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妄想、フィクションなり

おそらく2016年頃に書いたであろうものです
そしておそらく読まれることも無いだろうと思いますが、note に登録した記念に公開します✨

推敲は全然してなくて、初稿です
素人による妄想的小説に分類され、かなり排他的な不道徳な内容のものだと思っているのですが、頭の中で私が体験したことがない路上生活者を想像して描いたものです故、言い訳をするならあちこちに綻びがあり、限界も感じました
興味のある方がもしも居ましたら読んでみてください
おそらく第一章、早い段階か中盤で挫折をすると思われます


駄目すぎた僕と、君と猫

    序章

 昭和という時代を思い出す時、僕は真っ先に君の顔が頭に浮かぶ。
 街はバブル景気で沸き立っており、皆少し異様と思えるほどに浮かれていた。今にして思えばそれはとても不思議な時代だった。
 僕は今、その坂道を転がり落ちるようにして、高速道路下の路上の河川敷に小さな簡易テントを建てて質素に暮らしている。
 隣には茶トラの猫が住んでいる。
 少し前には公園。またその少し前には駅の通路で暮らしていた。
 最後にまともといえるであろうところに住んでいたのは、家賃3万円弱の湿った日陰のアパートだ。水道の蛇口がきちんと閉まらなくて、いつも雫がポタポタと音をたて、特に眠る前はそれに悩まされた。

 都会は顔が知れないのがいい。
 だが同時にとても孤独でもある。

 アパートを去った後、公園で暮らしていた時に、僕はなけなしのお金でインターネットカフェに通っていた。
 居心地はそんなに悪くなかったかも知れない。しかし時折、楽しそうにひそひそと話し合うカップルや友達同士の会話を聞いてしまう時----。聞こえてしまう時に、僕は恐らく必要以上の寂しさを感じてしまったのだろう。
 僕は精神の歪みを加速させた。
 持ち合わせのお金は、その時にかなり使ってしまった。
 ネットカフェで最後に楽しく話し合ったのは、君だった。
 お互い学生時代から数えると、数十年の付き合いがあった。その時、ささいな----それこそ取るに足らない----問題で、僕は距離を取るようになり、隠れるようにしてすっと居なくなった。最後に話をしたのは、その時のネット上でのチャットだった。
 彼とはそれきりになっている。恐らく僕のこころの歪みに起因している。

 時折、ごおおっとけたたましい轟音に襲われる。
 高速道路のすぐ傍にもう一本陸橋があり、そこを電車が通過する為だ。
 お陰で僕はすぐに現実に帰ることができる。
 僕には橋の下が都合がよかった。
 しかし、暑がりで寒さなどは殆ど気にせず薄着で冬を過ごしてきた僕にとっても、この場所は少々寒すぎた。
 風の音は此処では反響し、大げさにその存在感を誇示してくれる。

 僕は呼ぶ。
「猫ちゃん。おい」
「茶色いの」

 隣の隣人は振り向きもしない。
 だが、微かに尻尾を振って合図をしてくれる。
 僕はそれを見逃さないことで、何とか人間らしさを保っていた。

    第一章  恥の数々 

 * 持ち主のいない携帯

 スーパーの裏の荷物置き場から賞味期限切れのご飯をあさり、申し訳なく出てきた僕を迎えてくれたのは、携帯電話から鳴る小さな振動音だった。
 僕も昔は当然、携帯を持っていた。けれど職を追われ、また再就職をし、そしてまた職を追われ、それを繰り返していくうちにだんだんと全てが駄目になっていった。そうした時期に同時にそれとも決別してしまった。
 携帯電話の振動音に人の温もりを感じたのはこの時がはじめてかもしれない。
 僕は何もかもに疲れ、誰も僕を知らないところに逃げたかった。そしてひたすら逃げて逃げて、逃げまくった。
 その時に恐らく何かとても大切なものを、それと一緒に置いてきてしまったのだろう。

 僕は靴の紐を結ぶ振りをしながら、落し物であろうその携帯電話をそっとポケットに忍ばせた。
 小さな罪を犯した。
 僕はそれを交番へ届け出るよりも拝借してしまう方を選んだのだ。
 役に立つに違いない。

 僕は角を曲がり、あまり綺麗とはいえないベンチに腰をかけると、その携帯電話を取り出した。
 よく見ると可愛らしい携帯で、ストラップも控えめなアクセサリーがついており、不思議と好感が持てた。
 その姿に微かな好奇心を抱いて、僕は画面を表示させることにした。

 ----メール受信 四三件----
 未読の件名がたくさん表示される。

 『相談してみます』
 『少なくて、すみません』
 『残りはもう少し待って頂けませんか』
 『お正月は二九日? 連絡ください 母』
 『月末には、必ずです』
 『少しでいいんです。待ってください』
 『違います!』
 『約束、覚えてなくて』
 『やっとお店についたわー! 早く来てね~♪』
 『払ったら、勘弁してくれるんですか』
 『確認、お願いします』
 『約束した覚え、ないです・・・』

 『・・・』
 『・・・』

 僕は少し後悔をした。
 人にはそれぞれ様々な形で人生がある。
 僕は件名をざっと見ただけでメールを開く勇気を失った。そして居た堪れない気持ちになり、自分を恥じた。しかし同時に僕はそれを投げ捨てることができなかった。僕には数十年来の友人と何らかの方法で連絡を取る術が必要だったからだ。そしてこうなった今では僅かな希望でしかないのだが、もしかしたらもう一度人生をやり直すチャンスを手にすることができるかも知れない。

 凍えそうなほど僕のこころは冷えきっていた。
 とにかく求人サイトが見たかった。
 社会のことも少しは気になった。
 今の総理大臣の名前すら知らない。
 もう何ヶ月も人と話をしていなかった。

 僕は凍える手で、検索ウインドウに「求人・清掃業」と打つと、エンターボタンを押した。
 冷たい風が容赦なくまとわりつく。
 空から水滴が落ち始め、痛んだアスファルトの上に黒い水玉模様を創っていく。
 その雨の雫が携帯の画面に落ちた時、僕は僕か誰か見知らぬ悲しんでいる人の涙なんだと何となく思った。

