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自邸建築までの道 3.工務店探しから自邸建築まで

仕様書を作成し、工務店探しが始まった。

建築家住宅の施工を専門にしているところや、近隣でこだわりのある工務店など約10社ほど連絡をした。返信がないところもあれば、メールで断わられるところもあったが、5社ほどは会って話をした。予算的に折り合わず、そもそもどうやって作るかと話が進まないところもあった。そのうち見積りがもらえたのが3、4社程度。どこも予算とはかけ離れていた。一番安くても1000万オーバー。

途方に暮れた。

自邸建築という夢を諦めて、土地を売ることも真剣に考えた。

年が空けて2020年冬。

気を取り直して引き続き工務店に声をかけたが、予算とは程遠く、工務店に依頼するのは難しいと判断した。

分離発注も考えたが、住宅ローンを組むためには、請負契約が必須だった。

しょうがない、最後の手段で自分が勤めている会社に頼み請負契約をすることにした。

すでに2020年秋になっていた。

材料は付き合いのある千葉の業者に頼むとして、職人は湘南界隈で一から探すことにした。施工の難易度から屋根業者などは難航したが、複雑な形状を得意とする静岡の業者に依頼した。なんとか施工の目処が立ち安堵するも、今度は申請準備を進めつつ、構造設計者とプレカット業者を探した。

構造設計は複雑な建物形状からか、敬遠されたり、金額と納期が掛かると言われるなどなかなかいい返事がもらえなかった。遠方だが九州の構造設計者が複雑な建物形状を得意としていて、依頼することが出来た。

プレカット業者も5社ほど声を掛けたが、複雑な建物形状から見積り金額が通常の1.5倍程度し、納期も掛かる、そもそも工場で製作出来る機械がない、現場で大工に手刻みで納めてもらうしかないなど、芳しくない意見が多かった。

これまた1社だけ得意だと言うところがあった。ドイツ製の機械を導入していて複雑な加工が出来るとのこと。工場まで出向き、機械を実際に見学させてもらった。またプレカットの加工図担当と直接打合せをし、細かい納まりを擦り合わせることも出来た。(とは言えこの擦り合わせには時間がかかり、加工の承認期限ギリギリまで行われた)
こうして、各工種ごとに根気強く施工者や職人を探していった。

確認申請では崖の安全性の証明と天空率計算など、通常の確認申請より時間と手間が掛かってしまったがなんとか申請も降りたのが2020年12月。

これら全ての作業を平日仕事が終わった後と週末を費やして行った。

なんとか実現するために、とにかく必死だった。

年末年始も休みなく実施設計図面をひたすら進めていった。

請負契約を済ませ、無事に着工出来たのが、2021年1月。

地鎮祭の様子。竹と縄も自分たちでセッティングした。

それから引渡しまでは監理者でありながら現場監督としてほぼ毎日のように足を運んだ。

現場は山の根にあり、道も狭く急坂もあり、4t車が入れないため工事がしづらかった。上棟のレッカーは一番小さなもので何とか入ることができたが、構造材は途中で4t車から2t車に積み替えて行ったため、思うように進まず2日かかった。

無事に上棟、屋根垂木が美しい。

斜めの部分が多いため、大工の手間がとにかく掛かった。常時2、3人は大工がいる状態であったにも関わらず、工事終盤まで大工が上がれないほどであった。

また冬なのに大雨が多く、何度も養生をしては剥がしを繰り返したのも手間が掛かった。

ブルーシート養生で建物を丁寧にラッピング

初めましての業者や職人とやって行くことも難しかったが、大工と話し合いながら進めて行くのは楽しかったし、まるでリノベーションをしてるかのようなライブ感で工事を進めている感覚があった。

実際余った下地材を棚材に転用したり、カウンター材の端材を手すりに転用したりと現場にほぼ常駐していたからこそ生まれたアイディアもあった。

余った下地材を壁面収納にするアイディアスケッチ


下地材を縦横交互に一本ずつ取り付ける骨の折れる作業
一枚のスケッチから出来上がった壁面収納がこちら(もちろん詳細な図面は作成した)

しかしそういう風に工事を進めていたからこそ時間がかかったのは否めないが。

造作工事も多かったため、仕上工事が始まっても大工が居続ける状況が続き、現場は戦場と化していった。

工事は当初5月下旬引渡し予定だったが、そんなこんなで大幅に延長した。最後は無理矢理終わらせた感もあった。引越の当日まで工事していたのだ。

引越当日の朝。見切れる大工さん。とても素敵な方で根気強く最後までいい仕事をしてくれた。

そんな芸当は自分が施主であるからこそ出来たことだろう。

ここまで設計、監理、現場管理に集中してきたため、施主としてやるべきことが疎かになっていた。引越日は迫って来るものの、引越準備はまったく出来ていなかった。それこそ引越当日も荷造りをしていた。それどころか当日は半ば諦めて最低限必要なものを運び、それ以外は後日移動した。

というわけで何とか引越はできたが、終わった時にはもはや抜け殻であった。

体重も5キロほど痩せていて、心身ともに疲れ果てていたが、それなりに達成感はあった。

正直、施主として家づくりを楽しめる余裕は1ミリもなかった。

しかしそれ以上に、一つの建築を作るために注いだエネルギーはとても濃いものであった。

それが自分の使命であったのかもしれない。

そしてこれからもより一層一つひとつの建築にエネルギーを注いでいきたいという思いを強くした。

その後翌年には建築設計事務所として独立することになるが、その思いが確かになった貴重な機会であったのは言うまでもない。

自邸建築への道 三部作はこれにて終わりとなります。
今回取り上げた物件は弊社HPにて設計事例として掲載していますので、ご覧ください。

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