軟骨肉腫日録4 術後1ヶ月

 HCUから一般病室へという流れの中で、少しずつ少しずつ何かを取り戻していきました。しかし、どこへ戻っていくのか、どこまで戻れるのか、何もわかっていませんでした。
 また、この1ヶ月をふりかえることもありました。ふりかえる1ヶ月ができていたということであったのかもしれません。

2.14(術後16日目)
「排尿の管が抜けたことで、夜間、看護師に見守られながら歩行器でトイレにいくことになる。
 昨夜は、点滴後11時過ぎ-1時30分-4時30分の3回。
 看護師への遠慮があって尿意を我慢する。

 午前中。
 看護師に風呂場で健側の腕・脚をシャワーで洗ってもらう。その後洗髪。その間45分ぐらい。姿勢を保持することがそれなりのリハビリになる。

 午後。
 体重測定。装具込みで70kg。
 その後、東棟(同じ階の別棟)まで歩いたり、ベッドサイドに坐ったり。

 夕方。
 右頸部の中心静脈に刺してあった点滴のポートをはずす。代わりのポートを、昼間に右前腕に確保済み。
 引き続き、右下腿の手術痕を縫合していた金属性のホッチキスのようなものを取る。かなりの痛みを予想していたがそれほどでもなかった。包帯を巻き直すと思っていたがテープを貼っただけであった。

 今日の処置でずいぶん身軽になったはずだ。
 昼間、ベッド際に坐った姿勢からのスクワットをこっそりしてみたが、下腿の一部にまだ十分くっついていない部分があるようだから、しばらく控えた方がいいのかもしれない。
 医師は歩行程度の運動は問題ないとのことだった。

 娘から夕方2度にわたって電話。」

2.15(術後17日目)
「今までは夜間からだが冷えていたのかもしれない。昨夜から電気毛布でほぼ全身を覆うようにすると排尿の間隔が開いてきた。午後8時過ぎ-0時30分-5時前。

 いろいろな制限がとれてくる中で、左腕の装具が煩わしく感じられることがある。
 特に昨夜は電気毛布を全身にかぶったので、拘束感が強かった。
思えば、術後はほぼ100%拘束されていた。抵抗のしようも、逃げようもなかった。スタッフの技術と介護に、そして自身の自然治癒力に、100%身を任せるしかなかった。
 自分があれこれ考えることには意味がなかった。

 昨日はいくつかの処置や洗髪をしてもらい忙しかったが、それに比べ今日は退屈である。
 午前中30分ほど談話室へ行き、午後は看護師付き添いで棟内を歩く。
うまく歩けなかった頃の名残で右脚に体重をかけるのにためらいがある。痛そうにびっこを引いていると外からは見えるだろう。

 トイレの帰りにStar医師に会う。現在問題なのは、CRPが一定のところで下げ止まり、白血球は下がり始めたもののまだ十分に下がりきっていないとのこと。」

2.16(術後18日目)
「夜間、仰向けの姿勢で自己流の気功(あるいはヨガのナキガラのポーズ)を試してみる。 切除・移植した右下腿と左上腕に気を流す。違和感のあるその部分を、全身のつながりの中、気の流れの中に一体化するというような気持ちで。うまくできたかどうかはともかく、全身に無意識の力みがあるのに気づく。
 考えてみれば、手術前後は何もかも委ねるような気分になっていたが、いつの間にか自力でどうかしようという身構え方になっていたようだ。今の自分は無力なのに。」

2.17(術後19日目)
「昨夕の検温で37.3度、37.0度と微熱。そう言えば昨日は食欲がなかった。
手術後1週間の微熱と違い、不安になる。
 水分不足か、リハビリ重視で安静不足か、それとも脱力・リラックスすることで自然治癒が進み始めたのか。
 一晩脱力して安静に努める。今朝の検温では36度台。

 妻が持ってきたネギ焼きと寿司を食べる。ここのところ食欲がないうえに、病院食の味付けには辟易としていたので助かる。

 妻が娘との2人暮らしについてしゃべる。
 わたしが室内を歩いてみせると、涙ぐんだ。

 妻が兄からの手紙を持ってきた。
 いろいろなことを考え始めなければいけないのだろうか。
 それはよくないという気がする。
 どのような形で退院し、復帰できるのかどうかもわかっていない。
 まずは、その時にその事実をそのままに受け入れることが大切だという気がしている。それ以前に、何ができるか何ができないか予断をしてはいけないとも。
 この3週間、何も考えずにいようとしたし、何も考えられなかった。確かなことは何もわかっていなかったから。よくわかっていなかったからここまでこれたのだと思う。

 私のこれまでの人生の中では異例なことだ。
 今までの私は、予め自分の物語を作り、その上を進んできたように思う。いくつかの分岐点で、どちらの道を進むか決断する時もそうだった。

 自分に都合のよい物語。ほんとうは何もわからずに思い込んでいただけだ。
 何もわかっていなかったという点は、今回と同じはずだったが、今回は物語がなかった。白紙だった。思い込むこともできなかった。

 このままでいいと思う。
 もうしばらく考えないでいようと思うし、これから先はずっと物語なしで生きていこうかとも思う。」

2.18(術後20日目)
「今日で手術後、まる3週間。時間が経つのがはやい。

 朝の血液検査の結果、白血球数・CRPとも規準値内に。
 これで明日から抗生剤も減量されることに。

 トイレに限って見守りなしで歩いていくことが許可される。」

2.19(術後3週間目)
「洗髪してもらう。2回目。

 時間が経つのがはやい。もう3週間。
 3週間前の手術で何かを失ったはず。
それが何だったのか、まだ気づいていないが、失なったものは取り戻しようがない。そんなことを思う。
 たぶん、自身もそれを受け入れていないはずだ。時間をかけて納得していくのだろうか、とも思う。