 そしてその時、またその携帯電話が振動音をたてた。
 ----着信。
 非通知による着信だった。

 僕は何だか怖くなって、その携帯電話をベンチに置き捨てた。
 いや、正確には雨にぬれては可愛そうと思い、ベンチの下に置き捨てたのだ。
 微かな求人の希望も、友人に連絡を取る術も、もう僕の手の中にはない。

 そしてこれから話すことは、その二日後のことである。
 僕の駄目っぷりは、その日を境にさらに加速していった。

 置き去りにされた携帯はいつまでも震えていた。

 * 投げられた川魚

 この人間の男はいつも咳をしている。
 此方が気持ちよく、さあ、これから眠ろうか、という時に限って大きな咳をしてくる。
 私はその度、起きてしまう訳だから、決まって寝不足になっている。
 この男の咳の仕方は、威圧的な乱暴な風ではなく、何処か申し訳なさそうな遠慮を含んでいる。ぎこちない配慮に富んでいる。
 おそらく真剣に身体の調子が良くないのだろう。

 この男は時々、私に話しかける。
 私のことを----茶色いの----と呼ぶ。
 面倒くさいので尻尾だけを振って誤魔化しているが、横目でちらっと見てみると、決まって満足そうな笑みを浮かべている。どうにも気持ちが悪い。気味が悪い。当然私はあまり関わってはいけないような気持ちになる。だが私にとってこの距離感は具合が良く、不思議と心地良い。
 私が以前同居していた人間は、異様に私を撫でたり、持ち上げたり、遊びたくない気分の時に目の前で紐をぶらつかせたりと、ちょっかいが多すぎた。
 私は野良が向いている。この男もおそらく私と同じ部類の生き物だろう。だからこんな橋の下で暮らしているのに違いない。
 私が全く孤独ではないかというと、一応孤独ではある。世界で全く一猫ぼっちだったとしたら、それはさすがに寂しくて耐えられないだろう。故にこうして私は人間の傍に身を置いている。だがちょっかいが多すぎるのは勘弁だ。此方はいつまでも子猫という訳ではない。人間の年齢でいったら五十歳前後になるだろう。落ち着いて人生を生きている。毛並みは若い時のようにって訳にはいかないが、それなりに思慮深く、深みも増してきている。この男もおそらく私と同じくらいの年齢だろう。何かと共通する点が多い。

 最初に彼を見かけたのは、此処から少し離れた場所だった。
 川を挟んで橋の向こうから彼が私に向かって何かを投げつけた。それが出会いである。
 彼が投げつけたのは小さな川魚だった。彼は橋の向こうで釣りをしていた。
 私は魚を好物としていたので、どんな幸運が飛んできたのかと思い、かなり興奮したのを覚えている。

 * 小さな事件

 一昨日の雨以来、それは止んだものの、僕の胸の中では相変わらずじめじめと小雨が降っていた。
 気温はかなり低いのだろう。息が白い。
 僕はテントの中で寝袋に包まれながら、あの携帯電話のことを考えていた。
 僕はあの時かかってきた着信に驚いてそのままそれを置いてきてしまったが、今にして思えば非通知やその他の番号を着信拒否にして、利用できるであろうネット環境は利用したほうがよかったのではないか----などと考えていた。しかし仮にあのまま携帯を拝借して職探しをしたとして、強運の元に良い求人に巡りあえたとしても、結局は何か嫌な感情----後ろめたさのようなもの----を引きずってしまうのではないだろうか。そんな始まり方だとしたら、もしもどんなに条件の良い仕事を得られたとしても、ずっとこころの中に何かを抱えることになりはしないか。そもそもあの多量の未読のメールの件名は僕には少し怖いものだった。そのまま持っていたら何か事件のようなものに巻き込まれていたかもしれない。
 やはり置いてきてよかったのだと僕は思おうとした。それに本来は落し物だから、むやみに着信拒否などをしてしまったら、あの携帯電話の持ち主は人生が大きく変わってしまうかもしれない。電話に出ないというだけで、人間関係はいとも簡単に姿を変えてしまうものだ。
 僕は昔それを持っていた時に、特に気分が落ち込んでいる時などは、メールが来るだけでも嬉しさの半面、重荷だった。鬱病という程ではないと思うのだが、メールの受信音が鳴る度に僕はいつも複雑な気分になった。相手の期待に応えようと、忙しい時でも辛い時でも、できるだけすぐに返事をしようと心掛けていた。しかしどうしても返事が書けないことが多くなった。何度も仕事で挫折をしてそれを繰り返しているうちに、メールの返事をすることがどんどんと難しくなった。そして僕は徐々に誰からも必要とされない身軽な人生を望むようになった。誰も僕を知らない新しい世界に住みたくなった。携帯の電池が切れても充電を急がなくなり、外出する時も持ち歩かないようになっていった。

 ----僕は成るべくして今の僕になったのだ。

 頭の中でこうした堂々巡りの妄想が始まると、僕は何とかそれから脱しようとして寝返りをうったりため息をついたりする。

 はあ----

 度々鳴る陸橋の轟音にも助けられ、ようやく現実に帰ることができた時、遠くで子どもたちの声がすることに気がついた。
 中学生か、または高校生ぐらいだろうか。女生徒である。
 少々騒がしい。
 僕は耳を澄ましてみた。

「あなたの為をいってるんだけど」
「そうだよ。何とかいえよ」

 そっとテントを開けて様子を窺うと、複数の学生が一人の子を取り囲んでいるように見えた。
 真ん中にいるその子は何やら皆から責め立てられ、膝を抱えて俯いている。
 いったい何が起きているのか。

「シャキっとしろよ」
「これ、どうオトシマエつけてくれるわけ?」
「泣いてちゃわかんねえんだよ」
「もうその辺にしとこう?」
「え、楓が被害にあったんじゃないのー」
「どうせ嘘泣きだろ」
「立て、おい。立てよ!」

 尋常じゃない様子だった。
 そしてその時、一人の割と背の高い大柄な子がその中心にいる子を蹴飛ばした。
 それを見て周囲はあざ笑った。
 手を叩いて笑っている者もいる。
 僕は咄嗟に理解した。
 ----いじめだ。これはいじめに違いない。
 僕が子どもの頃にはあまり見かけない光景だったが、今の子ども達のいじめは酷いということくらいは何となく知っていた。

