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旅について

GWとその前後でここ数年では珍しく旅行した。どこに行っても混雑するGWは淡路島か妻の実家の丹波篠山で過ごすのが定番になっていて、この時期の丹波篠山は田植え時期で淡路島では畑仕事などをすることも多い。今年は行きたいところがあったので旅行してみた。

本題は旅について、GWの旅がどうであったかは置いておいて、旅について考えてみたい。


旅することのいいところ

旅すると何かいいことがあるだろうか、一番感じるのは普段の自分では入れられない感覚のスイッチが入るということ、初めて行く場所ではどこか感覚が過敏になるというか、色々な事を知覚する感覚になる。前に知人と話した時にはこの感覚は普段いない場所での危機感が理由なのではと話していたのだが、そうなのかもしれない。普段とは違う場所、例えば丹波篠山を訪れる時などもどこかそんな感じがあるのかもしれない。そういう意味では2拠点居住などで、1つのところに定住しない生き方もそうした効果があるのかもしれない。

旅をしないといけないか

正直言って生きていく上では不要だと思う。極端にいうと「暇つぶし」なのではないか。時間があると「何かしないと、どこか行かないと」と考えるのは、ある意味で何かにとりつかれているのかもしれない。ただ行ったことない場所にいくのが好きであるから行くということと、建築設計という場所を作る仕事にある私は色々な場所に行きたいという衝動があるのだろう。インターネット(SNS)がない時代であれば旅に行きたいと思う気持ちは小さくなるのかもしれない。それくらい現代人にとってSNSで発信できるかどうかは行動の決定要因になっているとも思う。

旅と建築

旅に関わる建築はたくさんある。その地域を訪れた人が目にするのだから、広く捉えると全ての建築が旅に関わるとも言える。直接的に関わる建築はホテル、交通ターミナル(駅など)、観光地などだろうか。私は前職で観光案内所兼博物館を担当したことがあるが、旅する人をどう受け入れるか、楽しんでもらうかということを考えながら設計していた。街の魅力を建築で表現することも強く意識した。やはり建築にはそうした魅力があるだろう。
旅する者としては「建築屋」としての感覚をゼロにしたいといつも思っている。旅で訪れる時に建築屋の感覚を持ってしまうと初めから建築屋目線で建物やまちを見てしまう。そうではなく、出来るだけ旅行者の感覚でまちを見ることで、そのまちをとことん味わうことが出来るように思う。(実際にそうすることはなかなか難しいけれど)旅行者の感覚でまちを味わってから、建築屋目線でまちを分析する、そんな風にスイッチを切り替えられたらいいのだろう。一つ一つの建物を見に行く時にも同じことが言えるのだろう。

旅と地方

旅で地方を訪れることは多いと思う。地方に住む者として訪れた先が自分のまちとどう違うのか、など考えてしまうのも常である。商店街を訪れると、自分がいるところとはどう違うかなとか、そのまちならではの取り組みを見るとフムフムなどと思いながらちらしやフライヤーをもらって帰る。一つ一つの地域に当然だけれど違いがあり、味わいがある。滞在期間が長いほどそれを味わうことが出来るのだろう。限られた時間でそれを味わうのも旅の楽しみなのかもしれない。また行きたいと思えるようなまちってなんなのだろう。

旅と淡路島

GWはとてつもなかったのだが、淡路島は観光地として昔から、そして最近は特に注目されている。大型連休はもちろん、普段の休日も特に暖かい季節は多くの人が訪れる。旅する人を受け入れる地域に住んでいると、混雑が鬱陶しいなとか休日はいつも店が混むなとか考えてしまう人も多いだろう。オーバーツーリズムとまでいかないのだけれど、旅で来る人と地元の人が一緒にいかにハッピーに過ごすかというのは観光地では課題になるのだろう。もちろんその感覚は立場によって違う。商売などをしていると多くの人が訪れることは大歓迎である、もちろん建築屋の私も注目されることは大歓迎である。
訪れる人が増えることで困る人をなくすことは出来ないと思うので、そんな個々人の事情も含めてアンハッピーになる人を増やすことが必要なのかもしれない、旅に来てもらって楽しんでもらうことで、地元の人も楽しくなる、そんなことがたくさん起こっていくといい。


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