三菱鉛筆9800はいつ発売が始まったのか?
入手困難な9800
私が好きで使っている三菱の9800は、昭和21年に発売が開始されました。以前も9800の事はnoteに書かせてもらってます。
今では、最初期の9800である《茶箱》や《寫眞修正用》印刷タイプは手に入らない物と覚悟しています。
ちなみに、以前も書いたかもしれませんが、私はこの《寫眞修正用》画像は、この写真の他数枚見たきりです。むしろ茶箱の方が画像としては拾いやすい。
オークションやフリマサイトでも、遡って検索すると、茶箱は幾つか取り引き実績が出てきます。
が、寫眞修正用の方はひとつだけあったかどうか。
もっとも、古いのは茶箱の方なので私の探し方が悪いのでしょう。
ちなみに、9800の色違いである9810というのも過去のオークション実績で一度だけ見た事があります。
過去のオークションを調べられる今だからこそ見つかった画像だと思ってます。
ありがたい話です。
疑問
先程も書いたように、この辺りの激レアな9800(9810)などというのは手に入れる事がかなり困難で私は諦めています。大人なので。
文房具屋の店先で寝転んでジタバタしたりしないのです。ただ普段の息抜きとして9800の事を重箱の隅視点で調べるのが日課となっています。
そんなある日の事、いつものように茶箱の写真を調べていたところすっかり見落としていたある所に気が付きました。
それがこの写真です。
ほぼほぼ毎日見ていた写真だったのですが、思い込みですっかり見落としていました。
この写真、確かに30銭と価格が入っています。
私が何をどう思い込んで見落としていたのか。
次の画像です。
9800の昭和21年9月の価格。
80銭となっています。
昭和21年とは9800の発売が開始された年。
この時の価格が80銭だと公式が書いています。
私はこれを見ていたので、先程の画像を見て80銭と書いてあると思い込んでいたのです。刻印が擦れて消えかかっていることもよくあるので、その類だと思い込んでいたのですね。
では、次の写真。
これは【東京鉛筆組合昭午会】のホームページの中にある【鉛筆の公定価格・丸公価格】の項目です。
この中に寫眞修正用鉛筆の項目がありますが、これによると1本30銭というのは昭和15年10月12日〜昭和21年2月19日迄の価格である事がわかります。ちなみにこの値段はその名の通り公定価格であり、メーカーが勝手に変える事はできませんでした。昭和24年ごろになると有名無実化しますが…。
三菱のホームページに載っている価格推移の表を見ると21年9月が一番目に来ています。
これ以外にも9800のことに触れた様々なブログやサイトを調べてもその全てが発売は21年9月と記載しています。これは恐らく、参考にしたのが先のページだと考えれば辻褄は合うので変でもなんでもないのですが、だがしかし。
果たして9800の発売が開始されたのは本当はいつなのでしょうか?
公定価格はどのように告示されたのか
(この項目は完全に妄想です。恐らくそうだったのでは?という推測でしかないのでご注意を下さい)
さてさて、先程から疑問の根拠となっている公定価格ですが、これは一体どのように告示されたのでしょうか。
現在、告示されてから実施されるまでには準備期間が設けられますが、これは当時とて同じだったでしょう。告示、即実施というのはほとんど不可能ですので。
ただ、法律等の公示と違い準備期間はそれ程長くなかったのではないかと思います。
なにせ昭和20年6月5日〜昭和22年10月25日までの間で5回も告示されていますから。
恐らくは最短の部類である10日〜1ヶ月程度では無かったかと思います。
9800は、そんな中生産が開始されたのではないでしょうか。
当時ライバルのトンボ鉛筆が昭和20年8月(!)に出荷を開始し、売り上げを伸ばし続けていました。
私は9800の製造開始は20年末ごろから、出荷・販売は21年頭からではないのかと考えます。
ファーストロット。一本30銭として。
ただ、出荷が始まり数週間という時にまた公定価格変更の告示が出ることになります。
昭和21年2月20より80銭に変更する、と。
世の中の物価は高騰が続いています。
今後も短い期間で公定価格が変更されるのは明らかです。
三菱鉛筆は、生産が済んでいる30銭の9800の販売に注力し、そして先を見た変更を加えました。
それが《公定価格の非表示》だったのではないでしょうか。
下の画像を見てください。
これは同じく茶箱の別ロットと思われる画像です。
JISマークのない事やパテントナンバーが無い事、刻印の文面が違うことから《寫眞修正用》デザインのものでは無い事がわかります。
勿論、JISマークがないからと言って確実に茶箱のセカンドロットであるとは断言できません。実際昭和24年末ごろには公定価格は廃止されていますので、そこから昭和27年までの間、このような仕様であったとも言えるでしょう。
ただ、私自身が公定価格80銭と刻印された茶箱の存在を確認した事がないのです。
ですから、これはあくまで妄想ですがこの時点で三菱は価格の表記を辞めたのでは?と考えました。
旧価格の9800の販売を終えた三菱は、デザインを一新した刻印の9800の製造販売を再開します。
ただ、その時期がはっきりわからないがために確実にその時期には販売していたと言える昭和21年9月というのが正式な記録になったのではないでしょうか。
何度も言いますが、この章はあくまで妄想であり、想像でありフィクションです。
見てきたような事を書いてますが、私自身三菱鉛筆の人間でもないですし社史を読んだこともありません。ただ、戦後という混乱の中で懸命に物作りをする人達の思いがあの数枚の写真から見て取れる気がして頭が下がるのです。
『いやいや、俺80銭って値段入った9800持ってるよ?』という方がいらっしゃったら、どうか画像を見せて頂きたく存じます。
謎が多い黎明期の9800の新しい資料になると思います。