My Best Film

1999年7月23日公開。掌編。これもなんかに応募した。


 学生の頃、僕の町で、70mmパノラマ用スクリーンを備えた最後の映面館が閉館した。
 とうとう閉館するというその日だったのかどうか、記憶は定かではないけれども、僕は客の姿もまばらな、広い客席に座っていた。
 大きく湾曲した巨大な横長のスクリーンに抱きかかえられるようにして、僕は前から四列目あたりの真中に座っていた。パノラマ映画を見るのには、決し適した席ではなかったかもしれない。案の定、映面の途中で、目も首も少し疲れてしまった。けど僕は、映像に視界を埋め尽くされながら、そのフィルムを見たかったのだ。そしてそれが、大きなスクリーンを誇りとした映面館の最後を見送るための礼儀だと思ったのだ。
 上映されていたのは、リバイバルの「2001年宇宙の旅」だ。僕は一度テレビで見た記憶があった。そのときは、評判の割に退屈したことしか覚えていない。
 しかし、荘厳な「ツァラトゥストラかく語りき」が流れるやいなや、僕の目に突然、涙があふれた。スクリーン上の宇宙の美しさ、太陽のまぶしさ、そのすべてが、僕の心を滝のように打ちのめし、僕の心の煤けた何かを洗い流した。
 ここへ来るまで、ここへ来てからも、開幕のベルが鳴ってからでさえ、僕ほほんとうなら隣にいるはずの彼女の事を考えていたのだ。
 彼女も映画が好きだった。僕以上だったかもしれない。僕はよくあきれたものだったが、ゴダールやフェリーニから五社英雄まで、彼女は話して倦むことを知らなかった。そして二人でたくさんの映画を観た。「哀愁」「スターウォーズジェダイの複讐」「地獄の黙示録』「グレンミラー物語」「道」「愛と青春の旅立ち」「メトロポリス」「乱」「蜘蛛女のキス」「地獄に堕ちた勇者ども」「モダンタイムス」エトセトラ、エトセトラ・・・・。ロードショーからリバイバル、大劇場から小さな自主上映会まで、しまいにはデートなのか映画観賞会なのか目的がわからなくなってしまうほどだった。
 もちろん映画抜きのデートもしながら、そんな関係が何年か続いた。
 僕は彼女を愛していたのだ、たぶん。
 浜辺に築いた砂の城が満ち潮に崩されていくように、僕たちの間のなにかがゆっくりと冷めていったように思う。たとえば、二人で「ストリート・オブ・ファイア」を観ながら、僕はウォルター・ヒルの演出のスピード感とマイケル・パレの侠気に感激し、彼女はダイアン・レインの美しさと自尊心に思いをはせていた。あるいは、「ファンタジア」のリバイバルを観ながら、彼女はアニメを見、僕は音楽を聴いていた。
 そういうものかもしれない。
 目の前をディスカバリー号がゆっくりと横切って行く。僕は、キューブリックに圧倒されながら、座席に身を埋めていた。涙はすでに乾いている。僕は映像と共に生き、フィルムの中で呼吸していた。
 それは、感動ではない。没入でもない。
 僕は、ボウマン船長そのままに、HALの反逆を阻止し、モノリスに導かれ、スターゲイトをくぐって、再生しようとしていた。
 数日前、喫茶店で、この映面のチケットを差し出す僕に、彼女は言った。
「残念だけど。もう一緒に映画は観られないわ」
 その意味するところは明らかだった。僕はだまったまま、一枚を手にとって細かく破った。彼女は傷ついたような目でそれを見ていたが、僕にはそれが精一杯の反論だった。
「さよなら」
 彼女はそう言い残して席を立った。
 そして僕は、今、この町で最後の70mmパノラマ映画を見終わろうとしていた。
 再生したスターチャイルドが、胎児の姿で地球を見守っていた。僕は、再び涙がほほを伝うのを感じていた。僕は、一匹のサルが投げ上げた骨が宇宙船に変化したように、この映画の中で変化していた。ボウマン船長が死から甦ったように、この映画の中で甦っていた。
「美しき青きドナウ」の旋律に身をゆだねながら、僕は心からいやされるのを感じていた。
「2001年宇宙の旅」が、傑作かどうか僕は知らない。SFXがどれほど優れていようと僕には関係ない。
 しかしまぎれもなく、この映画は、僕にとってベスト・ワンであり、これからもあり続けるだろう。
 つい先日、彼女から子どもが生まれたという知らせが届いた。ちらりと、出産祝にこの作品のビデオを贈ろうかという思いがよぎったが、僕は決して贈りはしないだろう。

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