「あんたの大事な妹に全部教えちゃってもいいんだよ?」
「サッチ、そこまでする~?」

 そしてまた皆が笑う。
 大柄な子が、何度も何度もその子を蹴る。
 ----何てこった!
 僕は気がついたらテントから出ていて、その学生達のほうへ向かっていった。
 助けなくてはならない。
 人と話しをするのはこりごりだったが、これは見て見ぬ振りはできなかった。
 助けなくてはならないのだ。

「おい。き、君たち何てことをしてるんだ」
「やめにゃさい。可愛そうじゃないか!」

 少しどもってしまったが、そんなことはどうでもよかった。
 いうべきことはいわなくてはならないのだ。
 僕はこの寒さだというのに、額に汗を掻いているような気がした。
 皆がシーンとなって僕のほうを向く。

「な、何。おじさん」
「何なの?」
「何ってなんだ。この子、な、泣いてるじゃないか!」

 学生達が僕の顔をまじまじと覗き込む。
 僕は子ども相手だというのに、いい知れぬ恐怖を感じていた。
 いじめられている筈の、泣いている筈の子が、不思議そうな目で僕を見た。
 僕はこころの中で思った。
 ----大丈夫だよ。助けるから。
 ----助けるからね。
 だが、泣いている筈の子は、実は少しも泣いてなどいなかった。
 それどころか、今や薄気味の悪い笑みさえ浮かべている。

「おじさん。ちょっと簡便して!」
「うん。練習の邪魔」
「てか、あたし達そんなにリアル?」
「助け入っちゃったしー」

 ん。

「あの、おじさん。これ劇」
「うん。私達、演劇部っすょ」
「これ台本。わかりますか?」

 え----
 皆、片手に薄いピンク色をしたノートのようなものを持っていた。
 だ、台本----
 よく見るとそのノートには『本当の友達、積み木』と大きな文字で書かれていた。
 先ほどまでいじめられて泣いていた筈の子が満面の笑みで僕にいう。

「いじめ撲滅キャンペーンの劇。劇なの」
「怒ってくれてありがたいんですけど、リアルじゃないんで」

 僕は一気に緊張の糸が切れたのか、その場で膝を落として座り込んでしまった。
 急に恥ずかしさが込み上げてきた。
 顔に血がのぼり、頬が急速に熱くなっていくのがわかった。
 実は僕は赤面症を患っていたのである。
 何てことだ。
 気まずい視線を一気に浴びている。
 こうなったらもう一秒たりともこの場所にはいられない。
 僕は殆ど何も言葉にすることができなかった。
 ただただ恥ずかしくて、すぐにでも消えてしまいたかった。

「ごめんね。おじさん」
「親切だったのよね?」

 僕は軽く会釈をすると、「つい----」とだけ一言小声でいい、テントとは逆の方向へ歩き出した。
 僕は、僕のこのテント暮らしの生活を、この学生達に知られたくなかったのである。
 気がつくとかなり早足になっていた。
 後ろを振り向くことは出来なかった。
 冷たい風が頬を撫ぜる。
 だがその程度では、僕の顔の火照りは収まりそうにない。
 あの子ども達が居なくなるまでテントには帰れない。

 僕は数時間後、だいぶ日が落ちてから大きな遠回りをし、テントへと戻った。
 今日は、茶色いの----猫ちゃんに話しかける気力すらない。

* 少年期の過ち

 昨日は妙に疲れて、そのまま眠りに落ちてしまったのか、気がついたら外は明るくなっていた。
 一応寝袋で寝ているのだが、早朝はかなりの冷え込みで、僕は骨の芯まで冷え切っていた。
 昨日はあんなに火照って直らなかった頬の熱も、今ではすっかり冷気に冷やされてむしろ冷たくなっていた。

 僕がこんな生活をしていると、多くの人は僕が不潔で汚らしい人間だと思うかもしれない。だがその実、決してそうではない。最近のこうした屋外生活者は、余程の図太い神経の持ち主以外は、最後の最期、ぎりぎりのところまでいかない限りは皆気を遣って小奇麗にしているのである。
 僕は今から五年程前に起こった東日本大震災の後、防災用に一通りの身の回りの必需品を用意したバッグを備えていた。震災の一年後、仕事をなくして就職活動にも限界を感じていた時期に、僕はその防災用バッグと共に失踪した。なので髭剃りやタオル類、複数の多量の着替え、歯ブラシ、高性能なマスクに至るまで、必要なものは最初の段階から最低限持ち合わせていた。貯金は今では殆どなくなってしまったが、失踪中に無駄なことにお金を使ってしまったとはいえ、生活に必要なものはそこそこ買い揃えることができた。ボディシャンプーなどは箱で買ってしまった為、未だに十本以上も残っている始末である。このテントもその時に買ったものだ。登山用なのでかなりの強風にも耐えられる。手回し充電のできるライト付ラジオもあったのだが、今ではラジオの機能は壊れてしまっていて、ライトのみしか使えなくなっている。ただ何より一番辛いと感じるのは、こうした冬の寒い季節に川の水で髪や体を洗うことだ。川の水は少し独特な臭いがある為、僕は半年程かけて丁度良い髪の洗い方、体の拭き方を習得した。デオドラントのボディシャンプーなので、それを活かして、微かに洗浄剤のぬるぬる感が残っている時点でタオルで拭き取る。こうすることによって川の水の臭みを残さないで済み、臭いを克服できる。実際に街中で周囲の人から鼻を摘まれることは殆どなかった。
 失ったものや、この先得られそうにないことは限りなく増えたのだが、同時にこころの軽さを得た。
 唯一気がかりなのは、仲の良かった友人とのことだ。彼がいつも僕を心配していたことは重々わかっていたのだが、僕は全てを捨てて現実社会から逃げてしまった。だが年をとってくると、恐らく多くの人がそうだと思うのだが、数年に一度くらいしか実際に会う機会はなくなってくる。実は僕が失踪したことはきちんと話をしていない。元々お互いの生活レベルについて話し合うこともなかった為、聞かれることもない。彼は成功していたし、僕はそうではなかった。尚更聞かれることはない。ただ考え方や感じ方、そういった互いの価値観に関してはよく議論していた。僕が今気がかりになっていることの最重要案件はこの件だ。

