メイ


 別れた恋人の夢を見るのは久しぶりだった。夢の中で僕らは街で不意に会い、少しだけ会話をした。彼女と話すのは八ヶ月ぶりだった。僕たちはたまたま互いが隣り合って立っていることに気が付き、どちらが話しかけるでも無く言葉を交わした。それは僕にとってすごく意外なことだった。別れてからの僕らは一度だって話をしなかったから。どこかで僕らがすれ違うと、彼女はばつの悪そうな表情を浮かべて視線を落とした。そこにはある種の怒りや嫌悪まで感じられた。僕はそれが不思議だった。どうして彼女はあれほど不快そうな顔をするのだろう?僕らは互いを傷つけてあって別れたのではなかった。それはあくまでも現実的で実際的で、友好的な別れだった。僕の乗っていたバスに彼女はそれ以上乗り続けていられないから、彼女は先に降りた。そんなような別れ方だったから。けれどそれから後で僕らは一度も話をしなかったし、僕らの間に話すべきこともなかった。僕にしたって、今でも彼女のことを好きなのだけれど、それでも彼女に伝えたいことは一つもなかった。
 夢の中の僕らには、互いに声をかけるべきだと言う確信のようなものがあった。僕は彼女に話しかけても良いのだと感じたし、彼女の方にも同じ思いがあった。昨夜の夢の中の僕らはそうやって話をした。何を話したのかは覚えていない。その会話によって僕らに何か変化がもたらされたわけでも無かった。けれど僕は彼女と話せたことが嬉しかったし、その喜びの分だけ、目が覚めた後の辛さは大きかった。彼女の夢を見た日はいつだってそうだった。八ヶ月の間毎日僕が感じていた辛さは、夢を見た日にはいつも、より強いものになった。

 夢の中で僕は彼女の右腕を見せてもらった。そこには小さな傷があった。それはいつか僕と彼女が二人で散歩をしていた時に、彼女が植え込みの枝先で作った切り傷の跡だった。僕は彼女が僕の隣にいる時に傷付いたことがとても悲しかった。僕の隣で、どのような形であれ彼女の肉体が(そして心が)損なわれることに耐えられなかった。その日僕らはそのまま二人でドラッグストアに行き、アルコールティッシュで間に合わせの消毒をした後で僕は彼女の腕に絆創膏を貼った。血はなかなか止まらなかった。散歩の後で彼女のアパートの前まで僕が送っていった時も、血はまだ染み出していた。「私には自然治癒力があるんだよ」彼女は僕の隣でそう言った。それは彼女なりのメッセージだった。彼女は僕がいなくても自分自身を健康に保つことができるのだ。

 夢の中で彼女はスウェットの袖をめくり、僕に右腕を見せた。あの時の傷跡は塞がっていたけれど、薄い色素の沈着として僕はそれを見てとることができた。それはとても薄い跡だった。そこにかつて傷があり、血が流れていたことを知らなければ気付かないくらいの跡だった。でもそこには確かに血が滲んでいたのだし、今でもその跡は残っている。僕はそのことが、少し嬉しかった。彼女に傷跡が残っているということは、ある意味では僕にとって辛いことだったが、それ以上に僕は、彼女にまだ僕と言う存在の(より正確に書くならば僕といた時間の)跡が残されていることが嬉しかったのだと思う。僕だけじゃないんだ、と思えるからかもしれない。短かったあの頃を覚えているのは僕だけじゃないんだ、と言って欲しかったのだと思う。

 彼女と別れてからは、僕にとって彼女は死者に等しかった。僕たちはもう、二度と道を交えることが無いのだと言う強い直感と、そして確約があった。その日のうちに僕たちの間のあらゆるコミュニケーションの橋は焼き落とされ、僕たちはそれに備えて実務的な対話を何時間も続けた。そしてあらゆる物(観念的な物も物理的な物も含まれていた)の所在や権利について話し合い、敗戦処理のような手付きをいくらか終えた後で、橋は落とされた。それからはずっと、僕の側の世界は静かな生の国であり、遠い向こうの彼女の世界は死者の国だった。橋が落とされてからも、僕は毎日川岸へ立っていた。かつては橋を渡って向こう岸へ行けたけれど、今では岸と岸の間には深い霧があった。その霧の中には足場というものが無かった。その中にはただ寂しさと、力強い拒否があった。僕は一度だってその霧の中へ歩いていかなかったし、何かを差し伸べたりもしなかった。僕が持ち得る自制心や理性というものは全て、彼女の住む岸に何らかの働きかけをしないことに費やされた。それは僕にとってとても辛いことだった。ほんの数日前までは彼女と話し、歩くことに使われていたエネルギーのような物が、全て彼女から遠ざかるためだけに使われていた。

 それでも僕は、彼女にとってのいい人間であろうとし続けた。以前にも増して僕は僕という人間をより良いものにしようと努めた。それは死んだ家族の部屋を掃除することや、墓前に綺麗な花を供えることに似ていた。八ヶ月が経って、それは僕に何一つもたらさなかった。100パーセントの徒労だった。けれど僕はそれを意外だとは思わなかったし、腹も立てなかった。初めから分かっていたし、分かった上で僕はそう暮らしていた。

 もう戻れない時間や思い出は、再現不可能性と言う性格によって、神話に近いものになる。僕にはもう、彼女にまつわる思い出のどこまでが本当にその時の僕が感じていたもので、どこからが八ヶ月の間に、五月から今日までの間に、僕が書き加えた脚色なのかの判別がつかない。僕にはそんな神話を壊す必要がある。そしてそれは僕にとって、ただただ寂しくて空しい。

 

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