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『法善厳一郎 拾うは生者の反響』   第六話 反響

 地下シェルターは建築当時の面影を色濃く残していた。劣化した天井から吊り下がる白熱電球。染み出した水により所々変色した打ちっぱなしのコンクリート壁。郷田はスマートフォンのライトだけを頼りに、一歩踏み外したら一気に下まで転げ落ちてしまいそうな急勾配の階段を慎重に降りて行った。
 十段から十五段ほど降りると、スマートフォンの明かりが平面のコンクリート床を捉えた。郷田は階段の一番下で立ち止まり、スマートフォンのライトを動かして周囲を確認した。目の前には見慣れたコンクリート壁がそびえ立ち、左の部屋は物置きに使われているのか、人の気配はおろか明かりすら点いていなかった。しかし、右の部屋は違った。白熱電球が点いているらしく、部屋の奥から薄明かりが漏れていた。明かりが点いてるって事は──郷田は声を張り上げた。
「おい! 誰か居るのか? 居たら返事をしてくれ!」
 応えは直ぐに返ってきた。
「ここだよ! ずっと閉じ込められていたんだ! 早く助けてくれええええ!」
 高温多湿の空間に助けが来たという歓喜の雄叫びが反響した。郷田は階段に片足を乗せたまま壁に手を掛け、半身を乗り出して声のする方向にライトを当てた。そこには部屋の中央に取り付けられた鉄格子にしがみつき、必死に郷田の方へ手を伸ばす時田大輔の姿があった。身体はえらく痩せ細りかみひげも伸び放題という囚人よりも酷い風貌であった。
「なんてこった、信じられん! おい! 今助けてやるかな! ちょっと待ってろ! それと念の為に確認しておくが、時田大輔で間違いないか?」
「そうだ! 俺は時田大輔だ! それより早くここから出してくれ! もうこんな所は嫌だああああ!」
 大輔は泣きながら郷田に懇願した。郷田は階段に身を戻すと、地下シェルターの入り口に向かって叫んだ。
「五月いいいい! 時田大輔を発見した! まだ生きてる! 直ぐに応援を呼べ! それと救急車もだ! 聞こえたかああああ!!」
「了解しました!」
 薄暗い階段に充満する湿気った空気を切り裂く鋭い返事であった。本来であれば現場を保存しなければならないが、今回は監禁された時田大輔が居た為、郷田は階段を降りてコンクリート床に足を着けた。
「冷てえっ!!」
 靴下越しに地下特有の冷気が伝わってくる。それでも郷田は歩みを止めず、小走りで時田大輔の元に向かい、鉄格子に辿り着くと警察手帳を取り出して見せた。
「俺は東署の刑事で郷田と言う者だ。直ぐに出してやるかな。安心しろ。その前に一つ聞きたいんだが、どこかに高級な酒を保管している筈なんだ。心当たりはないか?」
「酒ならアナタの後ろにあるよ。ほら、そこの棚だよ」
 郷田が振り向くと、鉄格子の反対側とその横の壁に赤く塗装された酒棚が並んでいた。郷田は時田大輔から離れ、陳列された酒類を目視で確認した。
「こいつはすげえ。どれも高い酒ばかりだ。先生の読み通りだぜ」
「そこだけじゃない。向こうの部屋にも沢山保管されているんだ」
 時田大輔は通路の左奥の部屋を指差した。郷田は明かりの点いたスマートフォンを正面に構え、暗闇が支配する左の部屋へと歩き出した。

「はあ、こいつはすごい。まるで酒屋みてえだ……」
 そこにあったのは壁一面と部屋の真ん中に置かれた青い酒棚であった。どれも高級酒類がズラリと陳列されている。郷田は証拠物を破損しないよう恐る恐る部屋に足を踏みれ、その一つ一つを丁寧に注視して行った。
 すると、酒瓶や青い酒棚が汗をかいている事に気が付いた。時田大輔が監禁されていた部屋の酒瓶や酒棚には水滴が付いていなかった。なぜこの部屋だけ……待てよ、そういえば先生がどこかに通気口があるって言ってたな。郷田は酒瓶を照らしていたライトを天井に向け、部屋の中をぐるぐると歩き始めた。
「あったぞ。間違いない通気口だ。ということは……」
 郷田は天井の右奥に設置された通気口を見つめ、頭の中で見取り図を広げた。上の二階建て家屋は横向きの長方形だが、この地下シェルターは縦向きの長方形だ。リビングから降りてきた事を考えると、時田大輔が監禁されていた部屋の真上はキッチンとその奥のパントリー付近に当たる。であるならば、構造からいってこの部屋はリビングを突き抜けて庭の真下になるってことか。それで全体的に湿度が高くなり、壁・天井・酒棚、酒瓶が汗をかいてしまい、右の部屋よりも劣化が進んじまったって訳だな。
「それにしても、常識的に考えれば通気口は人が居る部屋に付けるだろうに。まさかこっちに付けるとは……」
 人の命よりも酒の方が大事か。郷田は心の中で毒付き、時田一男の顔を思い浮かべ渋面を作った。