 僕は幼い頃から精神を歪めていた。
 内向的で口数も少なく大人しかったが、親を心配させない程度に悪さはしていた。
 中学校の時には、空き地となっていた旧米軍キャンプ跡地で焚き火をして小さなぼや騒ぎを起こしてしまったし、普段そうした場所ではよくお酒や煙草を嗜んでいた。もっと遡ると小学校の高学年の頃には文房具の万引きで財を成したし、好きなアニメ映画の関連商品のグッズは、お金をかけずに全て揃えた。しかし今思うと子どもにはとても酷なことだ。大ヒットしたアニメ映画の商品ならば、子どもならば誰だって少なからず欲しがる筈だ。だがそうした商品は、筆箱にしろ絵葉書にしろ、とても高額なのだ。僕は当時子どもながらに、いくらそうしたヒット商品とはいえ、肝心の子どもが買いにくいような特殊な値段で販売されていることにかなりの違和感を抱いていた。例えば普通の筆箱とそのアニメグッズの筆箱とでは少なくとも一・五倍の価格差があった。封筒や便箋などは二倍近い差があったことを覚えている。子どもの為の商品である筈なのに、子どもの僅かなお小遣いでは殆ど買えないのだ。利口な子ならば親にねだって買って貰うか、ぐっと我慢をすることだろう。だが僕はその価格設定の差が許せなかった。悔しくて仕方がなかったのだ。そしてその結果、僕はお金を払わずに全て集めることを決意し、それをやり遂げた。僕は調子にのってそのノリでレコードを集め始めた。CDではなく当時はドーナツ盤のレコードが主流だ。カセットテープは当時ダザかった。僕はレコードに拘っていた。現代ならばインターネットで一曲一五〇円程度でダウンロードできるが、当時はそういう訳にはいかなかった。好きな音楽をいつも聴きたい。あれもこれも欲しい。全部聴きたい。でも僕には僅かなお小遣いしかない。シングル盤のレコードを一枚買ってしまったら、もうその月は他に何も買えなくなる。
 僕はとある有名デパートにいき、一通り好きな歌手のレコードを収穫した。二~三〇枚は紙袋に入れただろうか。当時は防犯カメラがある店は殆どない。チョロいものだ。そう思っていた。だが僕はそのレコード店を何事もなかったような振りで出ようとした時に、店員に呼び止められてしまった。そして店の奥の倉庫のようなところに連れていかれ、小突かれ、罵られ、そして何度も地面に頭を擦りつけられて謝罪を要求された。その時に店員が最後に僕にいったことは、警察や学校に通報されたくないのならこの紙袋の中のどれかを現金で買いなさい。そして買うのであれば通報しないということだった。このレコード店の店員は、子どもの更生よりも店の売り上げの方を選択したのである。僕が社会の厳しさを知った最初の出来事かもしれない。今でこそ僕はあの時に----捕まるべき----だったということができる。しかし当時は子どもながらに内心、警察沙汰にならずに済みほっとしたのである。この話は道徳的に、子どもの立場、大人の立場、そして勿論法的、経済的にも様々な内情を含んでいる。この出来事の意味がようやく理解できたのは、僕が大人になって働くようになってからだ。こうしたことがあった時期に、僕はその友達と仲良くなっていった。そのことを掘り下げして話しておきたいので、もう少しだけ僕の話に付き合って欲しい。

 子どもの頃から我が道を生き、協調性のなかった僕を逸らさずに見てくれたのは彼だった。
 ある日、学校で凧揚げ大会があり、生徒はそれぞれ図工の時間に作った自家製の凧を揚げ、誰か一番高く揚げられるかなどを競っていた。そんなことに何の興味もない僕は当然同乗しない。凧や凧の揚がる高さなど僕にはどうでもよく、先生も特に厳重に監視していなかった為、僕は地面に小さな穴を開け、ゴルフボール大のゴムボールを用いて靴べらをパター代わりにひとりゴルフに勤しんでいた。特に場所を取るでもなく、済まなそうに端っこでやっていたので、さほど迷惑ではないだろうと考え安心して遊んでいた。
 だがそのことを良しとせず、クラスの放課後のホームルームで問題定義をした者がいた。それが「彼」だった。
 殆どの人にとっては取るに足らないことだったと思うが、僕にとっては大きな出来事だった。

「屑木君は、悪いことをしてました」
屑木(くずき)君----とは、僕のことである。
「屑木君は、やらなければならない課外授業で全く別のことをしてました」
「屑木君は、凧を揚げてなかったので、皆に謝って反省しないといけないと思います」
「屑木君は、何をしていたんですか?」
当時の担任の教師がそれを聞き返す。
「僕はずっと見てました。本当です。皆の前で謝ってください」
「何をしていたんですか?」
「屑木君、答えなさい。何をしてたんですか!」

 ----と、こんな流れだったと思う。
 僕が靴べらでゴルフをしていた件を正直に打ち明けると、皆一様に白けてしまい、そこでこの話は終了となり、何事もなかったかのように解散になったと記憶している。あまりに昔の話な為、その後の教師の反応、周囲の反応などは記憶が薄まっていて抜け落ちている。
 ただ、その時に彼が真剣な眼差しで僕のことを訴えた熱意は今でもはっきりと覚えている。
 僕はあまり仲の良い友達は居なかったので、注視されたことに関して、漠然と嬉しさや親近感に似た不思議な感情をその時抱いたのである。
 このことがきっかけで僕らはよく話をするようになり、互いの価値観やその溝などを子どもなりに埋めていった。
 けれど僕にとっては今でも、何故凧を揚げなかったこととあのゴルフ遊びが、ああも真剣に問われたのか、その問いの答えは出ていない。言葉で人を傷つけた訳でも、大騒ぎをして皆に迷惑をかけた訳でもない。少々秩序から外れただけのことだ。
 ひょっとすると彼も凧揚げなどしないで靴べらでゴルフ遊びを満喫したかったのかもしれない。
 その後、僕は大人になってからも、幾度もその謎を彼に尋ねたのだが、彼は決まってこう返した。

「よくそんな昔のどうでもいいこと覚えてるなあー」

 結局のところ僕らは、ある面でとても真面目であり、同時に何処かとてもいい加減だったのである。
 詩的な表現を使って例えるとするならば、彼は大きな木の根っこであったし、僕はその近辺に転がっている石コロの脇に住む小さな害虫だった。
 共通していたのは、互いに太陽の光をとても低い場所で受け止めていたことだ。

