見出し画像

人間にとっての遊びについて調べていました。

遊びとは、どんなものか?
どこからが遊びで、どこからがそうでないのか?
遊びには、どんな意味があるのか?

ホイジンガの遊びの定義の中には

遊びは、日常のくらしから、時間的・空間的に切り離されていることが必要であること。

また、その目的はただ遊びだけのためにやる、ということ。
遊びの外に、他の目的をもってはいけない。

というものがあります。

こうした特徴があるので、遊びが非効率で、無意味なもの、というように感じられることがあるのだと思います。

しかし、文化は遊びの中から生まれたもので、文化が遊びになったわけではないのです。遊びに意識を転じることによって、精神を研ぎ澄ますことができるとさえ言われています。

私は人間の、自分自身の大事な活動であればあるほど、遊ぶように取り組んだほうが良いのだと思います。

誰かを幸せにしたい、誰かを助けたい、現状を変えたい
という目的の前に、自分自身が遊ぶ必要が有る。

私はまた、その人らしい遊びというものが、誰にでも備わっているのではないかと思います。自分自身の心がワクワクしたりする、というものも1つだと思いますが、

ついやってしまうこと

頑張らなくてもやってしまう、出来てしまうようなこと

自分の性のようなもので、自分自身の本質のように感じられるもの。

そういう、その人らしい遊びを本気でやっていると、

見ている人が楽しくなったり
誰かを勇気づけたり
見た人がしあわせな気持ちになれたり
周りが応援してくれる

外にも価値が届き、拡がっていく。

よく、自分自身がまずは満たされること、自分自身が幸せになることが大切だと言われます。そうすることで、周りの人が幸せになれると。

そのバロメーターに、「遊べているかどうか?」を置いて、自分や自分の活動を振り返る時間をもってみると良いかもしれません。

【参考文献】
『ホモ・ルーデンス』(ホイジンガ, 中央公論新社,2019改版版)

読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートは、これから先の創作活動のために使わせていただきます。よろしければサポートをお願いいたします。