 夕方、Hill(仮名)医師から棟内自由歩行の許可が出る。」

2.20(術後22日目)
「昨日棟内歩行の許可が出たので、早速昼前に談話室へ行く。
 昨日は雪が降っていたと聞いたが、16階の窓から見下ろす街は陽に照らされている。

 夕方、Star(仮名)医師が、左肩・腕の一部のポイントを残してほとんど抜鉤。

 夜、棟内を一周歩く。」

2.21(術後23日目)
「昨夜は寝つかれず、寝ついた後も2時間ごとにトイレに起きる。
 背中・腰・頸がこっているか。昨日棟内を歩いたり、談話室のイスに坐っていたことが関係あるかもしれない。

 手足を洗ってもらう。
 処置の後でHill医師からシャワーの許可が出る。」

2.22(術後24日目)
「昨夜は、2度トイレに起きたもののよく眠れる。

 ここのところ昼食をキャンセルして差し入れのものを食べることにしていたが、今日はキャンセルしたまま面会がないという事態に。手元にあるもので済ませる。

 それにしても胃のムカツキ。食思不振。胃酸をコントロールする薬が今日から処方される。」

2.23(術後25日目)
「何度目かの土曜日。病棟がひっそりとする。

 点滴がうまくいかず、ルートを取り直す。
 手術以来右手の血管には何本ものルートが取られてきた。採血も、左腕が患肢であるため右腕に限られる。

 点滴は朝昼の2回の抗生剤。たぶんあと数日。その後は内服薬になる見通し。」

2.24(術後26日目)
「取り直した点滴のルートも、1一度使った静脈であるせいか、痛みがあり、今朝はゆっくりと2時間かける。

 胃のムカツキは鎮痛剤の副作用も関係しているかもと、看護師が教えてくれる。」

2.25(術後27日目)
「今日が点滴最後の日になりそうだが、ルートがうまく機能しない。

 午後シャワーで全身を洗ってもらう。1ヶ月ぶり。左肩はそれほど厳密に安静しなくても大丈夫な感じ。」

2.26(術後4週間目)
「昨夜はトイレに行くのが1回だけでよく眠れた。消灯時間間際までテレビを見ているのはよくないか。

 昨夜の抗生剤で点滴は終了。
 薬剤の投与は内服薬だけとなる。毎食後の鎮痛剤(ロキソニン)・胃の保護(ムコスタ)、昼食後の胃のムカツキの薬、朝夕食後の抗生剤。

 これで定期的に静脈に針を刺すことはなくなった。
 ここ数日は点滴のルートで看護師・医師そして私が難儀してきたので、ちょっとした解放感がある。ルートをとるためにからだを起こして体重を支える際も、右腕一本に頼り、酷使してきた。

 ルートの確保に関して、受け手の立場から、技術の大切さを痛感した。
少し大げさに言えば、技術が人を救う。思いやりとか心遣いで救われることもあるが、技術でしか救えないことがある。

 1ヶ月をふりかえってよく耐えてきたと思う反面、それほどでもなかったとも思う。よけいなことを考えなかったのがよかったのだと思う。いや、考えられなかったのだと思う。
 元々それほど考えられないのかもしれない。考える余裕がある時だけ考える、よけいな心配もする。いざとなったらそんなことを考えていられない。
ほんとうに必要なことだけを考える。目の前の考えるべきことだけを考える。いざとなったらそうしかできないのかもしれない。

 時間が経つのもはやい。
 外から見れば、することもなくて退屈で困るように見えるだろうが、自分としてはあっという間に時間が過ぎていく。また週末だなぁと思っていたのに、すぐに火曜日になっている。
 何かに夢中になれば時間ははやく過ぎるというが、何も考えていない時も時間ははやく過ぎる。しなければならないことがなく、考えることがない時、時間はためらうことなく通り過ぎていく。考えることで私たちは時間を立ち止まらせてしまうのかもしれない。

 考えることが、いい意味でも悪い意味でも私たちの生活を彩っていたのかもしれないとも思う。
 この1ヶ月、ただただ時間が通り過ぎればよかった。その時間の中でからだが治癒していく。よけいなことを考える必要はなかった。考えることは治癒とは関係のないことだった。」

2.27(術後29日目)
「現在の懸案は、左腕の手術創のうち十分ふさがっていない箇所が2つあり、浸出液が出ていること。これが解決すると、次の段階、リハビリへ進むことになるのだろうか。

 胃のムカツキ。昨夜から今朝にかけてマシになったか、点滴の抗生剤が体内から消散したからかなどと思っていたが、朝食後残っていてガッカリ。
薬の副作用かもしれないが、自覚的には鼻の奥に幻嗅のようなものが残っていて、喉の奥にかけてエヅキ・ムカツキを誘ってるような感じがする。これは何の臭いだろうか。」

2.28(術後30日目)
「2月も今日で終わり。2月中に退院できるかと思っていた時期もあったが。
 状態が不安定なまま急いで退院しても不安だが、3月半ばには退院しないと妻の職場復帰に支障が出ると、ちらっと思う。

 今日は朝採血、午後からシャワーと上腕のレントゲン。骨の接合ぐあいの確認だろう。

 朝、院内自由行動の許可が出る。コンビニへ行って自分で食品を調達することができる。
 昼、妻と院内のレストランに行く。

 上腕の手術創痕をまじまじと見る。
 少しずつ自分の腕になってきたか、という感じ。
 術後1週間は指を内側から動かす感覚と目で外側から確認する動きとが一致しないという、いくぶんオカルト的な身体感覚があったことを思い出す。」

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