずだ」とある。
気になった作品は
蟻塚学「雪谷の家」積雪気候の条件にたいして屋根のかたちが決められ、それが住まいの規律をつくっているかのようだった、凛とした表情はまちに溶け込んでいるように想像した。
ICADA「TRIAXIS須磨海岸」厳しいコスト条件であっても、制約がそのまま緊張につながったようなミニマルな架構が仮設建築物らしくもあり、らしくもない表情をつくっているように感じた。(近くなのに見れてない)
手塚建築研究所「新島襄の森」外部環境と内部環境の境界の作り方によって、ここにしかない内部環境が生まれている、大きな空間をつくるためのフィーレンディール構造もここにしかない空間をかたちづくっているようだった。
百枝優「Farewell Platform」葬儀場というコンテクストに対して、構造と意匠が合致して象徴的で親密な空間が生まれているようだった、葬儀場をよく知る建築家であるからこそ、葬儀場において大切な空間のあり方にフォーカスできているのだろう。

ほとんどが模型のみというシンプルな展示であったが、「かたちとは」への解答に補完されて各作品にぐっと入っていく様な感覚だった。
ポストバブルというテーマは、バブル経済が崩壊したあとに、強い形態が嫌われたことを経て、ただ周囲環境と溶け込むだけでなく、建築としての自律性をもちながら周囲環境に溶け込み、地域コミュニティとつながるような建築のあり方に現代性があるということだと受け止めた。建築家の地位が下がったとかいうことではなく、建築家・建築に携わるものが考えていることをどう伝えるか。建築の伝え方が様々に考えられる現代において、建築で示し、言葉で説明し、展示で示し、SNSなどで発信する、様々な手段をもって伝えていくことが大切であろうことを再確認した。


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