遺族的マイノリティ 後編
ページを丸めて菊水の菊花のようになっていた文庫本は、生前の妹の愛読書なのだった。
「何度もおなじ本を読んでるので、五回くらいは読んだんか、ってきくと、『五回くらいやあらへんよ』って……」
「あの本は?」と聞くと、ケーちゃんがこたえた。
妹が好きだった食べ物。
子どものころは、トマトと鶏肉。トマトは、ことにあのトロンとしたゼリーのところ。鶏肉は、皮。私は、両方苦手だった。まさに、妹が好きなゼリーの部分と皮のために。気持ち悪かった。ことに鶏の皮はあのなまなましい鳥肌。見ているだけでこちらにまで鳥肌が立ってくる。
通夜の式のあと、控えの間で食事をしながらそんな話しをした。結婚してからはどんな食べ物が好きだったのか。アカリやミクの好物の話しは聞けたが、妹のことはわからなかった。
病院で検査のあと、おにぎりを三個ぺろりとたいらげて、「今日は、調子がいい」なんて言っていたという話しをケーちゃんがした。たかだか、おにぎり三個で調子がいいって……。
「解脱、ってああゆうことかなぁ、って、目の当たりにした気がする」
家に帰ると沙彩が言った。
「え、どうゆうこと?」
「だってそうでしょう? 柩のなかにあふれていた、幸せそうな、家族の思い出の写真。柩をとりかこむ、悲しみにあふれた人たち。つまり、これは、煩悩の嵐なわけで。そんな煩悩の嵐がふきあれるなかで、しかもその煩悩の嵐は薫子さんのために吹き荒れているというのに、ただひとり、平然と、我関せず、うっすらと微笑みまでうかべて安らかにしている。これが解脱でなくてなんなんでしょう?」
「ああ、たしかに」と私も思った。私たちが妹のために、泣こうが、わめこうが、騒ごうが、本人はもうまったく関心がない。たしかに。羨ましい気もした。
遺骨の一部をもらってきた。カタチからして、たぶん脊椎骨のひとつだろう。台車で骨が運ばれてくると、なにか焼き魚のような臭いが充満した。今まで何度か骨を拾ったことがあるが、こんな臭いがしたことはなかった。みんな涼やかなカルシウムの匂いだった。骨を砕く、作業着を着た係の男の手つきが、いやに事務的だった。まるで、ベルトコンベアーで働く作業員の手つきだった。おまけに、手元に置くためにつまみ上げた骨を、取り落としたりした。
「もうすこし、丁重に扱ってもらえませんか」
「はい。すみません」
侘びる口調も機械的だった。
骨は墓に納めるお骨と、そのほかすべてのお骨とに分けて、それぞれの箱に入れた。
初七日も、やっぱり、ベルトコンベアーで運ばれていくひとつの過程で、読経による洗浄といったところか。読経はまるで中国語だった。こんなところまで人手不足の影響があるのか、と私はつくづく暗い気持ちになった。
「これは、亡くなられた多くの方の骨でつくられた仏様です」
初七日のあと、まるで工場見学のようにつれていかれた本堂で、初七日の読経とは別の、頭を丸め法衣をまとった係の男が説明した。
体育館のような本堂のなか、やはり体育館の演壇のような台の上に、白い大きな大仏が安置されていた。京都の寺で、ふるい仏像の顔に馴染んでいる私には、あまりよい顔つきには思えなかった。
「この仏様のしたに、二万五千人ほどのお骨があり、故人の骨もここに帰って行きます」
ああ、この人だったか。通夜で読経のあと、「お言葉」とかで、よくわからない話しをしたのは。寺で育った私は子どもの頃は帰宅するといつでも「おかえり」と迎えてくれる人がいた。大学に入って下宿すると帰宅しても「おかえり」といってくれる人はいなかった。そんな迎えてくれる人がいることのありがたさ、しあわせ。いま、故人も仏に「おかえり」と迎えられているのです。……
家に帰ってから、沙彩と話したものだった。
「通夜の時や葬儀の時、ユーミンが流れてたのは、まあ、妹が好きだったからいいとして、坊さんが入場するとき、雅楽なのはなんで? 格闘技の選手入場でもあるまいに。厳かな雰囲気を出そうってことかもしれへんけど……。BGMなんかいらんやん。それに、葬儀屋の連中は坊さんに媚びすぎ。噴きそうになったよ……」
頭を丸め法衣をまとった係員に連れられて、喪主、遺影、遺骨を持った、ケーちゃん、アカリ、ミクが、そのあとから、親族や私と沙彩がつづいて、狭い通路を歩いて行った。通路はぐねぐねと曲がりくねり、やがて、ちょっとした空間に来ると、係員は足をとめた。
