雇用調整助成金が除外と知ったとき、持続化給付金が除外と発表になったとき、私はかなり悲しくてショックを受けました。

個人や企業から、職業を理由に差別的なことをされても何も気にならないけれど、国が相手だと話しは変わるようです。新型コロナの影響により先行きの見えない不安なタイミングで、自分はみんなと同じように助けを求めてはいけない職業だと知らされた気持ちでした。従業員も怒っていました。というか、店のために怒ってくれました。

店の状況は今も厳しく、第一波は何とか乗り越えましたが、今後の第二波第三波で店が持つかがとても不安です。お金が必要です。従業員やキャストのためにも何としてでも生き延びねばなりません。しかし、支給除外のことはお金の問題だけでは無いとも感じています。どちらかというと自分自身の問題かもしれません。私個人として、これが差別かどうかを知りたいのです。

私の主張は、声を上げはじめた時から変わらず「性風俗も支給対象にしてほしい」「除外の根拠を教えてほしい」「納税と遵法をしている性風俗事業者を他の業種と同等に扱ってほしい」ということです。

それを、性風俗業界のため、と胸を張って正義のように言うつもりはありません。「今」の性風俗業界のことを考えると、声を上げるのが正しいのかも私にはハッキリと分かりません。こちらとしては業界に迷惑はかけたくないのですが、それぞれの立場や状況によって感じかたが違うと思うので、声を上げることが邪魔と感じる性風俗業の人もいるでしょう。


性風俗業で生きるにも色々な立場がありますし、生き方も違います。私の場合、人生の大半を、性を扱う仕事をして生きてきました。元々は経営者ではなくキャストでした。

やりがいもあるし、しんどいことやツライこともある、それも含めて生きていくためにやるもの、そんな仕事だと思ってやってきました。性を扱う仕事以外の職務経験はアルバイト数年程度しかありませんが、きっと他の職業でも同じではないかと思います。

しかし、この仕事をして生きることに対する疑問や悩みはずっとありました。キャスト時代も、経営者になってからもです。仕事だけでなくプライベートでのことも含め、色々考えました。

「性を売ることは人間として大切な何かが欠落しているのだろうか」「自分はこの仕事をすることで何かを失っているのではないだろうか」「大切な何かを失うことの対価にお金を稼いでるのではないか」「何かを代償にしなければおかしいんじゃないか」「この仕事していて、恋愛してよいのだろうか」「子供を産んで良いのだろうか」「子供を産んだあとも、この仕事で稼ぐお金で育てて良いのだろうか」「子供がこの仕事を選んだら自分はどう思うだろうか」「この仕事はズルいことだから代償として人生に罰が訪れるのではないか」「自分でこの仕事を軽蔑しているのだろうか」「私は店を作りキャストの性を商売にして酷い目に遭わせているのだろうか」「キャストを不幸な人生へ導いているのだろうか」といったものです。

しかし、そのモヤモヤした感情は世の中にある道徳などによって後から植えつけられた価値観からくるものかもしれないとも考えていました。
その価値観を捨てられたらいったい自分はどう思うのか?この仕事は何なのか?答えを出すことはとても簡単で「やりがいがあればいいじゃないか」「生きていくためじゃないか」「キャストも自分で選択して決めたことじゃないか」「ただの仕事じゃないか」そんな風に肯定などいくらでもできます。

しかし、それもただの言い訳ではないかと疑い、ずっとモヤモヤしたものを持って生きてきました。自分の中にある課題だと感じていました。同業者だとしても、そんな疑問を持たない人は多くいるでしょうが、私の場合は今もその課題は継続しています。

ただ、もしも人生をやり直したとしても、自分は性を扱う仕事をするだろうと思っています。向いていないので経営者にはならないでしょうが、自分自身が性を扱う仕事をすることに対しては様々な魅力を個人的に感じていました。


話は変わり、去年、自分と会社にとって大きな事件が3つありました。他人の個人情報も含むので詳細は書けませんが、キャストの安全面の問題と税金(脱税行為ではない)の問題です。どれも人生でトップレベルにショックな出来事で、それが1年の間に立て続けに起こりました。
そしてその後、新型コロナ第一波が来ました。皆さんも同じでしょうが、情報収集に追われながら、様々な問題と向き合わねばいけませんでした(これからまたそうなりそうですが)。
店の感染防止対策、自粛・休業の問題、キャストの生活の問題、従業員のこと、資金、そして国や行政の対応。辛い決断もしなければならず、それらの原因は全て去年起こった事件と繋がる部分がありました。

