扶桑樹

中国史書に記述された日本に関する内容の解釈を試みたいと思います。時代的には、所謂「倭の…

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中国史書に記述された日本に関する内容の解釈を試みたいと思います。時代的には、所謂「倭の五王」以前となります。古代王権成立の過程における日本及び日本人の姿に迫りたいと思います。

最近の記事

巻二 漢書

「漢書」、またの名を「前漢書」は、司馬遷の「史記」(上古~武帝太初四年B.C.101年)の後を受け、班彪(A.D.3-A.D.54)の著した(史記)「後伝」   を基に子の班固(A.D.32-A.D.92)が父の遺稿の整理を契機として、漢高祖元年(B.C.206)から新朝王莽の地皇四年(A.D.23)に及ぶ約230年の歴史を記録した王朝一代記である。尚、班固亡き後妹の班昭が完成させた八表と班昭の門弟である馬続の補充による天文志を含め、唐代の顔師古による註釈付の「漢書」が今日一

    • 巻一 山海経と論衡

      論衡は、後漢の王充(27年-97年頃)の代表作であるが、この中に登場する“倭人”が、“倭人”に関する最も古い時代の記述である。 一方、一説では秦の始皇帝の愛読書であったとも言われている山海経は、B.C.4世紀から3世紀、即ち戦国時代から秦・漢両朝にかけ徐々に加筆され成立したと考えられている最古の地理書とされている。ここで言及されている“倭”は、最も古い時期に記述された“倭”となる。 論衡の“倭人”は、千年以上昔の伝承―21世紀の我々が藤原道長・頼通を語っているのに等しい、否、

      • 訂正

        いきなりの訂正で、面目無し。 「四庫全書」を「知識圖譜https://cnkgraph.com/」に訂正。

        • 前提

          始めるに当たり、前提を明確にしておきたい。 1.中国史書とは、特に断りが無い限り、四庫全書の史部に所蔵されている各書を指し、中でも正史類を主な出典とする。 2.言うまでもなく、当時「日本(ニホン)」という国は存在しない。1)部族名或いは民族名としての「倭」、2)倭に属する「倭人」及び3)倭人によって支配される「倭国」又は「倭奴国」等の集団或いは組織が解釈の対象となる。尚、「倭」は、時として倭人の居住地域を指す場合があることに言及しておきたい。 3.解釈は個人の見解に基づくもの

        巻二 漢書