「ここが、大仏様の真後ろにあたります」
もったいぶった仕草で観音開きの扉を開けると、L字型のドアノブのような取っ手のついた壁が現れた。よくみると取っ手のところは引き出しになっていて、係員は鍵をさしてひねり、引き出しを曳きだした。ミクから遺骨の箱を受けとり、蓋をとらせ、箱をひっくりかえしてガラガラと骨を引き出しのなかに押し込むと、引き出しを閉じ、また鍵をかける。
「皆さんも合掌お願いします」
厳かに係員が言い、みなが手をあわせると、係員は読経しながら、取っ手をガチャリとひきさげた。ゴロゴロ、と音がした。どうやら引き出しの底は滑り台のようになって、骨は大仏の尻の下におさまった、ということらしい。
「このように、故人は二万五千人のお骨とひとつになり、仏のもとに帰っていきました。ご安心ください」
「なんだか……」と私は思った。公営住宅の、ダスタシュートを思い出した。
来るときは気がつかなかったが、壁はガラス張りの棚になっていて、白い焼き物の壺がならんでいた。壺には、人の名前や法名が記されていた。そういえば、入口の机のうえにあったパンフレットに、「特別供養料 パーソナル 壺込 ……円」とあったのは、これらのことだったのか。
初七日のあと、式場にもどり、お斎をつづきの控えの間ですませた。次の葬儀の用意があるというので祭壇の間は立ち入りができなくなっていた。引き戸のスキマからちらりとなかが見えた。妹の祭壇のままに、ただ、遺影と柩が更新されている。お斎のあとすぐに帰るつもりだったが、「どうか家に寄って、お参りしてください」とケーちゃんに言われて、妹の家に寄った。グーグルマップの画像とは違って、ちゃんと家が建っていた。手狭なリビングダイニングにはテーブルと応接セットが詰まっていて、散らかり放題で、足の踏み場もなかった。頭を丸めていない、黒いスーツの係員がちいさな仏壇のある部屋に、インスタントな祭壇を設置した。四十九日まではここに、二万五千人のなかに還っていかなかった方の遺骨を祀っておくのだ。
アカリとミクが、今度また誰々をうちに呼んでパーティをしよう、と話しているのが小耳に入ってきた。妹がメールで「よかったら遊びに来てくださいね(^-^)」といってきた家。係員が帰っていき、誰かがお参りをどうぞ、と言ってくれるかと思ったが、ケーちゃんも娘たちにくわわり、ソファに座りこんで三人で話をはじめている。これが、妹が見に来て、といった家だった。今時すぎる家。白い壁紙を貼り、天井や床をつけ、狭い階段で上と下に分け、窓をくりぬいた……箱そのものの家。おそらく、家の頭金はあの叔母の遺産からにちがいなかった。アカリの学費も、叔母の遺産からにちがいなかった。妹のことだから、たぶん、ミクにもおなじ額を割り当てているにちがいない。通夜の時、妹のスマホに「骨髄腫瘍」について検索した形跡がある、とケーちゃんが見せてくれた。胸骨に空洞がある、というので、なにか感づいていたのだろう。つづいて、妹が自分名義の預金を、ケーちゃんやアカリやミクの口座に移していた、という話も聞いた。「そんなことしなくても、死んだらちゃんと配分されるでしょう?」「それが、お義兄さん、最近の銀行はいろいろうるさくて。たしかに配分されますが、本人じゃないと、時間と手間がかかるんですよ」。そんなもんなのだろうか。いくらなんでも、賢婦、賢母すぎるよ、おまえは……。こんな家まで残して。けど、おれにとっては、愚妹だよ、ほんとに。そういえば、葬儀場からこの家まで、私たちを乗せてきた軽乗用車も、妹の車だと、ケーちゃんが言っていた。待っていてもらちがあきそうにないので、私はインスタントな祭壇の前に静坐し、沙彩も一緒に、あの遺影に手をあわせた。手をあわせて目を閉じ、遺影は見なくてすんだ。箱に収まったわずかな骨と顔写真だけの妹。
四時間ほどかかって、JRを乗り継いで、うちに帰ってきた。
玄関のドアを開くと、後ろから沙彩が言った。
「お清め、せえへんの?」
「べつにええやろ。焼き魚でもあるまいに」
それに、妹は他人というわけでもない。
すぐに、お茶の用意をした。
