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家庭教師のお仕事の思い出

 僕は、家庭教師のお仕事を大学1年生のときから約2年間、つづけていました。郵便局でのチャリンコによる配達業務と兼業している期間もあり、当時の自分は熱心な働き者だったんだな、と感心します。大学の単位は落としまくりましたが。今では大して働きもせず、友人に金を借りてまでガールズバーに行ったりしているので、ろくでもない人間です。

 僕は「家庭教師のトライ」などの企業に所属することなく、個人で家庭教師をやっていました。郵便局の掲示板に、自作の可愛らしいチラシを貼りつけて、誰かから連絡がくるのを待ちました。僕は2000年4月に大学に入学したのですが、その当時は銀行や郵便局に市民が自由に使える掲示板があり、そこで家庭教師の生徒を募集している人がよくいたので、真似をしてみたというわけです。僕は日本大学 生物資源科学部 獣医学科と、早稲田大学 第二文学部だけを受験して、両方とも合格していたので、そのことをアピールしたチラシを作りました。性格が優しく癒し系であることもアピールしました。ちなみに僕は、金銭的な問題で、第一志望の日大の獣医学科には行かず(獣医さんになりたかった)、第二志望の早稲田の二文に進学しました(文学や哲学にも興味があった)。

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 郵便局にチラシを貼ってわりとすぐに、携帯に電話があり、まずはその親御さんの自宅に伺うことになりました。あいさつをして居間に通されると、僕が教えることになるだろうお子さん(A君)がいました。ぽっちゃりした中学1年生の男の子です。可愛らしい顔をしています。僕が家族のみなさんに自己紹介をして早稲田大学の学生証を見せると、目をキラキラさせながら「すごい!」と言われたので、まんざらでもない気分になりました。謙遜する意味で「でも頼りなさそうで…」と言ったのですが、僕が中1のA君のことを「頼りなさそう」とディスったみたいな感じになり、みなさんにそう受け取られたような気がし、今でも気に病んでいます。もしタイムマシンがあったら、過去に帰って「でも僕は本当に頼りなさそうな人間で、すみません」ときちんと言い直したいです。

 そのような失言はありながらも契約は成立し、週に1回、A君の家庭教師をつとめることになりました。時給は1000円です。僕は自分に自信がまったくなかったため、そんなに安い値段を設定してしまったのです。のちのち後悔することになりました。時給1500円はもらってもよかったなと。大学の授業を入れてない日に僕は、郵便配達の仕事をし、帰ってくるとすぐにA君のおうちに向かいました。僕が教える科目は得意科目の英語で、自作のプリントをつくったりして、わかりやすく教えたつもりだったけれど、A君のやる気が壊滅的になかったため、成績はなかなか上がりませんでした。A君は中高一貫校の中学1年生だったから、勉強に対するモチベーションがあまりにもなさ過ぎたのです。

 僕は彼のモチベーションを上げるため、苦肉の策をとりました。エロ本を貸したのです。授業の終わりに、宿題を出し、「この宿題をちゃんとやってきたら、エロ本を貸してあげる」と笑みを浮かべながら告げたのです。当時はインターネットがあまり普及していなかったので、中学1年生の男子にとってエロはとても貴重なものでした。そうしたらA君は宿題をちゃんとやるようになりましたが、なぜか成績はまったく上がりませんでした。エロの知識量だけが上がりました。僕は彼に、エロ本の隠し方を教えました。「木を隠すなら森の中に隠せ、という言葉があるでしょ。エロ本も同じなんだよ。下手にベッドの下や、机の引き出しの奥に隠さないほうがいい。本棚に堂々と並べるんだ。数学の問題集の隣なんかがいいね。そうすればまず親に見つかることはない」と。

 僕はA君にエロ本を貸すのが習慣になりました。そんなある日、彼がこんなことを言うので、心臓が止まりそうになりました。「実はね、田中先生、うちの親、俺が田中先生からエロ本を借りてること知ってるよ」。僕は顔を引きつらせながら、「え? うそでしょ? 親御さんには絶対に内緒だって言ったじゃん。隠しかただって教えたじゃん!」と言いました。すると彼は、「…なんてね。冗談だよ。親はエロ本のことは知らないよ」と答えました。僕はホッとしたけれど、未だに疑っています。A君が言ったことは実は本当のことだったんじゃないかと。いつも笑顔で親切に接してくれる親御さんは、心のなかでは「この先生は毎週息子にエロ本を貸している悪い人なんだわ」と思っていたんじゃないかと。

 また、ぽっちゃりしたA君には、同様にぽっちゃりしたB子ちゃんという妹さんがいて、僕を慕ってくれました。まあまあ嬉しかったです。バレンタインデーには、手作りのチョコをプレゼントしてくれて有難く思いました。それなのに僕は、ホワイトデーに何も返さなかったので、未だにそのことを後悔しています。本当に未熟な人間だったなと、今となっては思います。まあ41歳になった今でも成熟からはほど遠い人間なんですけれど。

 A君の家庭教師の仕事は、大学3年生になってしばらくして辞めました。「就職活動をしなければならないので」というのが理由でした。しかし僕は就職活動なんて全くせず、大学の友人と酒ばかり飲んでいたし、留年までしてしまいました。なんとか卒業した後はニートになり、フリーターになり、再びニートになりました。今は蚊の家族を養っている子供部屋おじさんです。無理をしてでも獣医学科に入ればよかったと思うこともあるけれど、基本的に後悔はしていません。まあ人生なんとかなるだろう、と気楽に考えています。

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