軟骨肉腫日録[転移篇]5 ラジオ波焼灼法へ

12月3日
 昨日、放射線科のMountain(仮名)先生の診察を受けました。その2日前に撮ったCTを見ながらラジオ波焼灼法の見通しの説明を受けました。

 今回の治療のターゲットは左下葉の1㎝ぐらいの腫瘍です。10月の手術前の画像と比べて、位置も変わっていないし、大きくもなっていないということでした。
 付随的なことですが、10月の手術で採れたかどうかわかっていなかった右上葉の小さな腫瘍は見当たらず、「採れたみたい」ということでした。ターゲットは左肺の1つということになります。

 一言でいえば、予定通りということです。
 ということで、1月10日入院、翌日手術ということに決まりました。前回の説明で、入院期間は4、5日と聞いています。

 帰宅後見ていたあるサイトに「転移性肺がんの手術を行った後の経過が良い条件は、原発巣の性格に左右されます。また、転移性肺がんの個数が少ないこと、原発巣の手術を行ってから転移性肺がんが発見されるまでの期間が長いこと、転移性肺がんの進行が遅いなどです」という記事がありました。
 今回のわたしの場合はまずまず条件がいいのでは、と思っています。

 別のサイトを見ていて、肺の一部を切除すると一時的に空間ができるが、ゆくゆくは周囲の肺が過膨張してそれを埋めるという記事を見つけました。気持ちが明るくなりました。

2017年 1月8日
 新年になりました。
 いよいよ今回の最後の治療に向かっていきます。
 予定通り、10日に入院し、11日にラジオ波焼灼の治療です。
 忘れていたわけではありませんが、ここのところ腫瘍の治療は関心の外にありました。

 昨夜、そろそろ入院の準備ということで、病院からもらっている患者用のマニュアルを見直し、インターネットでラジオ波焼灼の記事を検索してみました。ほとんどは以前に見たものです。
 治療時間は1~2時間、気胸による痛みや発熱、息苦しさがないわけではないという記事を読み、少しだけ気が重くなりました。ある大学病院の記事では入院期間は3~4日ということで、早く帰って来られそうだなとも思いました。

 直前の風邪は気をつけないといけませんが、今のところ体調に問題はないようです。
 昨夕もジョギングの終盤で、信号の関係でかなりスピードを上げて200メートルほどダッシュ(?)しました。久しぶりに呼吸を追い込みました。前回の手術以来はじめてというぐらいに。もちろん呼吸は苦しくなりましたが、不安になることはありませんでした。むしろ、これから追い込んだ走り方をしても大丈夫かなと自信になりました。

 ところで、昨年末12月22日に兄が亡くなりました。
 4人兄弟の3番目の兄でした。末っ子の私が、幼い頃最もめんどうをみてもらった兄でした。
 1年前に脳梗塞で倒れ、闘病中でした。
 たぶん、4年前の手術以後、私のことを心配してくれていたのではないかと思います。病床でも。
 三兄の訃報を聞き、新幹線で駆けつけました。
 兄たちはいずれも首都圏に住んでいるので、長い間会っていませんでした。二人の兄とは、それぞれわたしの手術時あるいは手術後に見舞ってもらって以来でした。
 兄たちからすれば、思いの他私が元気そうだったので安心してくれたようです。
たぶん、亡くなった兄も。

1月10日
 入院しました。
 原発部の手術がほぼ4年前。転移した右肺の部分切除が2ヶ月半前。病室の階は違いますが、3回目ということで馴れたという感じがします。
 あくまで予定ですが、これまでの入院よりも短期に終わりそうということで、これまでより精神的な余裕もあります。

 今回施術してくださる先生から治療の説明がありました。
 微に入り細にいる説明だったのですが、一言でいえば、副作用・合併症は起こりにくそうだということでした。
 腫瘍が1㎝ぐらいで比較的小さいこと。腫瘍の位置が、心臓など他の臓器や太い血管・神経からはずれていること、また胸膜から遠い(近いと焼灼する熱が伝わり、胸膜に強い痛みが出ることがあるそうです)こと。
 術前の説明ですから慎重な言い方になりますが、説明を聞いて安心しました。

 以上は昼間のメモです。
 夜になって心境も少し変わり、いろいろな思いが浮かんできます。
 今回は短期間の入院のつもりでいますが、それでも「浮世」から「入院」へのモードの移行というのがあるようです。
 その境界を超えようとする時、不安がからだを包みます。その不安に対して抵抗することを放棄し、「任せる」モードへ自分を変えていきます。力を抜いていきます。水底へからだを沈めていくように。