主客の席に、白骨が三個。父親は大腿骨の一部。縮んでしまって、大腿骨のようには見えないほどちいさい。黄色い色や赤い色がついている。生前に服用していたなにか薬のせいでこんなふうに白骨が着色してしまうのだと、参列した誰かが言っていた。つぎに、母親の骨。どこの骨だったのか。生きていたころの優柔不断な性格そのままに、骨も砕けてしまってもとの形を留めていない。この骨を見るたびにいつも思い出す、母親は結局自分の意思を通せなかった。庄屋もしたような良家の娘が仕事を持つなんて、と親に反対されて、なりたかった教師にならなかった。肺結核になり、療養先で父に出会った。落ちぶれた下級士族のなれの果てで、仕事もない父に。いや、父は他家に養子に出された、あの父の叔父の家業である運送屋を手伝っていたが、肺結核になり療養生活をして治りはしたものの、治療代という名目であずけていた給料は全部叔父にとりあげられた。そんな父と、やっと吹けば飛ぶような弱小企業に職を得た父と、「蝶よ花よ」と贅沢し放題の娘時代とはうってかわって、母の公営住宅での惨めな貧乏暮らしがはじまった。さらに、父の、身持ちの悪い腹違いの姉のために希望まで取りあげられた。希望回復の期待を、夫ではなく、息子にかけた。息苦しくなった息子は大学進学という「合法的家出」をし、帰らなくなった。つづまるところ、母は、田舎の「良家」のつまらない世間体や見栄のために人生を台無しにしたのだった。そして、そのとなりに、妹の骨。
「なんでまた、母親とおなじ道を」と、ケーちゃんとの結婚が決まったとき、私は思ったものだ。実家の印刷屋が潰れて、職をなくしていたケーちゃん。そのケーちゃんとの結婚。なんとか鳶の職には就いたが、公営住宅暮らし。子供ができると妹も勤めを辞めた。今は宅配便の配達員に落ち着いているケーちゃんだが、都会でないかぎり、歩合でかせぐこともままならない。 「いえ、家。こんなところに住んでるから、あんたたちもまともに育たなかった」。それが、母の口癖であり、夢だった。家を持つこと。自分の持ち家に住むこと。母とおなじ道を選んだとはいっても、その点では、おまえは、しあわせだったのか。たった四ヶ月にすぎなかったにしても……。
私は、ふかいため息をついていた。
妹の骨は、父や母の骨にくらべて、若いだけあって、しっかりとしているように見えた。ただ、しっかりしている理由が、見当たらなかった。なんで、こんなにしっかりした骨が、ここに、並んでいないといけないのか。
この家族のなかで、肉のついた世界にただひとりとり残された私。奇妙に、肉のなかに埋まっている骨のことが意識された。いま、こうして茶筅を振っているのが、肉のこびりついた骨にすぎない気がした。脳や神経や筋肉がはたらいて体を動かすのだが、そのなかでただひとつ、骨だけが動かないものだと、強く意識された。その一方で、まるで肉を操っているのは、これら骨だと、そんな気がした。肉を透かして、骨だけがくっきりとうかびあがって見える。
お茶が点った。一碗の茶を、父に一口、母に一口、妹に一口、残りを私と、四人でまわして飲んだ。そのあと、沙彩に一服点てた。
私はため息をつき、つくづく、白骨の三客をながめた。そして、また、ため息をついた。
「なんで、こんなことになったんやろうな」
話しかけるともなく、沙彩に言葉をかけていた。
「父親と、母親と、妹と……。三人、白骨で、雁首そろえて……」
私は、また、ふかいため息をつていた。
「父親と母親は、まあ、いいやろう。そんなもんやろう、年上なんだから、こうなっても。……ただ、そこに、妹の白骨がくわわるなんて……。そんな情景を、いま、見ることになるなんて……」
「お兄ちゃん、ごめーん」
「そらな、七十歳、八十歳になってからなら、こういうことも、まあ、あるかもしれん。そんな歳になったら、二歳、三歳の違いなんて、誤差の範囲内やろ。しかし、今、五十代でこんな目に遭うなんて、な……」
……兄不孝も甚だしい……。
「ごめん、お兄ちゃん」
聞こえてくる妹の声が、あまり深刻そうでないのが、解せなかった。ちょっとしたイタズラがばれちゃった、そんな感じで、微笑ましいのだ。
あのな……
「あっちで、お父さんと、お母さんと、三人で仲良くやってるから」
ほんとか?
「うん」
ほんとに、三人で仲良くやっている様子が、丸窓からのぞき見ているように見えてくる。
「待ってるから」
……なに?
「待ってるから。お父さんも、お母さんも」
何って?
