表現するときに感じる3つの恐怖を考えてみた

最近改めてまたノートで自分の文章を書いてみようと思った。 一回ノートを始めてから、こだわりすぎて疎遠になってしまったが、今、習慣として文章を書いたり表現したり発信したりと言う技術を身に付けたいと思ったから、新しい自分の一方踏み出すために、ここにノートを書くと言うことを宣言したいと思う。


そして、今日実際に文章を書いてみたのだが、思ったよりも「 書くのが怖」かった。

自分が実際に思っていることとか、大事にしていること、考えていることを他の人に発信すると言うのは意外と抵抗がある。

今もこの文章を書いていて、少しだけ自分の中で恐怖心を感じながら書いているような自覚がある。

それがなぜなのか、もういっそ言語化してしまおうと思い、自分を見直して、ここに書き連ねてしまうことにする。

今、恐怖を感じている理由 として、3つ理由を考えてみた。

本音を表現する恐怖

1つ目は、自分が本当に思っていると言うことを表現する恐怖。

表面的なこととか又聞きとか、誰かから聞いたこととか一般論とか。そういう事はいくらでも言えるし、むしろ何の責任も感じずに人に話すことができる。しかし自分が本当に思っていることとか、自分が考えていることというのは、人に話すときに自分そのものをさらけ出しているような気分になるから、やっぱり表現するのが怖い。

それに不特定多数に発信するわけだから、たとえ今フォロワーが少ないとしても、知り合いしか見ていないとしても、それでもいずれは全然自分の知らない人、もっと多くの人に自分の文章が読まれると言うことになる。それはつまり全然知らない人が自分のことを自分の内面を知ると言うことになる。それが少し今は怖い。(あ、フォローは全然大歓迎です。モチベーションになります。よろしくお願いします。)

でも私は発信する能力は今後の時代において必要だと思うし、自分で文章を書いて自分の意見を伝えると言う練習はしておきたいと思うから、やっぱりここで動じずに ちゃんと思ったことを書き連ねていきたいと思う。


失敗する恐怖

2つ目に、うまくいかないかもしれないと言う恐怖があると思う。
ノートをちゃんと書こうと思って文章書いているときに、仲の良かった友達もノートを投稿していることを発見した。その友達は何個か投稿していて、順調なのかはよくわからないが、ちゃんと活動していると言う感じだった。私はしばらく距離を置いてしまっていて、全然 更新できていなかったから、この行動とか勇気とか挑戦とかが「 失敗」 になってしまうことが少し怖いのかもしれない、と思う。

しかしこれはよく言われることだけど、成功をするためには絶対に失敗しなきゃいけなくて、成功の中には常に失敗が内包されている…と言う言葉がある。 そして私はこれは真実だと思う。だからこの恐怖心も打ち消してちゃんと更新を続けていきたいと思う。

自分と対峙する恐怖

3つ目に自分を認めると言う恐怖があると思う。

自分がどういう人間であれ、どういう状況であれ「 自分」 と対峙することって少し怖い。 自分と退治して自分のありのままを見て、それをさらに表現すると言うのは、誰しもが無意識に避けていることだと思う。自分の現状を見つめ直したり、自分の本当の気持ちを見つめ直したり、自分の人生とか改めて自分がどう思っているのか、そういうことを考えることから、現代人はすごく逃げてしまう傾向にあると思う。

そして「自分と対峙する」という行動は、意識しなければ、絶対に起こり得ない行動だと思う。毎日毎日忙しくしようと思えばいくらでも忙しくできる。そしてそうやって予定を詰めたり、仕事を詰めたりして、なんとなく時間ばっかりどんどん過ぎてしまう。本当に大切な自分のこと、家族のこと、人生のこと、そういうことに向き合わないで、ただただ時間ばかりすぎてしまう。そしてそういう暮らし方をしていることを本人たちも実は気づいている…気づいているけど、言い訳ばっかりして、「 また後で」 とか「 忙しいから」 とかなんだかんだ言って結局避けている避けてしまっている。