* 「主」と呼ぶ

 私は今日からこの人間の男のことを 主(あるじ)と呼ぶことにしようと思う。
 主は、相変わらずあちこち体が痛むのか、苦しそうにしている。咳もあまりよい咳ではないと私は感じている。
 主はそんな体に鞭を打ちながら、日に日に屋外生活者としての経験を重ねていった。
 いったい何処で日々の糧を仕入れてきているのか私にはちっとも見当がつかない。
 経験を積んでいった主は、私がニャアと鳴くといつでもご飯を放ってくれるようになった。
 私が特に媚びを売っている訳ではないことは、きちんといっておく必要がある。
 ただ、彼は私にご飯を放ってくれるようになったのだ。
 理由はわからない。
 それ以外は特にこれといった変化はない。
 私は多少の感謝を捧げてあげることにして、彼を主と呼ぶことにした。
 私なりの優しさである。
 呼ばれ方くらいご主人様的な気分を味合わせてあげてもいいじゃないか。
 この世は持ちつ持たれつである。
 代わりに私は、尻尾を振って主を喜ばせてあげよう。

 そう考えると----
 何だか。
 真の意味での「主」ということなら、それは寧ろ私のほうかもしれない。

    第二章 揺れるこころ

 * 失礼な訪問者

 朝から僕はいったい何をしているのかというと、靴の裏にこびりついてしまった犬の糞を川の水で薄め、それでもどうしても取れずにいる部分を、小さな小枝を使って除去している。こういった話はできれば避けたいのだが、朝起きて顔を洗いに川へ向かったその時に----それ----を踏んずけてしまった。説明するとこうなる。
 僕はいつもこうしたものを踏んでしまう。もう子どもの頃から幾度踏んづけたのか覚えていない。数え切れなかった。幼い頃、公園の砂場で遊んでも、砂の中にされた糞を爪の中に忍ばせるのはいつも僕の役目だった。常にハズレくじを引いていた。そして友人達は決まってこう呼んで僕をからかった。
「えんがちょ!」 
 ----えんがちょ----が今の時代の子ども達に通じる言葉なのかを僕は知らない。もしかしたらとうの昔に死語になっているのかもしれない。一応説明しておくと----えんがちょ----とは、何か汚いものに触ってしまった時に周囲にいる子ども達が、お前は汚れてる。ばい菌だ。あっちへ行けなどというような意味で人をからかう時に使う記号、合図のような言葉である。

「はあー、やっちゃったねえ。踏んじゃったねえー」
「こりゃ、ひどい」
「えんがちょ」

 背後から唐突に声がかかる。
 これは僕が最も苦手としているシチュエーションの一つである。
 見知らぬ他人からいきなり、それも後ろから話しかけられたら誰だって吃驚することだろう。人間とは本当にやっかいだと思った。
 僕は小さな恐怖と大きな不信感を感じながら振り返った。
 すると其処には、全身ヨレヨレの服を着た小柄で小汚い老人が立っていた。
 爪を齧りながら興味深そうに僕のほうを見ていた。
 僕はこの老人の爪の先が真っ黒に汚れていることにすぐに気がついた。

「な、何ですか」
「そんだけ豪快に踏んづけたら、しばらく水につけとかないとねぇ」
「あー。あれかい? 兄さん。あまり足元見ないクチでしょう。ガムなんかしょっちゅう踏んじゃってるんじゃないのかい?」

 この老人は僕を見てせせら笑った。
 嫌な予感がした。悪寒といってもいい。
 老人という生き物はたいてい口が悪く、頑固で自分の考えや主張を曲げないものだ。そしてずかずかと他人のこころの中、境界線の中へと入ってくる。これは多くの老人にいえることに違いない----と思う。勿論、例外的に良い人もいるだろう。思慮に満ちていて人に優しく、温かく接するこころ優しい人もいるだろう。だが僕は不幸にも、そうした優良老人には殆ど会った試しがなかった。強いていえば、それはドラマの中で見るだけのものだった。
 この小柄な老人は、僕の予感が正しければ、間違いなく前者。遠慮のない失礼なタイプだろう。
 そして僕のほうへ一歩近づいた。

「あれだろ。其処の青いテント。住んでんだろ」

 うはあ----
 これは堪らないと思った。

「オラも混ぜてくれよ。オラはな、あっち」
「はい?」
「あっち。あっちの橋の下でな」

 その老人がいうあっちのほうを見ると、遠くの方----かなり遠くに此処と似たような橋があることが確認できた。

「こっちの暮らししてまだそんなに日がないでしょう」
「冬は堪えるでしょう」
「はい」
「そういう綺麗な格好してるうちはまだまだ。うん、まだ全然。入り口にちょこっと入った程度。これからよ。大変なのは」
「そうですか」
「です。ですですよ。兄さん」
「あー、おい。ちょっと何だな。その靴オラに貸してみな」

 老人は僕の手から素早く靴を奪った。そして川のほうへ赴き、其処で激しく靴を洗い出した。

----こうやって」
「勢いよく洗わんと」
「取れるもんも、取れんてな!」
「なあ?」
「す、すみません」

 そして一通り洗い終わると、びっしょりと濡れてしまった靴を激しく地面に叩きつけた。

「これでよし。と」
「まあ、あれだ。乾くまでしばらく履けんがなあ」

 僕は軽く会釈をして礼をいった。そしてそれに被せるようにして、老人はそのしわくちゃな手を小刻みに振りながら「いいってこと」といって僕の言葉を遮った。そして「兄さん。もう少し下をちゃんと見て歩けな」といった。僕は「はい」と答えたが、実をいうと僕はいつも下ばかり向いて歩いていた。胸を張って真っすぐ歩く習慣を幼い頃から持ち合わせていなかった。しかしそうして歩いていたというのに僕は何かしら踏んづけてしまう傾向にあった。どうして下を向いて歩いているのにこうなってしまうのかは僕の人生の小さな謎の一つだ。