「待ってるから。はやく、お兄ちゃんもおいで?」
あのな……。おれは、まだこっちにいる。それに、死んだって、お前らとは一緒にいたくない。
「ほんとに?」
私は、また、ため息をついていた。
「なんか、……頭に浮かんでるんだけど……」
私は沙彩に話しかけていた。
「むこうで、三人が、ほっこりやってる様子が……」
「それは、よかったやん」と沙彩。
また、私はため息をついていた。
「いいのか、悪いのか……」
そして、私はつけ加えた。
「よくよく考えてみると、おれにしてみれば、ただ、G市があの世になっただけかもしれない……」
そう、私のなかで、妹は、すでに、遠い、薄い存在になっていた。家を出てから四十年近くものあいだ、時々会うことはあっても、積極的に会いたくて会っていたわけでもなく、なにか用があるので会っていただけの、そんな関係。だから今さら、妹の肉体がこの世から消えてしまっても、あまり現実感もないようだった。妹がいなくなったからといって、今、直ちに日常生活で支障を来すわけでもない。これまでどおり、遠方にいるのと何も変わりない。ただ、その遠方が、私にはどうにもできないほど遠くなった。そして、ただ遠いというのではなく、未来に渡っても、もう、妹とは話ができなくなった。むねが圧し拉がれて、とても息苦しくなる。私の肉の一部が殺ぎとられて、その部分が重苦しい暗闇に覆われてしまっている。もう何も、未来の妹とのことは、想像ができない。もっとも、今までだって、妹のことでなにか未来を想像したことなどなかった。会って話すといった些細なことでさえ、一度も想像したことはなかった。だが、想像しなかったからといって、想像できないわけではなかった。想像する必要もなかっただけで、想像できないのではなかった。想像しなくても、場合が来れば話すことになるのと、想像したところで話すことができないのとはまったく違っている。
私は、また、ふかいため息をついていた。
とはいえ、それだけといえばそれだけだった。妹が死んだことで、こんなにも何度も、こんなにもふかいため息をつかなければならない理由は、どこにも見つからない気がした。ケーちゃんや、アカリやミクのように、今この瞬間から、日常生活に甚大な支障がでるわけではなかった。
「ほんとに、おれにとったら、ただ、G市があの世にかわっただけ。たったそれだけのこと……」
四十九日の連絡があった。葬儀からまだ二週間しか経っていなかった。手が離せないことがあって、ケータイに出られずにほおっておいても、しつこくベルが鳴りつづけた。用事を済ませて確かめると、ケーちゃんからだった。こちらからかけ直し、日時、場所などをきいて、電話を切った。もう、そんな話し……。頭をまるめて法衣をまとったあの係員から「ちょうど日曜日だからこの日に」と連絡があったという。「家でやりたい」と希望を言ってみたものの、「その日はほかにも法要が多いので寺でやります」と。寺とは、あの寺だった。体育館のようなホールに寺的な装飾をほどこした、二万五千人の白骨でできた大仏が鎮座するあの本堂。憂鬱だった。まだ、二週間しか経っていないのに、もう、四十九日の話し。それに、そもそも四十九日とは何なのか。ネットで調べると、まだこの世をさまよっている死者の魂があの世へと旅立つ日、なのだそうだ。滑稽で、乾いた笑いがこみあげてきた。
「おいおい、死んだ人間はこの世に四十八日もいれば十分だから、さっさとあの世へ行け、だって」
私はちょっと妹に話しかけてみた。
「けど、それをいうなら、もう、おまえはあの世で、家族三人、仲良くやってるよな」
父と母と妹、三人が丸窓のなかにいる様子が目に見えた。
「あの世とこの世を行ったり来たりで、なにか不都合ってあるのかな?」
「それに、いわゆる未開民族のなかには、死者の魂が自分たちとおなじ世界にいて、生前のように生活していると考えている人々もいた。結局、死生観の違い、ってことだろう? あの頭まるめて法衣をまとった係員たちの死生観には、与したくないよな」
ただ、世の中にはこの死生観に与しているものの数は多かった。積極的に信じ込んでいる者もいれば、そういうことはよくわからないし、普段関心もないから、いざとなるとどうしようもなくなって、長いものには巻かれろ、そっちのほうの「専門家」である頭を丸めて法衣をまとった係員に任せておこう、といった輩だ。四十九日の法要とは、結局、仏教的世界観・死生観をもとにした儀式にすぎなかった。さすがに、「仏教的死生観を生きているわけではないので」とは書きづらくて、「よんどころない事情で」とぼかすことにして、四十九日には行かない旨の手紙をしたためた。ただ、それをにおわすために、「葬儀では、故人の顔を最後に見る機会を与えてくださり、ありがとうございました」と書き添えておいた。
