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『法善厳一郎 拾うは生者の反響』   第五話 遅くばせながら 二

 霧野と厳一郎は駐車場の一辺に佇む竹垣たけがきの前へと辿り着いた。
「いつ見ても竹垣は風情ふぜいがあっていいねえ。まさに和そのものだ」
 霧野は端から端まで続く竹垣を見て穏やかな口調で呟いた。
「この竹垣は竹を隙間なく紐で結んだ遮蔽垣しゃへいがきと呼ばれる物なんだ」
「このってことは、他にも種類があるのか?」
「僕は専門家じゃないから全てを把握している訳ではないが、まず『透かし垣』と『遮蔽垣』の二種類に分けられて、そこからさらに作り方やがらによって十五種類ぐらいに細分化されるらしいんだ」
「マジで! そんなにあるのか!」
 あまりの衝撃に霧野は目を見張り大きな声を出してしまった。そんな霧野を見て厳一郎は、
「確かに種類は多いけれども、一軒家の竹垣としてよく使われるのは遮蔽垣だから、それだけ覚えておけば大丈夫だよ」
 まあまあと両手を動かしながら、なだめるように言った。
「……わ、わかった」
 取り敢えず納得した霧野を見て、厳一郎は苦笑を浮かべながら、竹で造られた門扉を開き、霧野を次の敷地内へと案内した。

 門扉を抜けると足裏の感覚が砂利から柔らかい物へと変わり足音も消えた。うん? 地面か? 霧野は視線を真下に落とした。自重によって地面から湧き出た水が、靴の周りをキラキラと照らしている。霧野は顔を上げ辺りを見回した。ここには街灯が一つもないからハッキリとは見えないが、全て地面だとすると……霧野は厳一郎を見て口を開いた。
「家庭菜園を始めたのか?」
御名答ごめいとう流石さすがだよ霧野君」
「嘘だろ!? 以前来た時は高級車が並ぶガレージだったぞ!?」
「その通り。だが、新型コロナウィルスが猛威をふるった時、ある程度自給自足もできた方がいいだろうという話になり、ガレージを移動させて、一度更地に戻し、家庭菜園を始めたんだ」
「ガレージを移動って──どこに移したんだ?」
「そうか、君は昔の道を通って来たから気付かなかったのか。農道に入らずそのまま少し進むとガレージの入り口があったんだよ。家の人間はそっちに車を停めているんだ」
 厳一郎は母屋の奥を指さして霧野に説明した。金持ちはやる事が違うな。霧野は呆気に取られ固まってしまった。そんな霧野に構わず厳一郎は、
「家庭菜園については歩きながら説明するよ。さあ行こう」
 意気揚々と次の門扉まで続く小道を歩き始めた。霧野はトボトボとした足取りで厳一郎の背中について行った。
 道の真ん中まで来た時、厳一郎は立ち止まり門扉から見て右側に身体を向けた。自然と霧野の身体もそちらに向く。
「こちら側には茄子なす胡瓜きゅうりやトマトなどのこれから旬を迎える夏野菜が植えてある」
「お見事。米に比べると野菜は育てやすいからな」
「それもあるんだが、いくらなんでも米を育てるのはやり過ぎだろう……と言う意見が出てね。僕も執筆で忙しいから、そっちは諦めたんだよ」
「正解だと思うぞ。田んぼは水の管理も大変だし、何より溜池は共同で管理している筈だから、人付き合いも大事になってくる」
「うん、僕は変わった性格だから向かないだろうね」
 厳一郎の脳裏に昔の嫌な出来事が蘇った。が、そんな事を知ってか知らずか、霧野がいつもの調子で、
「うん? そんな事はないだろう。お前とは長い付き合いだが、一度もそんな風に思った事はないぞ」
 平然と返してきた。厳一郎は自分の事を受け止め、そしてハッキリと物を言ってくれる霧野に感謝しつつ、
「それは良かった……まあ、いずれにせよ米には手を出さないでおくよ」
 その気持ちが声の震えや声色でバレないよう気をつけながら返した。
「マジでやらない方がいいぞ。ただでさえ五月の連休は田植えで潰れ、台風が来たら命懸けで様子を見に行き、残暑が酷い九月には稲刈りをしなくちゃいけないからな。結論、米は買え」
 真顔で念を押す霧野に吹き出しそうになりながら、「わかった」と厳一郎は短く返した。二人は涼しい夜風に吹かれ気持ち良さそうに葉を揺らす夏野菜たちと、反対側で淡い月明かりを浴びながらひっそりと眠に就く紫陽花やクチナシやラベンダーやカーネーション等の花々に見送られながら、汐風しおかぜと雨上がり特有の土の香りを放つ家庭菜園を後にした。