「おい!」
「はっ」
「はーってお前、何ボケっとしてる。聞いてなかったか?」

 そういえば僕は今、一瞬自分の世界に入り込んでしまっていて、何かこの老人が話しかけていたらしいことを聞き逃してしまっていた。
 僕は一度自分の世界に入り込むと、周囲の音や人の声が環境音のようになってしまい、聞こえなくなることがよくあるのだ。

「しっかりしてくれな。まだボケる歳じゃないでしょうに」
「はい」
「まあ、何だ。妄想でもしてたか?」
「いえ。その----
「オラも若けぇ時はよくやった」
「そのな、妄想ってのは良くない。人生を破滅させるでな」
「はあ----
「うむ。オラにゃお前さんの人生がどういうもんだかはさっぱりわからねえが、下を向いてそうやって考えてるとろくなことにならねえ」
「まあ、真面目。なんだろうがよ?」
「はい」
「妄想してな。色んなこと考えて悩んで。で、そうすっと気持ちがぐわあって暗くなって。気がつくとお空も真っ暗で、お月様も出ちゃってなあ」
「そんでお前、一日よ。一日分、人様と差がついちゃってる」
----
「オラもそうだ。気がつくと仕事もこうなって、こっちの住人になってしまってな」
「まあ、お前さんにもいつかその癖が終わる時が来るだろうがな。その時はもう遅かったってな」
「オラもお前と同じだったでな」
「ですか」
「ですです。よ」
「何か、何だ。つまらねえこと話しちまったかな。あはは」
「あは----
「オラはな」
「はい」
「オラはその。もう」
「オラは----

 そこまで話すと急に老人は黙ってしまった。目を細め空(くう)を見つめると、今度は俯き小さなため息をついた。そしてゆっくりとしゃがみこむと手の平で地面を数度叩いた。そしてやや照れくさそうに笑みを浮かべ、今度は僕に背を向けた。僕はこれまで少々鬱陶しいと思っていたこの老人が何故か急に人間らしく思え、同時にひどく悲しく映った。勿論、深刻な状況という訳ではないが、僕にはその姿が居た堪れないほど哀れで、悲しく感じられた。僕も同じ痛み、似た悲しみの中に住んでいるのかもしれないと思った。
 そこで僕はちょっとしたアイディアを思いつき、老人に待っていてくれるように頼むと急いでテントへと戻った。何かの時に開けて飲もうと思っていたコップ酒を、その老人に渡したいと閃いたのだ。

「あの。これ、どうです? 賞味期限がアレなんですけども」
 老人は振り返り、それを見ると大きく目を見開き「いいのか? こんなもの」と僕に問うた。
 僕は「靴を洗って頂いたので、お礼です」と返事をした。
 老人は目の前の地面にそっとそのコップ酒を置くと、大げさにお辞儀をしてみせた。そして手を合わせ小さく目を閉じ、二度ほどうんうんと頷いた。

「ありがとよ。兄さん。洗った甲斐があったってもんだな。あはは」

 甲斐あって老人は笑顔を取り戻した。
 僕もつられて少し笑った。

「でもな。これは持ち帰らせて貰うとするかな」
「寝る前によ。一人こっそり飲みてえじゃねえか。あはは」
「そうですか。じゃ、そうしてください」
「あははは」

 僕は何か少し良いことをして感謝されているような気分になり、心地良かった。
 安物のコップ酒がそこそこのワインかカクテルのように思えた。
 僕らの世界に賞味期限はない。

「おい」
「揺れてる。揺れてるな」
「は?」

 あ----

 そうなのである。
 今でも時々こうして小さな揺れ、そして時には大きな揺れが起こる。
 五年程前の東日本大震災以来、ちょくちょくこうした揺れが日常的になっていた。

「揺れてますね」
「縦揺れがなかったから、遠いかな」
「はい」
「忘れた頃に揺れやがる」
「揺れるとこう----何だ」
「頭の中がぐらぐらってなって」
「ふらふらってなって。気持ち悪くなって吐いて。んでスッキリして」
「どしてだかわかるか?」
「どうしてですか?」
「そりゃな。お前、頭が、脳がな?」
「御陀仏になっちまってる証拠。御陀仏よ」
----
「で、揺れたらな?」
「ああ、揺れました。揺れちゃいましたねえ。ただの地震ですね。はい、お終い。と、こうでなきゃいかん」
「はあ----
「そうしてるうち、はいってな感じで片付けられる」
「そうなったら、これと一緒でつまらねえ妄想癖も、はいってな感じで片付いて、気がついたら治っちまってるだろう」

 そうか。
 そんな単純なものなのか。
 しかし----
 その通りだ。
 そう通りなのだろう。
 おそらくそうに違いない。
 そうあってほしいと僕は思った。

「ですね。そうだといいです」
「でも、あの。お言葉ですが、僕の場合は妄想ではなくて空想なんです。現実と非現実の区別はついているんで。こう見えて」

 妄想という表現は自分で使う場合は何ともないのだが、いざ他人にいわれると訂正したくなってしまう。空想といえば何処か可愛らしいのだが、妄想となると突如病的な感じがしてしまうからだ。

「空想もな。度が過ぎたら妄想よ」
「オラがさっき何年こんな暮らしをしてるのかって聞いた時、お前さん。ボケーとして宙を見てたじゃねえか。一点をよ」
「そうだったですか」
「ああ。逝っちまってるってピンと来たな」
「だがな。何でもかんでも考え込みなさんなよ。あれこれ考えて妄想してると、気がつくと浦島太郎に----なんてことになってしまうでよ?」
「年寄りからのお言葉だと思ってよーく覚えとけ?」
「はい」

 浦島太郎----
 僕はその例えに小さな違和感を覚えたが、とりあえずこの場は「はい」と答えた。どうして違和感を感じてしまったのかというと、浦島太郎は龍宮城にいってさんざん良い思いをした後、お土産に豪華な小箱を貰い、その箱を開けたらお爺さんになってしまった----という話だったと記憶してるからだ。僕はそんな夢のような良い思いは経験してこなかったし、妄想している間に気がついたら突然お爺さんになってしまう訳はないと思った。寧ろ考えている時間はとても長く感じるもので、実際僕のこれまでの人生は長かった。とても長かった。

「お前さんと話してると、異様な間(ま)があるわな」
「はい?」
「ああ、どれ。ちょっくら長居をしちゃったかな」
「これ、ありがたく頂きますよ」
「あ、いえ。気にしないでください。靴洗って貰っちゃって」