憂鬱だった。「実の妹の四十九日に来ない兄」とは一体、どんな人間だろう? ケーちゃんやアカリやミク、ケーちゃんの親族はどう思うだろう? それを考えるとひどく憂鬱になった。仏教的世界観に生きていない私と世間体を気にする私。その私のあいだで板挟みになった。手紙をしたためてからも手紙を出せずにいた。しかしはやく行かないなら行かないと連絡しないと、向こうにも段取りがある。その段取りのことまで考えて、こんなに連絡をせかされているのも憂鬱になる原因のひとつだった。もっとゆっくり考えたかった。葬儀から二週間も経てば、もう、十分時間はある、ということなのだろうか。そして、四十九日も経てば、さっさと故人はあっちの世界に送り込んでしまえばいい、とでもいうのか。妹が死んでから、二週間も経っていた、ということは発見だった。もう、二週間。まだ、二週間。死んだこと自体、はっきりしなかった。ケーちゃんやアカリやミクならば、たちまちに生活に支障ができる。ごはんを作ってくれた人がいなくなってごはんを作らなければならない、そう、ケーちゃんは四十九日の電話で「夕ご飯を作らないといけなく大変です」とこぼしていた……朝起こしてくれる人がいない、部活の応援に来てくれる人がいない、いっしょに買い物に行く人がいない、小言を言ってくれる人がいない、いっしょに笑ってくれる人がいない……。だが、私ときたら、妹が亡くなったことで、実際の日常生活にはなにひとつ支障はないのだ。その意味では、妹は、すでに、もう、私のなかでは希薄になっていた。半分、棺桶の中に脚を突っ込んでいた。あっちの世界の人になりかかっていた。妹にとって、それは私もおなじだったろう。それにしては、からだが、おもい。何をしても楽しくない。ため息ばかりついている……。
お茶をしても、あいかわらず、客の席でぐったり体を横たえて、釜肌に見入っている。そして、ときどきため息をつき、こころのなかで呟いている。
「あのな……。なにやってんねん」
「ごめん、お兄ちゃん」
一体何度妹は私に謝っていることか。私にとってはその場しのぎの、ひとつの救いにはちがいなかった。そう呟けば、左肩のあたりにまた妹の気配を感じることができるのだった。いなくなってしまった、いままでも遠くにいて希薄になってしまっていた妹を、このときだけは取り戻すことができた。
なにかが違っていた。いや、世界は何も変わっていなかった。沙彩は会社に行き、私は家で食事をし、買い物に行き、その途中湖はバラ色の夕陽でかがやき、道ばたの桜は葉を落とし、あの家の犬は無駄吠えをし、株価はあがり、さがり、時刻どおりにJRの列車は駅に入り、駅を出、あの中学生たちは話しながらすれ違っていき、風はふき、道のアスファルトや階段はそこにあり、あの家も、この家も、そこの家も点在し、ミルクは百六十八円、米が特売で四百円びき、信号は点滅し、あのおじさんとすれ違い、挨拶し……世界は、回っている。ただ、なにかが違っていた。ここではない、どこか……。私はいらだってもいた。なにかが違う。その違うものは何なのか。その違う理由がなんなのか。探し当てられなかった。沙彩にも何度となくおなじことを話した。
「なにかが違う。なにかが違うけど、それがなんなのか、よくわからない」
ある日、啓示がおりた。目の前がさっくりと開けていった。
「違う生き方。今までとは、ちがう、生き方……」
「ただ、違う生き方、といっても、こんなのとは違うんやけど。たとえば、サラリーマンが会社を辞めて田舎暮らしをする、とか。共産主義国が資本主義に転換する、とか。地球から火星に移住する、とか。三次元が四次元になる、とか。出家して、坊主になる、とか……。こんなのは、僕にしてみれば、全部おなじ。変わったようで、何もかわってない。そんなのとは違う、別の生き方……」
行き詰まった。今までとは違う、別の生き方を考えても、所詮、食うものは食わなければならない。なにかしらの生活というものはしていかなければならない。食わずに、生活などしない、生き方。仙人になっても、かすみや石を食わないといけないというなら、それもあたらしい生き方とはいえない。妹のあの顔が思い浮かんだ。幸せにみちた「思い出の写真」にうまり、人々の嘆き、悲しみ、泣き声のうねりにのみこまれ、そんな煩悩の時化のなかにいながらも、平然と安らかな微笑みをたたえているあの妹の笑顔。
私はまたため息をついていた。
「そんなの無理に決まってる。生きている以上、食わないではいられないし、なにか生活はしなければ生きていけない……」
それがもどかしく、苛立たしい。通夜の夜、柩の枕元で、ひとり、沙彩がメモ帳に般若心経を書いていたのが、目に浮かんだ。ところどころ思い出せないところがあり、帰宅してから、あらためて般若心経の本をよみなおしたりしていた。
「悟ったところで、結局、何も変わらない。空が即色であることがわかっても、色が即空であることを知っても、結局、この身は、食うことをやめられない。食うことをやめられず、何も変わらない。今までとおなじ生活がそこにあり、なにも、変わらない。見た目の生活は変わっても、生活自体をやめることはできないし、捨てることもできない。金満家には金満家の生活があり、貧乏人には貧乏人の生活があり、ホームレスにはホームレスの生活が、坊ズには坊ズの生活がある……結局、おれがおもっている別の生き方なんて、生きている以上、できないってことらしい……」
