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#2 農耕によって失われた遊び?

「プリミティブな教育」シリーズとして、太古の教育のことや自然とともにある教育について、調べ、感じたことを綴っています。

今までの教育の活動から、大事なものは引き継がれていくように。

また、子どもたちも、子どもと一緒に過ごす大人も、生活・時間・人間関係などの面で無理がない形(継続)ができるようにと願って集めたことです。

#1はこちらからどうぞ(#1 狩猟民族の子どもたち

今回も、『遊びが学びに欠かせないわけ』から

前回に引き続き、ピーター・グレイの『遊びが学びに欠かせないわけ』をもとに書いていきます。

この本が伝えることのひとつに、

農耕と労働によって「自由」「平等」「自律」の価値観がくずれた

ということがあります。

日本にも素晴らしい農業をされる方がたくさんいますよね。愛情をもって土と作物に向き合う、素晴らしい仕事です。

なので、私もはじめてこの価値観「農耕と労働によって支配が生まれた」ということを目にしたときは、とても驚きました。

(でも、最近は同じような主張を目にすることも多くなりました。)

念の為、作物を育てるのが悪、なのではなく、農業の副産物として、誰かを管理せねばならなくなった、ということです。

農業と管理と時間

農業は時間のとおりに作業をすることが、作物の育ち方に影響します。ですから、誰が、いつ、なんの仕事をするか、ということをしっかり管理することが、生きる上でとても大切になってきます。

そこから、人を管理する、誰かが誰かを働かせるという概念が発生した。

そして、遊び=悪と考えるようになった。

また、作物管理の都合上(後に、献上などもあったと思いますが)、どこからどこまでが、自分たちの畑だ、ということを線引きしなければならない。

そこから「所有」の感覚が生まれました。

そうしたことが本には書かれています。

失われたのは「共有」する感覚ではないか

私は、そこで失われたもののなかには、地球上のすべての自然は平等にみんな(動物や植物もみんな含めて)のものだ、という感覚も含まれるのではないかと感じています。

自然から分け与えて貰い、人間が生かされている、というよりも、自分の身の安全は全て自分たちの手で作ったのだ、という感覚が、次第に強くなっていったように想像してしまいます。

また、例えば、となりの畑で作業する人たちは、水やりをしなかった。その結果、作物が育たなくなり、食料が足りずに困っている。そんな場面があったら、自分たちの作物を分け与えることは出来るかどうか?

なんとなく、「しょうがないなぁ、今回だけ」といって、少し分けてあげる様子も目に浮かぶ気がするんです。そこに働く人間の本質によって、いかようにでも、温かい社会は作れるという気がします。

もしかしたら、その結びつきを壊したくて、献上や納税といった仕組みができたのかもしれません。その方が、サボる・遊ぶ人が減って、たくさん作物が育ちますよね。

食物をつくる=自然を支配する(人も含めて何かを支配する)という感覚が生まれ、コミュニティの分断によって「共有」という感覚は薄れていった。

もしかしたら、これは当時の人たちも想定外のことだったかもしれません。

では、なにがどうなって、農業を営み、人が支配を選択することになったのか?食糧事情なのか、支配を欲する人によってなのか?はっきりとしたことは分からないのですが、それを知るヒントになる本があります。

たつみや章さんの『月神の統べる森で』にはじまる児童文学シリーズですが、こちらは、できる限り今までの研究成果をもとにしながら、縄文から弥生時代の移り変わり、狩猟から農耕への移り変わりを描いている物語です。

時間とおりに、ということも一旦、見つめなおす

今でこそ、24時間365日というリズムは人を管理するためのものである、とか、月のリズムから太陽のリズムへ切り替わることで、労働を管理することが始まった、そうしたことを耳にするようになりました。

なにより私自身が、子どもを育てているとき、一番心の平穏を保てないときは「時間」を意識する時であると感じています。

なぜ、イライラするのか?というときの一番多い理由は「時間に遅れてしまう」「時間に間に合わない」ということです。

赤ちゃんと過ごしていて、どうしても辛くなってしまうときは、時計を気にしないで生活するようにしていました。

もちろん、約束を守ることは、他の誰かを大切にすることでもあるので、時間通りに行こう、という考え方は変わりません。

ただ、

その今気にしている時間は、なんのため?

<◯◯時はおやつの時間>といった決まった概念を簡単にもたせても良いの?

そうしたことを、一旦見つめなおして、選択できたらと思います。

食の概念も変わってきました。たくさん食べる=栄養たっぷりで健康、ではもう無くなってきていますよね。

空腹のときに免疫力が高まるとか、減塩の必要性は無いとか、、そうした、地球に(人間も含む)本当にいいことから、時間の概念も組み変わっていけたら。それを頼りに、もっと心地の良い選択を、(懸命な判断ができる)整った身体で行えるのではないでしょうか。

きっと、誰もが求めている幸福につながると思います。

【参考文献】
ピーター・グレイ 吉田新一郎 訳 『遊びな学びに欠かせないわけ』」(2018 築地書館)

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