 老人は僕が先ほどあげたコップ酒を嬉しそうに持ちながら数回お辞儀をした。
 そして最後に一言こういった。

「体、大事にな」
「その、お前さん。あまりいい咳じゃないような気がしてな」
「ゴホゴホってのがずっと止まらないからな」
「冷えんように。長生きしてくれな」
「あ、ありがとうございます」

 そういわれてみれば僕は時々咳き込んでいた。しかしこれは長いことそういう癖があって----万年咳というやつで----自分ではすっかり日常の一部になっていたので、心配されたことに少し驚いてしまった。たまに胸が鈍く痛んで寝つけない程度であり、他は何ということはなかった為だ。

 僕も数回お辞儀をして、その小さな老人の背中を見送った。
 今晩は美味しいお酒が飲めますようにと、こころの中で呟いた。

 その後、テントの中で陽が落ちるまであれこれと妄想して過ごした。
 その長時間に渡る妄想の結果、僕は一つの結論に達した。
 今日訪ねてきた老人は、現代の浦島太郎であるというものだ。
 自分でも馬鹿馬鹿しい考えであると理解はしていた。だが僕の感情はそれに逆らわず従った。
 悲しい人生を送ってきた先の老人は、妄想して過ごした時間の末に自らの人生を破滅させてしまったが、人が生きていく上で、それはおそらく長く生きれば生きる程、自分の人生を振り返った時に豊かな良い思い出が欲しい筈だ。必要な筈だ。そんな彼の希望が、ちょっとした例えを用いた時に現れてしまったのではないだろうかと。そうであるなら、龍宮城のような夢のような思いを経験して老いてしまった人生と、世界中のその他大勢の中の一人、即ち名もなく世に何も残せずただひっそりと孤独に誰にも知られることなく消えゆく人生と、どちらが幸福なことだろう。
 人生はあっという間だという人もいる。しかし妄想に陥って人生の多くの歳月をそれに費やしてしまった人に於いては、それは当て嵌まらない。だとするなら、長い苦悩の末にあった人生であるなら、良い思い出があったほうが幸福に決まっている。
 だから今日僕が話した老人は、浦島太郎なのである。
 そうあって欲しいのだ。
 この説が正しいかどうかは置いておいて。

 ----浦島さん。
 今日は為になる話しをありがとう。
 そして、明日には靴が乾くと思います。

 あれこれと思考が止まらなかった為、僕は掛け算の九九でも唱えることにした。
 ----弐人(ににん)餓死。兄さんがローソク。西が鉢。
 ----産地が酸。酸、苦(にが)ロック。散々、灸。
 ----死人が蜂。資産、自由に。
 ----厳しい。 

 そうこうしている間にすうっと睡魔が襲ってきた。
 まだ寝るには早いけど、横になってみようと思います。
 おやすみなさい。浦島さん。


↑という感じで、やや書き殴りな小説ですが書いていました
第二章、中盤から不快なシーンが織り込まれるため、さすがに割愛します

簡単に説明すると、この後、女生徒による主人公のテント訪問(フェミニストに嫌悪されないように気をつけて書いたくだり)をはじめ、地震に対する恐怖からくる悪夢のシーン、妄想によって精神が徐々に破綻していくくだり、また典型的ですが、路上生活者にある身の危険などです
襲撃される展開がどうしても書けないという苦難のオチに嵌りました

よってこの小説自体は、全体の半分の段階で投げ出したんです
技術的にも精神的にも書ける気がしませんでした素人によくあることなのでしょう(嘆

しかしかつて、一作だけ最後まで書き上げたことがありました
ページあたり18行で、220ページくらいの感じの中編小説です
ジャンルはまた別物でエンターテイメントです
この小説とは違い、一応他者の意見を聞き推敲を繰り返し、年単位で5稿まで修正を重ねました  

公開して無反応というのはそれは非常に恐ろしいことですので、アップをすることは避けておきます
ここまで理解し難いものではなく、より理解と共感を得られるものだとは思うのですが

さて…それはともかく
これ、ここまで読んだ人って存在しますか😅

↓付録です

問題の第二章を割愛した後、この物語がどのように展開していくのかを追記します
以下、続きです


    僕は思った。

 いつの時代にも「それ」はある。
 何処かの誰かに振りかかる。
 決して消えてくれないストレスの向かう先だ。
 優劣や上下関係、人と関わる上で「それ」は静かに付きまとい、時に大きな牙を剥く。
 社会構造が生む『疲れ』の副産物なのか、人という生き物の根本的な性質なのか、僕にはわからない。
 この国には昔からある。
 おそらく村八分という言葉ができるその以前からある。
 いや、これはこの国だけに限ったことではないのだろう。
 競争や奪い合いのあるところ。
 地位や名誉といったものがあるところ。
 一見、成熟した社会のその陰に潜んでそっと人を蝕んでいく。

 僕は三度目に就職した会社でのことを思い返した。
 職場の仲間が皆、ある日突然、僕と目を合わさなくなった。
 誰とも会話が成り立たなくなった。
 挨拶をしても、仕事の内容を質問をしても、誰からも何の返事も返ってこなくなった。
 痛い記憶だ。
 彼女もそんな痛みの中にこころを置いているのだと思った。
 だが、情けないことに僕はその場限りの対処をしたのみだった。
 上手く言葉を掛けられなかった。
 よく知り合っていないということもあったが、こころの中に未成年とは深く関わってはならないという壁もあった。
 結果、僕は何もできなかった。
 いいようのない後味の悪さを抱いた。
 しかし同時に、この距離感でいいのだと、自分を納得させようとした。
 それは、自ら選択したこの屋外生活者という愚かな立場の言い訳から。

        *

 彼女と直接会ったのは、これが最後だった。
 その後、僕の元に一通の手紙が届いた。 
 僕のテントには住所がない。
 そっと置かれていったのだ。

 僕は思う。
 彼女はきっと、良い役者さんになる。
 それは僕が保障する。
 何の保障もない保障を、僕はしたい。

僕の心臓は大きく波打った。

    * 泣きたい夜

 主(あるじ)は夜になると時々声を潜めて泣く。
 今日もそんな夜だ。
 私は時々居た堪れない気持ちになり、どうしたものかと真剣に悩む。
 声をかけようにも、彼方(あちら)は人間、此方は猫だ。
 主に猫語はわかるまい。
 私はこれでもこころの優しい猫だから、勇気を持って行動することにした。
 こういった男に近づき何かしらのアクションをとるというのは、それは勇気のいることだ。
 私は今、真に神に試されようとしていた。
 私はそうっと主のテントの中に入り、声をかけた。