 家庭菜園の畑と母屋をへだてるマサキの生垣を過ぎると、これぞ日本庭園と言う見事な庭が姿を現した。緑のお盆の様なかたまりが上から下までバランスよく積み重なった松の木。その隣には地面と平行に枝を伸ばすかえでの木があり、一番目立つ中央にはやはり日本を象徴する桜の木が植えられていた。これら日本固有の木々に混ざり、どっしりと構えていたのが、運ぶのに苦労したであろう大小様々な庭石である。地球上で最も古くから人間を見て来た物言わぬ隣人たち。まさに生物と無生物むせいぶつが織り成す『静』と『動』の芸術作品。見事だ。霧野は感嘆のため息を漏らし、目の前に映る名も無き一庭ひとにわに見惚れた。
「庭師の方々が手入れしてくれたんだ。綺麗だろう?」
 隣に立っていた厳一郎が、自慢の日本庭園を眺めながら霧野に問いかけた。
「相変わらず立派なお庭で……もう有形文化財に登録したらどうだ?」
 あまりにも霧野が惚れ惚れとした顔を向けて来たので、厳一郎は思わず、
「それはやり過ぎだよ」
 と言い夜にも関わらず声を出して笑ってしまった。それに釣られて霧野も破顔し大声で笑った。二人の笑い声が夜の庭園に響いた。 

 改めて日本家屋に向き直った霧野はその風情ある佇まいに圧倒された。平屋の書院造りに昔ながらの入母屋造いりおもやづくりの屋根が乗り、漆喰の外壁に掃き出し窓を覆う木製の雨戸。屋内から漏れる明かりによって地面に細長い影を作るガラス障子しょうじ格子窓こうしまど。まるでモノクロ写真の世界に入り込んだみたいだ……霧野は両手を腰に当て何度も頷いた。
 厳一郎は玄関に取り付けられた四枚建ての引き戸を開けた。玄関ホールから暖色の光が放たれる。うっ眩しい──霧野は思わず顔をけた。
「暗闇にいたから無理もない。慣れてからでいいよ」
「いや、見えない程ではないから、大丈夫だ」
 霧野は目を細めながら玄関ホールへと足を踏み入れた。
 
 目が慣れてきた霧野は久々の玄関ホールを見回した。二十足以上は余裕で入るであろう木製の下駄箱に冬の集落が描かれた見事な絵画。そして真正面のガラス戸越しに見えるライトアップされた枯山水かれさんすいの中庭。
「毎回思うんだが旅館みたいな玄関だよな」
 霧野は半笑いで厳一郎を見た。
「まあ、その辺の事情は話すと長くなるから、また別の機会にしよう」
 厳一郎は困り顔に愛想笑いを浮かべて返した。これ以上は野暮ってもんか。霧野はそれ以上何も聞かず、
「わかった。それでは、お邪魔しますよっと」
 厳一郎と共に靴を脱ぎ、上りかまちに足を掛け、玄関ホールにあるスリッパに足を通した。脱いだ靴をそろえようとかがんだ時、踏み固められた土の床が目にまった。話題を変えるには丁度いいな。霧野は靴をそろえながら厳一郎に訊いた。
「昔ながらの土間って言うんだってけ? この床」
「正確には三和土たたきだね。尤も土間とは靴を脱がずに歩ける場所の事を言い、それを綺麗に仕上げたのが三和土って感じだから、似て非なるものではあるが、その違いはごく僅か……と言ったところかな」
「そうか……じゃあ三和土って事だけ覚えておくよ」
「ああ、それで問題ないと思う」
 立ち上がった霧野は厳一郎と共に板張りの廊下を右へと進んで行った。

 廊下の先は縁側になっていた。右側にはガラス戸越しに夜を迎え閉められた木製の雨戸がズバリと並び、左側には白無地のふすまやガラス障子しょうじで仕切られた仕事部屋が見て取れた。それら昭和の雰囲気が色濃く残存する縁側を突き当たりの手前で進んで行くと、雪の様な白い下地に満開の桜が描かれた襖が現れた。厳一郎はその襖をサーっと優しく開けた。
「さあ、入ってくれ」
「お邪魔します」
 霧野は襖の横に立っている厳一郎に軽く頭を下げ部屋に入った。
 部屋は五畳ほどの和室であった。右手に四つの引き出しを備えたダークブランの文机ふづくえと同色の座椅子があり、何故かその隣に白い小型の冷蔵庫が置かれていた。それからコタツ布団が脱がされたコタツテーブルと猫の柄が入った座布団ざぶとんが四つ中央に鎮座していた。
「どこでも好きな所へ座ってくれ」
 ピシャリと襖を閉めた厳一郎が座椅子に座りながら霧野に声を掛けた。
「そうだな……じゃあ、ここにするか」
 霧野は先程の襖を背負う形で、厳一郎から一番近い座布団に腰を下ろした。
「それじゃあ霧野君──話を聞かせて貰おうか」
「わかった。その前にだ、お前も知っていると思うが、俺は説明するのが得意じゃない。だから、その辺は勘弁してくれ」
 厳一郎は無言で微笑み、右手でどうぞと促した。霧野は今日あった出来事を話し始めた。

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