それは、私から言わせてもらえば「 怖い」 んだと思う。今の私と同じように。自分と対峙することって本当に結構怖い。すごく怖いし恐怖と言うよりも、不安というか何とも言えない怖さがある。でもそれでもそうやって自分と向き合った先にしかたどり着けない答えは確実にあるっていうの私は知っている。だから、やっぱりそういう不安にもめげずに更新を続けていきたいと思う。

まとめ

この文章を書くことノートを書くことに意味なんかあるのかと言っている自分もいる。確かに金銭的な利益にはならないかもしれないし、すぐには結果が出ないかもしれないし、直接的なメリットが思いつくかと言われるとあんまり思いつかない。

だけど、もしかしたらこの文章を読んで自分に共感してくれる人がいるかもしれないし、 この文章を読んで、心が救われる人がいるかもしれないし、考えさせられたり、自分について改めて 見つめ直したりする機会になるかもしれない。

それに私自身も今少し怖気付きながらもやっている。この習慣がいつか当たり前になって、自分の中で完全に腹落ちしたときに、始めたての頃の自分とはまた一肌向けた違う自分になっていると思う。

「 あんなに幼なかったな」「 自分こんなこともできなかったんだ。今は当たり前にできるのに。」 そういう感覚を感じられる瞬間は私は嫌いじゃない。なんでかって言うとそれは自分が成長した動かぬ証拠だから。できないことができるようになった。そしてできなかった自分は確実に覚えていて、過去に存在していて、でも今の自分はそれができている。それって完全に成長している証拠だし、自分が人間として新しい能力を獲得できたって言う証拠だと思う。

だから、この恐怖心に負けずに、文章を発信する能力とか、習慣にする能力をこれから身に付けていきたいと思う。そのためにちゃんとノートを書こうと思う。


おまけ

何事もやったことないことを挑戦するのは少し怖い。世の中で自分の決めた道で一定以上の成果を出していて成功している人間はたくさんいる。そういう人はラッキーだったからとか楽をしてとかそういう事は絶対にないんだと、1つ新しいことを挑戦したことがある人間はわかると思う。逆に何も挑戦しないで、自分の安全地帯に居続けた人が、簡単に、他人の成功とか、他人が勝ち取ったものを否定したり、汚したりすることができるんだと思う。

本当に挑戦したことがある人間は、そして本当に心の底から努力をしたことがある人は、その道で大成することがどれだけ大変なのかということがよくわかっている。例えばYouTube 1つとっても、動画編集とかどういう企画が受けるのかとか、視聴者は何を求めているのか、どういうコンテンツを作ればいいのか、尺の長さはどのぐらいにするのか、サムネイルは?タイトルは?と本当に考える事はたくさんあるし、工夫をしようと思えばいくらでもできてしまうし、時間だっていくらでもかけられてしまう。そんな中で成功をつかむっていうのは、華やかな表面からは見えない泥臭い努力とか地道な1歩が絶対にあるんだと思う。

だからそういうことを忘れずに、これからも自分ができることを確実に歩ずつやっていきたいと思う。 逆に自分が何か挑戦することとか、本気で努力することを怠ってしまうと、何も考えずに、人の努力もわからずに、ただ批判するようなつまんない大人になってしまうと思う。そういう大人にはやっぱりなりたくないと思うし、まだ時間があるうちに、いろんなことに挑戦して、その分痛みを知って、それでも私は自分の理想のために進んでいきたいと思っている。



このノートでは、医学部の生活の事とか最近勉強始めたお金の事とか人生の事とかを発信していきたいと思ってます。等身大で20歳の学生が考えたことをつらつらと書いているだけだけど、なるべく本音でなるべく自分が伝えたいことがちゃんと伝わるように、文章を書いていこうと思うので、もしよろしければ応援よろしくお願いします。あとTwitterとかもやってるので、もしよかったら見てください。

御精読ありがとうございました!!

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