「ニャァ。ニャア。フニャニャニャァー。ゴロゴロゴロ」

 尻尾を振り、ひっくり返ってお腹を見せるサービスも付けた。
 主は私に気がつき、目をキョトンと見開き、こういった。

「な、なんだ。お前」

 ----何だはないだろう、この無礼者!
 私は即座に天を仰ぎ、祈りを捧げた。

 おお、神よ。
 どうか、この無礼で無知な人間をお許しください。
 そしてこの罪深き人間をどうかあなたのお導きにより----

 あ。

 念のためいっておくと、私は一応クリスチャンである。
 プロテスタントだ。

    * 侵入者

 昨夜、僕のテントに----茶色いの----が侵入した。
 尻尾を振り、何か奇妙な仕草をしたかと思うと、またすぐ出ていってしまった。
 あれはいったい何だったのだろうと考えていた。
 猫とは不思議な生き物であり、つい笑ってしまうような可愛いところを見せたかと思うと、今度は急に不機嫌になって臍(へそ)を曲げたりする。
 猫の精神構造とは、いったいどうなっているのだろう。
 茶色いの----この猫は殆ど人を怖がらない。
 もしかしたら昔は人に飼われていたのかもしれない。
 今は訳あって捨てられてしまったのか。
 それとも、元々人を怖がらないタイプなのか。
 しかし、何とも穏やかな訪問者だ。

 僕は彼の居る方向を適当に予想し、一礼した。

「また遊びにおいで」 

    第三章 崩壊 

 * テントに横たわるもの

 その朝のことは、ぼんやりとしか覚えていない。

 遠くでけたたましいサイレンが鳴っていた。
 そしてそれは徐々に近くなっていった。

 ----警報。

 その時、僕は顔も知らぬ男性から声をかけられた。
 知り合いだっただろうか?
 僕には全く覚えがなった。もしかしたらこの男性は、僕が転々と職を変えていた時期に知り合った仕事関係の人かもしれない。

「クッキー。此処はかなりやばい。終わりになる」
「すぐ荷物を纏めてできるだけ離れよう」

 僕はその言葉の意味が示すものを理解していた。
 それは昨日起こった大きな揺れのせいだと容易に想像ができたのだ。
 やはりあの発電所は駄目になってしまったのか。

「早く!」
「ボケっとするな」

 「クッキー」とはお菓子のことではない。パソコンでインターネットをするときにブラウザに残る履歴のことでもない。
 僕は、屑木純太(クズキ ジュンタ)。それが僕の名で、人呼んで「クッキー」。
 僕は、僕とあまり親しくない友人や仕事仲間に対しては、皆に「クッキー」と呼んで欲しいとそう話していた。理由は、稀に苗字を変に改悪して呼ばれることがあったからだ。普通に呼んで欲しかった。それは僕が子どもの頃からの小さいな願いの一つであった。時に不快な呼ばれ方を経験してきた。「クズっち」だとか「クズちゃん」だとか。「クズたん」などは堪らなかった。だが、これまでの人生で最も嫌な呼ばれ方はこのうちのどれでもない。
 ----その呼び名は「クズ吉」だ。
 子ども頃、家の近所にあった「又吉」という小さな飲み屋からもじって創られたあだ名だ。その「又吉」の二階にあるアパートに住んでいた一ツ橋大学生の妹を自称する目のツリあがった痩せっぽちの女の子が、僕をのことを「クズ吉」と呼んでからかった。その子の年の離れた兄貴は、一ツ橋大学に通っていたのではなく、実際には一ツ橋ゼミに通う浪人生だった。その子の家族、家系は何かと学歴に拘った。そのツリ目の女の子も、貧乏な家柄なのに何故か私立の小学校へと通っていた。

「クズクズしてないで早く逃げて。此処に居たら危ないよ!」

 そのツリ目の子が僕にいう。

 ----そうだった。
 ----また過酷事故が起きたのだ。
 ----らしいのだ。

 僕はあの震災の当時、度重なる余震と、職を無くしてしまった精神的なショックも重なって、放射線の人体への影響などを詳しく学ぼうという気持ちになれなかった。そんな余裕もなかった。いや、本当のところはそうではないかもしれない。目を向け、それを直視することができなかったというほうが恐らく正確といえる。
 昨日の地震はその震災を思い起こさせた。それくらい酷く激しいものだった。
 川も氾濫し、僕は高台に避難をして難を逃れたが、僕のテントや少ない荷物は流され、もう元の場所にはなかった。

 皆がいっせいに僕に叫ぶ。

「クズちゃん。逃げろ」
「クズっち。あっちの列」
「クズたん。手を離さないで」
「クズちん。間に合わない。荷物は諦めろ」
「ボケっとするな」
「あたしの兄ちゃんは一ツ橋大学に受かったんだよ」
「ねえ。聞いてる? クズ吉!」

 ----クズ吉。

 ----や。
 ----やめろ。
 ----やめろ。
 ----やめてくれ。
 ----呼ぶな。
 ----好き放題に呼ばないでくれ。
 ----普通に呼んで。
 ----普通でいい。
 ----普通がいい。
 ----「クズキ」でいい。
 ----「クズキ」でいい。

「く----
「クズキでいいいーーー!」

 ----

 そこで目が覚めた。
 呼吸がしづらい。
 胸に鈍い痛みが走る。
 目覚めの悪い朝だ。
 僕は時々、こんな嫌な夢を見てはうなされている。

 びっしょりと寝汗を掻いてしまった為、すぐに寝袋を裏返す。
 こんな日は決まってテントの上にそれが横たわる。
 風で飛ばぬよう紐でしっかりと固定する。
 今日は、雲ひとつ無く晴れていた。
 これは寝袋にとって救いといっていい。

「本日は晴天なり。です」


では、また会う日まで( ・_・)ノ

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