 その後、時田真奈から鍵を預かった捜査関係者の手により、時田大輔は約七年ぶりに鉄格子から解放された。
「やったああああ!! 夢にまで見た自由の瞬間だああああ!!」
 興奮した時田大輔は両手を突き上げ、絶え抜いた自分に拍手を送った。その様子を見ていた救急隊員から「担架に乗りますか?」と尋ねられた時田大輔は、
「いえ、歩けるので大丈夫です。むしろ歩きたい!!」
 と言下げんげに否定し、周囲の静止には耳も貸さず、上機嫌で暗い地下シェルターの階段を駆け上がり、勢い良くリビングに飛び出して行った。すると案の定、久々に日光を浴びた時田大輔の両目は悲鳴を上げた。ま、眩しい。眼球全体が痺れるように痛む。これじゃあ動くどころか、目を開けることもできない。一体どうすれば……時田大輔は顔をそむけ固まってしまった。その時、彼の耳に懐かしい声が聞こえてきた。
「大輔さん。両手でひさしを作ってみてください。ほら、昔かくれんぼをしていた時によくやっていたじゃないですか」
「うん!? その声は優希ちゃんか!!」
「そうですよ」
 自分でもよく気付いたなあ。と思いながら、時田大輔は両手でひさしを作り、薄く目を開けてみた。相変わらず目は痛かったが、先程に比べると幾分か和らいだ気がした。これなら見えるぞ。時田大輔は真っ先に声が聞こえてきた方に目を向けた。そこに居たのは自分が知る無邪気な小学生の女の子ではなく、立派な大人に成長した大学生の優希の姿であった。そうか。俺はそんなに長い間、あの暗闇に閉じ込められていたのか……時田大輔は物悲しい笑みを浮かべ、過ぎ去った月日と優希の成長を噛み締めた。
「大輔さん……」
 優希は目に涙を滲ませながら駆け寄り、勢いそのままに抱き付いた。
「お帰りなさい。それと、遅くなってごめんなさい」
 曇り空から差し込む淡い日差しが、二人を優しく包み込んだ。
 
 一方、厳一郎と郷田は時田真奈が乗せられた白いミニバンのそばで、五月を含む複数の捜査関係者と今後の方針について話し合っていた。
「そういう事だから五月、先に署に帰って聴取を開始してくれ。よろしくな」
「了解しました」
 指示を受けた五月は複数の刑事たちと一緒にミニバンに乗り込むと、運転席に座る私服警官に車を出すように伝えた。自動ドアが閉まってから数秒後、時田真奈を乗せた白いミニバンはゆっくりと動き出し、警察署へと走り去って行った。
「やれやれ、取り敢えず時田大輔が無事で良かったよ。だが、まだ終わりじゃない。寧ろこれからが大変だ」
 郷田は安堵と苦笑が混じった顔を厳一郎に向けた。
「そうでしょうね。警察としては弁解録取書べんかいろくしゅしょ身上経歴調書しんじょうけいれきちょうしょを含む供述調書きょうじゅつちょうしょの作成が待っていますからね。送検前も後も大変でしょう。しかしながら郷田さん、大変な度合いで言ったら僕も引けを取りませんよ。なんせ僕自身も参考人ですからね。これから警察署に行って『あれやこれや』と話さなければなりませんし、あの二人にも事件の全容を説明しないといけません。ねえ、大忙しでしょう?」
 厳一郎はわざとらしく大きな溜め息を吐いてみせた。
「お互い苦労が絶えんな。まあ、なんだ、ここまで来たんだ。最後まで付き合えよ」
「まあ、僕としても自分の組み立てた推理があっているか気になりますし、何よりここまでの行程を午前中に終わらせる事ができたのは、郷田さん達の協力があってこそです。なので、最後までお供させて頂きます」
「いいぞ! よく言った! それじゃあ中に居る連中も連れて行くとするか」
 郷田は軽やかな足取りで家の中に戻って行った。厳一郎は晴々とした顔で集まった群衆や赤色灯が回るパトカーを一瞥したあと、曇り空の隙間から顔を覗かせる太陽を見て、満更でもない笑みを浮かべたのであった。

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