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神社での(見えない存在との)会話
前に紹介した動画を見ていて、無性にいつもの神社に行きたくなった。
何故かアメノウズメ氏に会いたくなったのだ。
だから、記事を書いて、すぐに出発しようと思ったのだが、家族とのなんやかんやで出発が遅れた。
とはいえ、私は待っていただけなので、その間、動画の続きを聞いていたのだが。
ようやく神社に着き、鳥居をくぐると
何かが違う
そう感じた。
あの人達もいるし、今じゃない。
“何かが違う”理由として
第二鳥居の横にある、第2の社務所的な家の庭を手入れしていた人々
と出くわした事を言い訳に何故かした。
もしかしたら、この神社に通うようになって、初めてあの人達に出会って、びっくりしてしまったから、それを理由に上げただけかもしれないが、とにかく、自分でもよくわからない理由で、車に戻ろうとしたのだが、あまりにも意味不明だったため、気を取り直して、本殿に向って歩を進めた。
が、第二鳥居と第三鳥居の間くらいまで行くと(ちょうど椿の木の下)、やっぱりそれ以上行くことができずにいた。
なんで上まで行けないんだろう?そう思っていると、声が聞こえてきた。
我らは、今を楽しむ。お前たちは、何を楽しんでいる?それは、今すべき事なのか?お前は、今、何をしたい?
私は、何をしたい?
んー。神社に来たいと思ったから、ここに来たけど。私、今日は、歓迎されてないの?
そうではない。(それが証拠に椿の葉や花が落ちてきてくれました)
動画を見て、気付きがあったのなら、ここまでくる必要などなかったのだ。
それを“行かねばならない”と先の思いに囚われて、ここまで来た。
本当にそれが今のお前に必要だったのか。それを問う。(高次元の誰か)
アメノウズメに会いたいって思ったの。アメノウズメはいるの?
私は、踊りたくなったら踊るし、休みたかったら休む。食べたくなったら食べるのよ。あなた達の生き方は、今を楽しんでる?自分(魂)に正直でないから、歪みが起こるのよ。(アメノウズメ)
そうなんだ。ここでの事、記事にしてもいい?
お前はどうしたい?(高次元の誰か)
んー。…。わからない。私が一体どうしたいのか、今はそれすらわからない。
それでいい。その分からない事も受け止め、楽しめばいいんだよ。(高次元の誰か)
その話が終わった後、また1つ椿の花が、ポトリと落ちてきた。
![](https://assets.st-note.com/img/1681620816589-rqgl53z4ff.jpg?width=800)
私はそれを見て、
あ、椿姫!!
そう思った。椿姫と思いながらも、その実アメノウズメを想像していた。
なぜ私が、椿姫=アメノウズメと思ったかは分からない。
だが、自宅に帰ってから、色々調べる中で、オペラの椿姫(愛する人のために、自分(の感情)を犠牲にできる強さ)とアメノウズメ(“役目”の為に、女性の恥部を人前でも露わにできる強さ)に、共通点があるのではないかと書いている記事を見つけた。
だからといって、なぜ私が『椿姫=アメノウズメ』と思ったかの証明は何もされていないのだけど。
何故かその記事を読んで、納得してしまった。
そして。今回の記事のこの書き方。到底私らしくないと思いつつも、何故かこのような書き方が、今のこの記事には、合っているような気がしてならない。(時々ある現象だけど)
これは、いわゆる共振というものなのだろうか?だとしたら、誰と若しくは何と共振しているのだろうか?
※今回、太文字で書かれた、高次元から受け取った言葉は、神社で受け取った言葉の他、この記事を書いていて出てきた言葉もあります。
が、内容としては、神社で受け取ったそれと同じです。
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