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2024年6月15日の日記

土曜日といいつつ、夕方からがっつり取材。なので、午前中はオフモードを味わおうと決め、朝ごはんに小松菜としめじと鶏肉のオイスターソース炒めをつくり、サラダと合わせてひとまず栄養補給。湯船に湯を張り、タブレットを持ち込んで、『アンメット』の最新話を観る。杉咲花と若葉竜也のラストの芝居はもちろんすごいんだけど、個人的には酒向芳が鮮烈すぎて目が離せない。あの食べ方がたまらない。人が不快になるスイッチを端から端まで全部押していくような演技。画面から口臭まで漂ってくるようで、鳥肌が立つ。

当然長いキャリアのある方ではあるけど、メジャーになったのは『検察側の罪人』あたりからだろうか。岡部たかしなんかもそうだけど、これだけ実力がある俳優が、なかなか日の目を浴びることがなかったことを考えると、テレビに出ている俳優なんて本当に氷山の一角でしかないよなと思う。もっと面白い俳優は、ゴロゴロいる。どうかキャスティング権を握るエラい人たちは、日がな劇場に通って才能を見つけてきてほしい。それだけで、日本のエンタメはもっと刺激的になるはず。

昼からもう1本ドラマを観て、文字起こしを1本だけ片づける。あとは、出かけ支度を整えつつ、だらっと過ごし、日の暮れる頃に出発。スタジオに着くと、30人以上はいるだろう関係者で廊下まで溢れ返っていた。

こういう華やかな現場に行くと、いつも僕は『NANA』を思い出す。歌手を目指して東京に出てきたナナは、地元の仲間と組んだブラックストーンズというバンドでメジャーデビューのチャンスをつかむ。そこから怒涛のプロモーション活動に駆り出されるのだけど、その中で音楽誌のライターから取材を受けている場面が描写されており、ああ、自分は今、このライターの役割をやっているんだなと、ふと自分のいる状況を俯瞰するような感覚になるのだ。

『NANA』をリアルタイムで読んでいたころ、ライターになりたいと思っていた記憶はない。だから思い出したところで、あのときの夢が叶った、みたいな熱い感慨は特になく。どちらかと言うと、遠いものに感じていた社会の風景を構成する要素のひとつを、自分が真面目な顔をしてこなしていることに対して、奇妙な面白さを覚える。取材を受けている人たちのサクセスストーリーを演出する駒のひとつとして、舞台上に上がっている感じといったらいいだろうか。自分であって、自分ではないような。社会に出るということは、なにかしらの役割を演じるということで、それを今ちゃんと僕はやっているんだなあと、頼もしさとおかしさがないまぜになった気分になる。

取材自体は、つつがなく終了。業界特有の華やかさに気圧されて、つくづく自分は地味な人間だなと思いながら帰宅した。もう22:00を回っていたので、夕食は手抜きラーメンですませる。最近、ラーメンの野菜は麺と一緒に茹でるのではなく、別にフライパンで炒めたのち、最後に盛り合わせる方針に変えた。そのほうがおいしいみたいな繊細な味覚は特にない。ひと手間かけることで、手を抜いたことへの罪悪感が薄められている気がするだけ。

腹を満たしたら眠くなってしまって、そのままソファで寝落ち。起きたら、2:00だった。完全に眠気まで満たされてしまい、ベッドに移ってもちっとも眠れず仕方なくジムへ。6:00くらいまでトレーニングをし、家に帰って、米が炊き上がるまでの間、ドラマでも観ていようと思ったら、また寝落ちしてしまい、今に至る。つくづく思うけど、僕は睡眠への態度が雑すぎる。

本当にこれでいいのかと思いつつ、特に改める気はない。

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