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2024年6月30日の日記

今日は昼間はお仕事。試写に行って、それから空き時間で文字起こし。夜は、日比谷でミュージカルを1本観た。

ミュージカルだからなのか、海外戯曲だからなのか、登場人物の心の動きが大味で、さんざん悩んでいたことがラスト1曲歌ったら全部解決してた。今までそれで揉めまくっていたのはなんなんや…。

一緒に観劇した友人とそのままごはんに。お互いフリーランスなのでギャラ未払いの話で盛り上がる。僕も何度か未払いは発生しているけど、ちゃんと催促したら振り込んでくれたので、そういう意味ではわりといいクライアントに恵まれているんだろうとは思う。あと、単純に僕が細かく入金を確認していないので、ぶっちゃけ取りこぼしている案件とかはありそう。

ただ、僕が10何年もフリーランスを健康的に続けられている理由のひとつが「お金のことでいちいちストレスをためない」なので、それはそれでいいと思っている。『ドラクエ11』と同じ。火力であらゆることを殴り倒していくタイプ。そういう意味では、さっき観たミュージカルより僕のほうがよっぽど大味。

友人とはもう10年以上、なんだかんだ一緒に仕事をしているけど、いい意味で楽。ざっくばらんな関係性とは逆で、お互い適度な気の遣い合いを忘れないところが性格的に似ている気がする。大人になってからの友人は僕のことをほとんど「横川さん」とさん付けで呼ぶし、僕も全員のことをさん付けで呼ぶ。他人行儀な気もするけど、普通に考えて他人だし、距離感を見誤らないという意味ではこれくらいの関係性がほどほどでいい気がする。

それで思い出したけど、僕は昔から少女漫画とかドラマで女性同士が苗字で呼び合う関係性が好きだ。たぶんその傾向に最初に気づいたのは深津絵里の『きらきらひかる』。タイトルにまで入っているのに、主人公の天野ひかるのことを誰も「ひかる」と呼ばず「天野」と呼んでいるのが、自立した関係性な感じがしてカッコよかった。

最近だと『アンナチュラル』も石原さとみが市川実日子のことを「東海林」と呼んでいて、それが好きだった(逆に市川実日子は石原さとみのことを「ミコト」と下の名前で呼んでいた。別にそれはそれでいいけど)。

老後のことを考えても、セーフティーネットとして友人付き合いは大事にしたい。でも、なるべく人に依存しないように。

自分のことをねちっこくて神経質な人間だと思っていたけど、これらのことを踏まえると、意外とさっぱりした大味な人間なのかもしれない。いや、そんなことはないか。自分の性格なんて41年付き合ってもわからないことばかりである。

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