ドライアイスの褥に横たわり、やすらかな死に顔にうっすらと微笑みさえたたえていた妹。あの妹が、すこし羨ましかった。
「おまえは、だから……」
あんな謝り方なのか。なにかちょっとしたイタズラがばれてしまったくらいの、お茶目な、軽い謝り方。
「ごめーん、お兄ちゃん」
ユウウツ。ゆーうつ、ユーウツ、ゆううつ。憂鬱
「なーんか、なんやけど」
「なーんか、どうしたん?」と沙彩がこたえた。
「ユウウツ」
ユーウツ、ゆううつ、憂鬱。
「昼間はいいんやけど、なんか夜になると憂鬱になる。こないだの日曜にモッコクとか剪定したやろ、ああやって体動かしているうちはいいけど、そのあとが。とくに、あんなふうにからだ動かしたあとは、ひどい。動かさなくても、夜は、なんか、憂鬱になる」
夕食を頬張りながら私は話しはじめた。もう、二十三時半を回っていた。沙彩が帰宅するのにあわせて夕食をつくり、よほどでない限りいつも一緒に食べた。
「朝も。ほら、一回トイレに起きるやん、そのあとが眠れない。べつに、なにかが気になってる、っていうわけでもないけど、なんか、眠れない。なので、朝早く目が覚めて、一日眠い。まあ、寝付くときはいままでどおり、すぐに眠っちゃうみたいだけど……」
妹のことがずっと気になっている、というわけでもなかった。思い出すときや考えるときはあるが、それ以外は特に気になっているわけでもない。葬儀から三週間経っていた。まだ、四十九日の返事はしていなかった。ただ、気分が重かったり、体が重かったりした。お茶をしてもあまり楽しいわけではなかった。ときどき、なにかちょっとしたことで気分がやけに昂揚するが、その昂揚の仕方が、以前とはなにか違っている感じがした。なにかに圧迫されていて、それに押しだされているか、反発しているか、そんな感じで、不自然な気がした。自分の気持ちなのに、なにかに強制されているみたいだった。突発的な昂揚がおさまると、憂鬱の闇はさらに重く、粘っこかった。あきらかに、鬱につかまっている、と私は自覚していた。やり場のない鬱がなんとかならないか。ネットでいろいろ検索してみた。「喪失鬱」というものがあるのを見つけた。家族や恋人など、大切な人を亡くしたときに陥る鬱。まさに、これだろう。チェック項目があったので試しにチェックしてみると、当てはまるものも当てはまらないものもあった。なかには、「食べ物の味を感じない」というものもあったが、それはちがう。「ひたすら涙が出て止まらない」といわれると、涙などむしろ出ていなかった。妹が癌だと知らされたとき、すこし目が潤んだ気がした。あとは葬儀の時、なにかのタイミングですこし涙ぐんだ覚えがあるが。「死の事実が現実とは感じられない」、「悲しいという気持ちがおきない」。言われてみればそうかもしれなかった。そもそも、三十年以上も離れて生活していて、たまに会うくらいだった妹は、すでに私のなかでは希薄な存在になっていたわけだから、死によって、私の生活にも劇的な変化がもたらされたわけではない。日常生活において、物理的な面だけではなく、感情的な面でも、妹はあるいみすでに私のなかでは遠く、希薄な存在であったのだから、いまさら、「死」が強く、意識されるわけではなかった。生きているときと、あまりかわりない。ただ、未来に、話す機会がなくなっただけ。それが息苦しい。だが、「悲しい」とは感じていない。「死の事実が現実とは感じられない」、「悲しいという気持ちがおきない」とは、あまりにも強いショックのために、思考や認識や感情が停止してしまっている、そんな状態を意味しているのであって、私のような状態を指すのではないだろう、と私は思った。
「それで、これは、今のおれは完全に鬱状態にあるんやろうな、って、ネットでいろいろ検索してみたんやけど……」
「うん」
私はネットで得られた知見をハキハキと話した。
「……ま、そういうわけで、そんなに、重症でもないらしい。『食べ物の味がしない』とか『食欲が減退する』とか、それはない。あいかわらず、うちのマーボはおいしいし」と私は今夜の食事のことでにっこりして、
「まあ、それに、ある製薬会社のでは、『あなたは、健康です』って。ま、もっとも、製薬会社のは鬱状態ではなく、うつ病かどうかのチェックだから、そんな結果でいいわけやけど……」
私はまたため息をついた。
「けど、なーんか、ゆううつ」
さっきまではあんなに快活に感じていた私の知性が、いまは、しおれた草のようにぐったり。不自然な昂揚、とはこのことだ。
「なんかへんやろ? 話し方が。変に昂揚して……」
「そう? ダンナはいつも、そんな感じだよ。なんか、話しはじめると機関銃みたいに止まらない……」
「そう? 外から見たらおなじにみえても、おれのなかでは、なんかへんな感じなんやけどな……」
「そうなら、そうなんやろうけど……。ダンナのこころなかまでは、よくわからない……」
