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『法善厳一郎 拾うは生者の反響』   第六話 本題

 それから二週間後の六月上旬。梅雨前線ばいうぜんせんが日本列島の南で猛威を奮っている頃。厳一郎の呼び掛けにより、関係者一同が時田家のリビングに集められていた。紺色のパーカーに黒のジーンズを履いた霧野文和と、可愛いクマのキャラクターが描かれたピンク色のTシャツに白いデニムを合わせた和田優希の二人は、顔を見合わせそわそわと身体を動かし、黒いスーツに身を包んだ東署の郷田刑事とその相棒の女性刑事──山田五月やまださつきは、威風堂々としたたたずまいで、花柄のワンピースの上に水色のカーディガンを羽織ったこの家の主、時田真奈に鋭い視線を送っていた。その時田真奈は全身の震えを抑えるように腕を組み、神妙な面持ちで立ちすくみ、誰とも視線を合わせようとはしなかった。そんな五名を一歩引いた場所から黙々と観察していたのが、グレーのスーツをビシッと決めた我らが名探偵──法然厳一郎であった。
「全員揃いましたね。それじゃあ、この長きに渡る謎の解明を始めるとしましょう。本来であれば、長々しい挨拶から入るものですが、僕はそういうのが苦手なので、早速本題に入らせて頂きます」
 飄々ひょうひょうとした調子で口火を切った厳一郎は、ソファーの前に置かれた白い小型のテーブルに近付き、それを真上から指差して、
「時田真奈さん、息子の大輔さんは『ここ』に居ますね」
 と自信満々に言い放った。何を言っているんだコイツは……霧野と優希と五月が呆然とするなか、時田真奈から目を離さなかった郷田だけが彼女の変化に気付く事ができた。顔からさーと血の気が引き、あっという間に顔面蒼白になったのだ。当たりだ──明らかに動揺している。更に時田真奈を追い詰めるべく、郷田は何も知らないていを装って、厳一郎に問いかけた。
「先生、そのテーブルが一体どうしたって言うんだ? 俺たちにもわかるように説明してくれ」
 素晴らしい。さすが郷田さんだ。いいところで入ってくるね。厳一郎は内心ほくそ笑み、
「まあ、百聞は一見にしかずと言うじゃありませんか。実際に見て頂きましょう」
 テーブルに手を掛けたその時──!!
「やめてええええ!! それに触らないでええええ」
 青白い顔に大量の冷や汗をかいた時田真奈が、小刻みに震える唇から奇声を発し、テーブルにしがみ付いた。あまりの豹変ぶりに優希は短い悲鳴を上げ霧野に抱き付き、霧野もまた優希をかばう様に抱きしめ、「大丈夫だから」と耳元で囁きなぐさめた。厳一郎は優希と霧野を気にかけつつ、郷田と五月によって白いテーブルから引き剥がされた時田真奈に近寄り、
「もういいでしょう。これ以上隠しても、何の得にもなりませんよ」
 同情と哀れみの籠った眼差しでいた。二人の刑事に両脇を抱えられていた時田真奈は、膝から崩れ落ち、床に突っ伏して大粒の涙を流した。

