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『ひだまりが聴こえる』は、心に傷を負った人たちのための物語だ。

空から降ってきた女の子と恋におちた少年は、天空の城を目指す冒険の旅に出た。傾斜から転がり落ちてきた男の子と出会った少年は、これからどんな道を歩んでいくのだろうか。

『ひだまりが聴こえる』は難聴の大学生・杉原航平(中沢元紀)と同級生 · 佐川太一(小林虎之介)による恋の物語だ。BLドラマは今どきもう珍しくもなんともない。むしろ1クールに何本ものBLドラマが「量産」状態にある。

その中で久しぶりに心に沁みいる作品と出会えた感覚があった。途中から息を止めるようにして航平と太一のことを見守っていた。

どうしてこんなにも二人に感情移入してしまったのか。それは、この作品が心に傷を負った人の再生の物語だからだ。

僕が自分を投影していたのは、航平のほう。病気によって難聴になった航平は、そこから少しずつ人との距離をとるようになった。相手の話していることをうまく聞き取れない。聞き返しても面倒くさがられるだけ。自分はもう「普通」の側ではない。かといって、聾者や中途失聴者のように完全に聞こえないわけでもない。どっちつかずの、ひとりぼっち。この痛みをわかってくれる人なんていない。自ら人を遠ざけた航平が選んだ場所が、誰も来ない校舎の屋根の上だった。

航平にとっては、自らの心を守るシェルター。だけど、そこに予期せず現れた人がいた。それが、太一。まっすぐな性格で、他人に対して壁のない太一は、航平のガードをあっさり突破していく。感情を表に出すことをやめてしまった航平にとって、おいしいも楽しいも怒りも失敗もすべて顔に出す太一は、なにもかもが新鮮だった。

人のお弁当を遠慮なくたいらげる顔。

耳が聴こえづらい自分に対して、臆せず、特別扱いもせず、話しかけてくる曇りのない明るさ。

よく通る大きな声。

ノートテイク1回につき、お弁当1個。そんな約束で、二人の距離は近づいていく。ドヤ顔の太一だけど、ノートテイクのスキルはからっきしで、字も汚いし、押さえるべき要点もめちゃくちゃ。もっとふさわしいノートテイカーはたぶんいっぱいいる。

だけど、みんなが笑った教授のジョークについていけず疎外感を抱いていた航平に、太一は先生のギャグを書きとめて教えてくれた。テストには絶対出てこない。だけど、役に立つかどうかじゃなくて、自分がその場にいて楽しいと感じたことを、面白いと思ったことを、とっておきのお土産話みたいに共有してくれる。ずっと話すことを面倒くさがられていた航平にとって、何気ない笑いの輪からいつもはみ出されていた航平にとって、それはどんな年号や公式よりうれしかった。

「お前だって話しやすいじゃん」

太一は、なんでもないことのように言う。難聴になってから、そんなことを言われたことはきっと一度もなかった。ぞんざいに扱われたり、逆に過剰に親身になられたり。他の誰かとなにも変わらないごく「普通」の人として接してくれたのは、太一が初めてだった。

太一は、航平と一緒にいると、おいしいお弁当がいっぱい食べられて、お腹が満たされる。航平は、太一と一緒にいると、ずっと空っぽになっていた場所に優しい空気が流れ込んできて、心が満たされる。誰もこない校舎の屋根の上は、いつしか二人だけのひだまりの場所となった。


たぶん航平は誰かにわかってもらいたかったんだと思う、自分の抱えている苦しみを。だけど、誰にもわかってもらえないから、わかってもらえるはずがないと思い込んでいたから、胸の奥の牢に本音を閉じ込めて南京錠をおろした。でも、そんな自分に太一はまっすぐぶつかってくれた。

「聴こえないときはそう言えよ。何回でも聞き返せよ。なんでお前のほうが遠慮してんだよ。聴こえないのはお前のせいじゃないだろ」

わかってもらえないのは、自分のせいだと思っていた。伝わらないのは、自分の耳のせいだと思っていた。でも、そうじゃない。そうじゃないんだと太一は言う。その言葉が、どれだけうれしかっただろう。

あのとき、航平がどんな顔をして泣いていたかはわからない。でも、きっと今こうして泣いている僕と似ている顔をしていたんだろうな、と思う。

生きていれば、わかってもらえないことがたくさんある。自分がなにに苦しんでいるのか。どうしてこんなに息がしづらいのか。ただふれるだけで火花の散るような痛みが走るこの傷口の理由を。どんなに言葉を尽くしても、わかってもらえなくて、わかってもらえない気がして、いつしか言葉を尽くすこともあきらめる。ひとりになることで、自分を守っているような錯覚をする。そんなことが、誰にでもきっとある。

誰にもわかってもらえない苦しみを抱えてシャッターを下ろす航平が、まるで自分みたいだった。だから、なんのお構いもなしにシャッターをこじ開けようとする太一が、力任せに南京錠を引きちぎる太一が、眩しくてたまらなかった。きっとみんな太一みたいな人に出会いたくて、でもなかなか出会えなくて。だからこそ、航平と太一が出会えたことが、自分のことみたいにうれしい。

『ひだまりが聴こえる』は、航平と同じように、心に傷を負った人たちのための物語だ。ただこれ以上傷が増えないように、笑うことも忘れて、息をひそめて生きているすべての人たちが、もう一度世界を抱きしめるための物語だ。手を伸ばせば、棘が刺さることもあるだろう。化膿した傷が痛みに疼くこともあるかもしれない。それでも、手を伸ばさなければふれることのできないぬくもりがある。そんなぬくもりをこれから見せてくれるんだと思う。

もしこれを読んでいる人のなかに、癒えない傷を抱いたまま、光の入らない牢に自分を閉じ込めている人がいたら、ぜひ『ひだまりが聴こえる』を観てほしい。慌ただしい毎日に深呼吸の仕方を忘れて、息が浅くなっている人こそ『ひだまりが聴こえる』を観てほしい。きっとほんの少しだけ生きるのが楽になっているはず。もう一度、誰かを信じたいと思えるはず。

いわゆるキュンとはまた違う。心が洗われるような、硬く張りつめていた体の筋肉がほぐされていくような、穏やかな時間。この夏、『ひだまりが聴こえる』が僕のパワースポットになりそうだ。


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