 今になって、4年前の手術とその後2ヶ月の入院に家族のだれもがよく耐えたなあという感慨があります。以前にも書きましたが、2012年は家族のそれぞれがどん底を経験した1年でした。その最後がわたしの入院でした。
 2ヶ月半前の右肺の部分切除にしても、今から考えるとそれなりにたいへんなことだったのだと思います。
 と、治療の前夜に今までのことを思い出しています。

1月11日
 いよいよラジオ波焼灼療法の日になりました。

 昨夜はよく眠れませんでした。これほど眠れないのは久しぶりでした。
 体調が万全だったからなのか、日中の疲れがなかったからなのか、時々ウトウトするぐらいで朝を迎えてしまいました。
 緊張というよりは、からだの奥の方が興奮していたのでしょうか。不安はありませんでした。瞑想したり呼吸法をしてリラックスしようとしてみたのですが。

 明け方近くになって少し不安になりました。
 若い頃体調がよくない時や心身のショックを受けた時に、いわゆるショック症状というのか急に血圧が下がり全身が苦しくなるということが何度かあったのを思い出したからです。
今日治療中にそんな発作が起きたらと思ってしまったのです。
 けれども、朝になってみると、睡眠不足からか頭がボーッとして不快ではありましたが、やるしかないという気持ちになりました。

 30分遅れで治療が始まりました。
 これまでの2回の手術が全身麻酔だったのと違い、今回は部分麻酔で、意識がずっとあるということがやや不安でした。何もかもすべてお任せして眠るだけというのとは少し違います。
 始まってみると、思ったよりも快適で、不安なことは何もありませんでした。痛みも、事前の説明にあったように、胸膜を貫く時に少しありましたが(注射をするぐらい)、それ以外はほとんどありませんでした。
 うつ伏せで治療を受けたのですが、少しウトウトするような感じで時間が過ぎていきました。
 予告通り2時間ほどの治療になりましたが、それほど長いとは感じませんでした。
 治療全体もうまくいったようで、合併症もなく、痛みや発熱・息苦しさもなく、病室に帰ってきました。治療の前後で体調の変化は何もありませんでした。
 ほんとうに負担・侵襲の軽い治療法だと思いました。わたしの場合は、腫瘍の大きさ・数・位置に恵まれていたということもあったのだと思いますが。

 夕食になって、食べにくいという例の症状(?)があらわれ始めました。

1月12日
 朝早くレントゲンを撮りました。患部はうまく焼灼できていて、肺が縮小するような気胸もなかったようです。
 本を読んだり、パソコンをしたり、テレビを見たりして過ごしました。もう明日退院でもいいのではないかという気分です。
 明日は血液検査とCTがあります。

1月13日
 朝食前に採血と最後の抗生剤の点滴。
 点滴終了後に点滴用のルートをはずしました。
 朝食後すぐにCTの撮影へ。
 ここまでで検査はすべて終了。
 検査の結果が確認・検討されて、午前中のうちに明日の退院が告げられました。
 午後、入院の主担当医から画像の説明をしてもらいました。ターゲットの腫瘍はうまく焼けているとのこと。治療直後わずかにあった気胸も今日のCTではなくなっているとのことでした。感謝。
 1週間ぐらいはジョギングなどは控えた方がいいとのこと。

 入院した日以来、3日ぶりのシャワー。
 20分足らずの、浴槽に入らないシャワーですが、シャワーを浴びた体感は一晩続くものです。ふだん、そのように感じることはないのですが。

 4人部屋は満室だったのですが、今日2人が退院していきました。明日、わたしも含めて残りの2人が退院していきます。
 空っぽになり…、また、入れ替わっていくんだなぁと。

1月14日
 退院の朝。予定通り4泊5日の入院でした。

 まずまずよく眠れました。
 からだには興奮しているような感じがあります。
 興奮というのは少し焦りの気分に似ていると思います。日常でも、自分をせかせるモード=興奮になっていることがあるなぁ、と思います。
 何もかもうまくいった、予定通りの入院と治療ですが、退院の時はいつも少しセンチメンタルな気分になります。小さな旅が終わるなぁという感じです。
 ふだんと少し違う経験の中で、夢中だった、自覚していなかったけれどそれなりにがんばっていた、やはり「興奮」していたんだなぁ、と思います。

 これで、8月末にはじまった肺への転移腫瘍の治療は終了ということになるはずです。
 整形外科、呼吸器外科、放射線科と、それぞれでの経過観察・定期検査が続きますが。
 「死に至る病」は今の時点で自分のからだから姿を消したということでしょうか。もうしばらく、ゆるされた時間を生きていくことになります。

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