 それから三十分後。泣き止んだ時田真奈は口を半開きにして、じっと床の節を見つめていた。彼女の精神状態を鑑みると、早いところ決着をつけた方が良いな。そう判断した厳一郎は、直ぐに白いテーブルをキッチンの方へ移動させ、その足で壁面収納型のテレビ台に近付き、しゃがみ込んで棚の下側を注意深く観察した。やはりここにあったか。厳一郎が棚の奥に手を突っ込みスイッチを押すと、テーブルが置いてあった床の一部がボンッと音を立て長方形に浮かび上がった。厳一郎は四つん這いの状態で移動し、浮いた床の端に手を掛け勢い良く持ち上げた。蝶番ちょうつがいの部分から折れた床の一部は九十度まで持ち上がり、そのまま後ろに倒れた。その下にあったのは、中央に船のかじを思わせるシルバーのハンドルとダイヤル錠の付いた黒い鉄扉てっぴだった。
「なんですか、これ。巨大な金庫ですか? でも、それならどうして床下に造ったんでしょう。これじゃあまるで地下室みたいじゃないですか」
 先程まで怯えていた優希が首を傾げながら鉄扉を凝視して言った。その言葉を聞いて、優希と一緒に鉄扉を覗き込んでいた霧野がハッとした顔で厳一郎に視線を投げた。
「地下室──っておい冗談だろう厳一郎!! これってまさか!?」
「そう、霧野君のご想像通り。これは地下シェルターの入り口だよ」
 厳一郎は淡々とした口調で答えた。
「えっ! 地下シェルター!? 地下室なら以前ガサ入れで見た事がありますが……地下シェルターは初めて見ました。郷田さん見たことあります?」
「いや、俺も初めて見た。先生から話を聞いた時は、そんなまさか!? と思ったが、
本当に一般家庭にも設置できるとはな。驚いたよ。それに時田一男が亡くなった時は地下シェルターどころか、地下室の『ち』すら見当たらなかった。一杯食わされたな」
「その時に登記簿などは確認しなかったんですか?」
 地下シェルターの入り口に見入っていた郷田に霧野が尋ねた。
「もちろん確認したさ。だが、不動産登記簿には、地下シェルターはおろか地下室の記載もなかった……」
 郷田は苦虫を噛み潰したような顔で相棒の五月に目をやった。五月も思うところがあったらしく、やってしまったと言わんばかりに苦笑を返した。
「それに関しては仕方ないでしょう。地下室は不動産登記簿に記載しなければなりませんが、地下シェルターは記載義務がありません。それに、最近では技術の発展により一般家庭にも普及し始め、その関係で広告やネットで目にする機会も増えましたが、依然として日本では馴染みの薄い物です。ましてや、それを十五年以上前に造っていたとなれば、気が付かなくても無理はないでしょう」
「そう言って貰えると助かるよ、先生」
「お気になさらず。さて、皆さん。一通り驚いたところで、今度は実際に中に入ってみようじゃありませんか。その為には──時田真奈さん。暗証番号を教えて頂けませんか?」
 全員の視線が時田真奈に向けられた。が、彼女は依然として放心状態のままだった。それでも厳一郎はしゃべり続けた。
「もちろん拒否権はあります。ですが、そうなると鉄扉を破壊しなければなりません。相当な時間を要するでしょうし、何よりここはアナタと家族の大切な思い出が詰まった家です。できれば我々も傷つけたくはありません。どうでしょう、教えて頂けませんか?」
「…………」
 もはや厳一郎の言葉が届いているのかさえ判別できなかった。やはり今日初めて会った僕の言葉では、彼女の心を動かす事はできなかったか。ならば──全員が困惑する中、厳一郎は優希に目配せをした。それに気付いた優希は時田真奈に歩み寄り、
「おばさん……私からもお願いします。もう終わりにしましょう」
 目に涙を浮かべ優しく抱きしめた。我に返った時田真奈は何度も深く頷き、徐々に平静を取り戻し、やがて声を震わせながら暗証番号を教えてくれた。狙い通りだ。厳一郎はすぐさまダイヤルを動かし暗証番号を入力した。ガシャンという音が鳴り響く。
「オッケイ。ロックは解除された。次はコイツを回して!」
 厳一郎は鉄扉に取り付けられたハンドルを右に回した。上下左右に伸びた四本の支柱が関節部分から折れ、鉄扉の隙間からよどんだ空気が漏れ出してきた。
「よし! あとは鉄扉を上に引くだけなんだが、僕の考えが正しければ、そんなに力は要らないはずだ」
 そう言うと、厳一郎は前屈まえかがみのまま鉄扉を上に引いた。案の定、鉄扉はゆっくりと持ち上がり、左開きで開放された。その内側に目をやると油圧式ダンパーが二本取り付けられていた。
「やはりか。確かにこの鉄扉は重たい。しかし、時田真奈さんが一人で上げ下ていた事を考えると、何かしらの補助力が備わっていると思ったんだ。うん、これなら女性一人でも開け閉めできるね。よく考えて作られてるなあ」
 厳一郎は推理そっちのけで、鉄扉の内側とそれを支える基礎部分を観察し始めた。見兼ねた霧野が呆れ顔で止めに入った。
「おいおい厳一郎、お前は何の為にここに来たんだ? 頼むから推理を再開してれ……」
「おっと、これは失礼。こういう代物を見るとつい心が惹かれてしまってね。それでは気を取り直して、地下シェルターの入り口も開いた事ですし、足を踏み入れてみますか。と言いたいところですが、現場保存の関係上、降りるのは郷田さんだけの方がいいでしょうね」
「ああ、その方がいいだろうな。この人数で行ったら現場を荒らしちまう。それにしても……不気味だな」
壁も天井も階段もコンクリートで覆われた無機質と暗闇が支配する世界。長年刑事を務めてきた郷田でさえ寒気を覚えた。が、そこは郷田である。直ぐに気持ちを切り替え、スーツの内ポケットからスマホを取り出しライトの機能をオンにして、
「そう言うことなので、降りるのは自分だけです。皆さんはここで待機していてください。五月! あとは頼んだぞ!」
「はい!」
 全員に指示を出し、先の見えないコンクリートの階段を降り始めた。

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