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日傘をさす女性

 「彼女の足元に咲いている、この花の名前は何だと思う」
教員が僕にそう聞いた。
「花の名前にはそれほど詳しくなくて」僕はそう答えながら、絵に映るのと同じ色の花にはひとつだけ心当たりがあるな、と思った。
照明が全て落とされた教室の中にあって、天井のプロジェクターが映す絵には明るい黄色の花が咲いていた。日の当たる場所のような黄色の花だ。
「菜の花ですかね」その花がどのように咲いていたのか、僕はもうあんまり覚えていなかったけれど、絵の中の花の明度と記憶の中の花のそれは似ている気がした。
「そう、菜の花だろうね」教員は僕をまっすぐ見てそう言った。「春の南仏には菜の花がきれいに咲いている」
 青い草と黄色の菜の花の茂る土手の上には彼女が立っていて、春の風がその周りをぐるりと回る。影になった彼女の表情はヴェールの下にあり、彼女と幼い子供が無表情に僕を見つめる。それはきっと画家の記憶で、僕はその絵を見て悲しく思う。すごく長い時間が経ったなと思う。日傘をさす女性は画家の元から去ったのだと思う。僕の元から去った彼女もよく日傘をさしていたから、画家は何を思って絵を描いたのだろう、と思う。彼は絵を描き終わった後で、少しは救われたのだろうか。

 モネの妻カミーユは若くして結核で命を落としたようで、僕はそれを知って堀辰雄の風立ちぬを思い出した。

 『そしてずっと後になって、いつかこの美しい夕暮が私の心に蘇って来るようなことがあったら、私はこれに私達の幸福そのものの完全な絵を見出すだろうと夢見ていた。―――私達がずっと後になってね、今の私達の生活を思い出すようなことがあったら、それがどんなに美しいだろうと思っていたんだ』

 主人公は物語の中で、結核を患いサナトリウムで過ごすヒロインの節子にそう話す。小説が終わるより前に節子は死に、主人公は残される。そしてずっと後になって、主人公と節子の生活を思い出すのは「私達」ふたりではなかった。それは主人公ひとりだった。そうして彼は、「未だにお前を静かに死なせておこうとはせずに、お前を求めてやまなかった、自分の女々しい心」と話す。

 僕の弱さはいつも記憶を突き破って吹き溢れる。そこが僕の一番薄い所だからなのだと思う。散歩も、日傘も、菜の花も、どれも彼女に結びついていて、いつまで経っても僕はその日のことを悲しく思う。いつか春の夕方に、遠くのニュータウンまでふたりで歩いたことがあった。誰も知らなかったのだけれど、その小さな住宅街の側には菜の花畑が広がっていて、ちょうどそれらの花がいっぱいに咲いていた。明るい季節は本当に短い時間で終わってしまった。けれど僕は、長い間その眩しさを待っていた。いつかいつか、と待ち続けた季節がその春だった。だから僕は、その明るい季節が終わった後で、いつまで経ってもその喪失を悲しく思った。自分でも想像できなかったくらいに長い間。忘れることはできないのだと分かった。忘れるにはもったいないくらい、明るい季節だった。どうして忘れないといけないんだ、という怒りが起こるくらいだった。けれどそれは彼女には関係のないことで、僕が何を思っているかはもう彼女には分からないのだけれど、僕は僕が彼女を忘れていないことに罪の意識を覚える。彼女に断りもなしに、その季節を、それがどのように過ぎていったかを無視し、本当の過去以上に綺麗な物だったと思うことに罪の意識を覚える。いつかいつか、また彼女と話せることがあれば、と思うけれど、そう思う自分の後ろ姿はハリウッド映画に出てくる、接近禁止命令を裁判所から出された情けない元夫と重なる。結局は同じところに辿り着く。忘れるしか無いんだな、と思う。僕は忘れようとしているんだよ、と大声で喚きたいなと思う。じっとうずくまっているだけじゃないんだ。忘れるために、必要なだけの努力と時間はかけたし、本当に頑張って歩いてきたんだ。けれど不意に彼女の後ろ姿を見ると、彼女がどのように歩いているかを見ると、僕は自分がどうしようも無いぬかるみに立っていることに気が付く。そこではどんな理屈も存在しない。ただ明るい季節だけが頭の上に広がっていて、僕はその日差しの中で歩き出せない。そんな場所で僕はすごく長い時間を過ごしてきた。明るい春の土手の上で、僕達の周りをぐるりと過ぎる風が花を揺らしている場所。それは核分裂の閃光に似ている。ずっと昔に放射された星々の光に似ている。そんな風な、フィルムに似た残像として僕の目に焼き付いている。冬が終わって街が眩しくなると、僕の目に飛び込む光が明るい季節を映し出す。暗い映画館でスクリーンに景色を投げかける、映写機みたいだと思う。

 
 

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