「それは、まあ、そうやろなあ……」
はあ……と、また、私はため息をついた。
「ほな、憂鬱そうには見える?」
「憂鬱かどうかはわからんけど、よく、ため息はつくね」
「あ、それはそうかも。気がつくと、また、ため息ついてるって、自分でも思う」
「ため息ばっかりついてると、せっかくの幸運も逃げて行っちゃうよ」と、結婚前の沙彩がそんなことを私に言ったことがあった。妹が死んでから、ため息をつくたびに、その言葉が頭のどこかに引っかかって、それで、また、ため息をついた。当時のように、幸運が逃げて行っちゃうからため息をつくのをやめよう、という気にもならなかった。こんなにため息ばかりついてたら、沙彩がまた何か言うのかと思わないでもなかったが、何も言わなかった。そんな言葉、もう、忘れてしまっているのか。それとも……。妹のことについては、こちらからなにか話し出せば話を聞いてくれるが、沙彩から何か言ってくることはなかった。
「昔の中国のもの、とくに儒教のものとか読んでると、『喪に服す』っていうと、それ用の小屋に閉じ籠もってなにもせずその期間を過ごす、っていうんやけど、それも、なんか合理的かなぁ、って」
妹の葬儀のあと、特に数日のあいだ、奇妙な感覚があった。頭が働いているようで働いていない、といった感じだった。「上の空」というのでもない。なにかを考えながら、家事をしたり、手を動かしたり、作業をする、ということは日常といえば日常で、そのときは、それでも作業の方にしっかりとした注意がむいていた。いろいろと考えをめぐらせながらウォーキングをすることも珍しくはなく、周囲にもしっかり注意を向けていた。それが、なにか違っていた。ほかごとなど考えず、そのことに注意を向けているという意識はあるのに、どこか欠落した感覚なのだった。たとえば、道路を横断しようとして、自分ではしっかり左右を見て、車が来ないのを確認して渡っているつもりなのが、注意に死角ができていて車を見落としてしまう、そんな感覚なのだった。うっかり、ではなく、自分では確かに車が来ていないことを確認したのに、実際には車に気づかない……。道路を横断するときだけではなく、歩道と車道の区別がないような道では、意識的に注意を払っているにもかかわらず、背後からの車に気づかないかもしれない、そんな気がした。外出するのが限りなく危うく思えた。よく読んだ、ある海外の評論家が、母の死後十数日して路面電車にはねられて死んだ、という、大学生のころ目にした記事がふと思い浮かんだ。当時は「そんなもんかな」くらいにしか思わなかったが、そんなことになるのはこんな感覚なのだろう、と納得してしまった。電車にはねられる瞬間の彼の感覚、頭のなかのことなどが手にとるようにわかる気がした。まるで自分の身に起きたことのように、回想さえできそうだった。いくら意識して注意を払っても、注意は空回りして、背後がまるで死角になって、闇に覆われて見えなくなってしまっている気がした。
「こんな時は、何をやっても、危うい気がする。だから、小屋に籠もって何もしない『服喪』っていうのも合理的かな……って」
夕食のヤキソバに入れるニンジンをタンザクに刻みながら、私は沙彩に言った。葬儀から三週間ほど経った今はその頃ほどひどくはなかった。そう、ニンジンは刻めるのだった。ニンジンを刻んでいて、指を刻むこともないだろう。指先や包丁を持つ腕には注意や意識は行き届いている。ただ、その注意や意識が重苦しかった。この注意や意識をするために私の存在のほとんどがついやされていて、話しかけているにもかかわらず、沙彩のことがまったく見えなく、感じられない。刻むことに意識が集中して、あるいは、無我夢中で、必死で、周りが見えなくなっているのとも違っていた。注意や意識を集中しようとしなければ、私自身が、雲散霧消してしまいそうなのだった。からだを動かして剪定などの作業をするがそのときは救いになっても、あとで、消耗がひどいのはそういう理由なのかもしれなかった。からだを動かして作業をしようとすれば、私は意識を集中しなければならなく、そのことによって重苦しさに霧のようになって消えてしまいそうな私を、なんとか保っていられる。ただ、そのためにとてつもないエネルギーが必要で、作業のあと、さらに鬱の谷底の闇が深くなる。
「それにしても、どうしたらいいのか……」
ヤキソバを食べながら、私はまたため息をついた。今は、沙彩は目の前にいた。
「なかなか、ないんだよね、こういう、今の僕みたいな立場……」
「うん?」
「妹に死なれた……。それも、どちらも結婚していて、家族もあり……。離れて生活していて、たまに、用事があったら会うくらい……」
「そんなことはないでしょう、兄弟、姉妹は昔から、昔の方が多いんだから……ダンナとおなじ立場の人がそんなにいないわけないと思うけど……」
