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カツ丼食べたい

ふと思った。カツ丼を食べたい。

夏の暑い日の恋は唐突に始まるものだし、僕のカツ丼への恋が始まったのはきっと偶然ではなく必然だった。

カツ丼を食べたい、そう思った瞬間から全ての味覚がカツ丼に向かっていた。この世の全ての料理による民主政治は死を迎え、ディクタトル_カツ丼による独裁政治が始まった。もうカツ丼以外のものを昼飯に食うことなど考えられない。

梅雨明けの夏の日差しの中、僕はカツ丼を食らわんと自転車を走らせた。

じわじわと五感がカツ丼に蝕まれていくのがわかる。通りの鰻屋の匂いは感じすらしなかったし、工事の音も「カツカツどんどんカツどんどん」と鳴っていた。山本太郎のポスターはカツ丼太郎に見えた。

頭の中では数多のカツ丼が宙を舞っていた。カツ丼はありとあらゆる方向に離散し、集合し、いくつかは僕に向かって飛んできた。しっとりと肉に纏われた衣に濃いめのタレがしっかりと絡み、卵がふんわりと全てを調和する。噛めば肉汁が暴走し、脳細胞を破壊し尽くすだろう。

太陽が落ちるより速く走ろうとしたメロスはきっとこんな気持ちなのだろう。カツ丼屋に到着した僕は自転車をロックするのもそこそこに足早に入店した。

椅子にはカツ丼が座っていた。

その日、ゲストハウスに泊まっていた2人のカツ丼だった。

なんという奇跡だろうか。鎌倉に何百とある飲食店の中で、カツ丼とカツ丼が同じ店に入店することなど、あっていいものだろうか。

僕は迷うことなくカツ丼を注文したが、イタリア人のカツ丼たちは勝手がわからず注文に時間がかかった。俺に早くカツ丼を食わせてくれ!

カツ丼を待っている間、共産主義のカツ丼党員が天安門広場でたむろし、カツ丼総書記の登場を叫んでいた。毛沢東はカツ丼だったのだ!

カツ丼が運ばれてきた。

僕の全細胞がカツ丼に向かっていくのを感じる。細胞が、カツ丼を求めている。

僕はカツ丼にかぶりついた。

あたりがとても静かだ。不思議な感覚だった。

僕はカツ丼になった。カツ丼とカツ丼が融合し、ビッグバン。宇宙の始まりはカツ丼だったし、アインシュタインはカツ丼が大好きだ。

ああ、暴力!

旨味による感覚の弾圧!

共産主義万歳!とカツ丼党員が狂喜乱舞し、人民には幸福がもたらされた!

民主主義は死んだ!カツ丼のカツ丼によるカツ丼のために支配がはじまったのだ!


ごちそうさまでした。


カツ丼食べたい