「そう、たしかに、そのとおり……。なのに、ネットで、検索しても、ぜんぜんヒットしない。どころか……、そう、よく考えてみたら、物語や、小説や、映画や、ドラマや、漫画や……ないやろう? 僕みたいな立場の人間が主人公の話って? そう、親に死なれた、子に死なれた、配偶者や恋人に死なれた……そういう人間が主人公のものは掃いて捨てるほどあるけど……。兄弟でも、まだ子どものうちで一緒に暮らしてるとか、そういうのはあるにはあるけど……」
「それは、そうかも……。だって、やっぱり、そうじゃないと……話になりにくいんとちがう?」
「うん、そう、そのとおり」
「劇的だもんね、親に死なれた、子に死なれた、配偶者や恋人に死なれた、っていうのは。感情的にも、ドラマチックな展開にしやすいし……」
「だよね、ドラマチックな典型的な悲劇にも、そこから立ち直る、感動的な物語にもなるし。……ところが、僕ときたら……、悲劇っていうにしても、いわば、薄められた悲劇、だし……」
「そうよね、今のダンナみたいな立場でなんか話しを展開するにしても、せいぜい、ダンナの回想みたいな形にするとか……けど、あんまり、もりあがりそうにないし……」
「そう、兄弟・姉妹が世の中にないわけじゃないし、僕みたいに別々の生活をはじめてから、下の子に死なれた兄や姉がいないわけないやろう、けど……どうせ、物語やドラマにするなら、僕の立場より、ケーちゃんやアカリやミクの立場で、っていうのが、正統で、正解だよな、きっと……。ぼくみたいなのは、そういうドラマの、脇役ぐらいでは、ちょいっと登場するのかもしれないけど……」
「たしかに、そうかも……」
「いや、べつに、僕はそんな物語やなんかの主人公になりたいとか、そういうことじゃなくて……。ないんだよね、ぜんぜん、そういう立場の人間がどうなのか、っていうことが。ケーちゃんやアカリやミクのような立場については、どうなるか、どうするか、どう振る舞うか、いろいろあるわけ。ところが、僕の立場だと……」
「そうね、いろいろモデルがある、ってことよね、彼らの場合は」
「そういうこと。ひとは、美も、笑いも、悲しみも、学ぶものだから、彼らの立場だと、知らず知らずのうちにそういうものを自然に学んできていると思うけど……自然に学んでくることができると思うけど、こんなにあふれてるんだから……。ところが、僕の立場ときたら……。彼らの立場から見た僕というのはいろいろ登場するといえば登場するけど……。たとえば、彼らに優しい言葉をかけて悲しみをなぐさめる伯父……」
「だから、こんなに混乱しているのかな、とも。とにかく、思い当たるものが何もない。彼らの立場からではあっても、僕の立場からではない……」
「薄められた悲劇、とはいっても、じつは、根は深い。妹っていうのは、僕にとっては、『あってあるもの』だったわけで。物心ついたころから、身近に、すぐそこに、いるものであったわけで。物心つく前もふくめて十何年間も一緒に暮らしてきたわけで、たまたま、それから三十数年離れて暮らしていていまは希薄な存在になってはいても、その根っこは深いわけで。配偶者や恋人のように代替がきく存在でもないし。まあ、子どもなら養子というのもあるけど、義兄弟のちぎりというのはあるにしても、義兄妹っていうのは、きいたことない。いや、妹が結婚したことで、僕とケーちゃんは義兄弟になってるわけだけど、直接なってるわけじゃないよね。そういう間接的な義兄弟じゃなくて、直接、義兄妹の契りを結ぶ、なんて、まったく聞いたことない。変だよね、直接の義兄妹なんて。義兄妹になるくらいなら、むしろ、結婚だよね。そう考えると、『あってある』兄妹というのは、なんかちょっと特別な関係のようにも思えてくるし……。儒教的な発想では親子の縁というのをことに特別視、重要視するけど、それよりは希な関係かもね。それに、今回は、妹が先に死んじゃったわけだから。年もまだ若いといえば若いし……。とはいえ、まだ年の若い母親に死なれた娘たち、その夫は、メジャーな悲劇といえば悲劇、だよね。メジャーな遺族……。それにたいして、僕ときたら……」
私の脳天をとつぜん閃光がつらぬいた。
「遺族的マイノリティ」
そう、遺族的マイノリティ……。
「性的マイノリティとかいうけど、遺族的、マイノリティ……」
口にすると、私を覆っている闇が引き裂かれ、あかるく開けていくのを感じた。私の行く手を照らす、灯明。どんなありがたい経文や説教や法話や、あるいは、生と死に関わる思想よりも、今は、たった一言、この言葉こそが、私の闇を明るく照らした。不思議だった。たかだか、こんな言葉が。こんな名詞が。他人からしたら、ただの無味乾燥な名詞にすぎないだろう。内容なんて何もない。生まれたての、言葉……。
悲しくないはずなどなかった。三十年数年も離れて暮らしていて他人のようであろうが、用事があればなんとか話しをするくらいであろうが、日常生活に支障を来さなかろうが、悲しくないはずなどなかった。
悲しみが胸にあふれてきて、やさしく視界が滲んでいた。
やっと、私は妹の死を悲しんでいいのだと、思えた。
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