風俗の経営はキャストだったときよりも辛いことばかりです。トラブルがあったとき、傷付くのは自分ではなく他人です。自分のことならどうとでも思えますが、他人だと話が違います。
仕事をすることは、どこまでいっても自分のためのものだと私は考えており、関わる従業員やキャストも仕事を通じてそれぞれの目的を達成してくれたら良いと思っています。なので、仕事をするにあたり自分に特別な使命があると思いませんし、世界平和のために何かしようなどと考える善人ではありません。
しかし私は決して他人を傷付けるために店をやっているわけではありません。関わる人を不幸にしない責任はあると思っています。

性風俗が批判されるとき、女性搾取の話がよくあがります。私はキャストから搾取だと思われていないかにいつもおびえています。元々、自分が店を立ち上げる前のキャスト時代に、店側が売上の半分も取ることに納得がきませんでした。それならば自分の店を作ろうと考えて起業したという経緯もあります。キャストは様々なリスクを抱えて働いているのに、リスクの少ない経営者が多くの利益を得て派手な暮らしをしていることを気に食わないと思っていました(今もそう思います)。自分は他人からそんな風に思われたくないのでキャストには出来る限り手厚く報酬を出しますが、税理士からは「経営的にキャストへの報酬を下げるべき」と言われます。やはり、店を維持するためには、それなりのお金が必要なのでした。従業員にもしっかりと給与を出さなければなりません。そして経営者ならではのリスクも理解しました。

しかし私には店舗数を増やそうだとか店を大きくしようという欲はないので、会社にお金が残っても何の意味も無いと考え、出来るだけキャストや従業員に売上を還元するようにしてきました。安定して細く長く、出来るだけトラブルが起こることを避けて、普通の生活ができる程度に程よく稼げていればよい(キャストや従業員には沢山稼いで欲しいですが)と思ってきました。しかし、コロナのような災害が来て、そんな考えは甘かったのだと知りました。

もう完全に愚痴なのですが、経営はしんどいことばかり、辛いことばかりです。経営者になって10年ほど経ちますが、辞めたいという感情は何度も襲ってきました(ただのヘタレだからですが)。それでも続けてきたのは、従業員に対する責任もありますし、性を扱うこの仕事が何なのか自分の答えを出したいという部分もあります。
この仕事を辞めて他の仕事をすることもきっと出来ると思いますが、店を閉めたら業界にはもう戻らないと思います。私は既婚者ということもあり、夫が居る限りはキャストに戻るつもりはありません。夫の感情を考えてのことですが(こんな説明をするのもバカみたいですが、念のため。夫は経営に一切関わっていませんし、それぞれ経済的に自立しています。あと、既婚者でも性風俗で働く人は沢山居ますし、キャストをしないのは私の個人的な判断です)。そして、今後また最初から店を立ち上げる気にもならないと思います。経営はしんどくて辛いながらも、時間をかけて築いたものを手放すことには勇気が要りますし、それもまた辛い決断です。

そんなことを考えながら店を続けるうちに、事件が立て続けに起こり、そして新型コロナがやってきました。

ショックでしたが、特に新型コロナについては、自分自身がずっと持ち続けていた「この仕事は何なのか」という疑問や課題を解決するチャンスだとも思いました。多くの人がそうかもしれませんが、人生において大きな出来事になりそうです。私はこれについて前向きに捉えています。

しかしそれとは別に、国からの扱いについて悲しくて悔しくてたまりません。とても感情的になってしまいます。自分の課題に関することだからなのかもしれません。

そして自分の都合や気持ちとは別に、私は従業員やキャストを守らなければいけません。去年、大きな事件があったときに、出来るだけ長く店を続けようと決意しました。辞めたいと考えてしまうことをやめて、逃げずに乗り越えようと決めました。

あとは、自分自身の問題であるなどと書いたので説得力は無いかもしれませんが、権利を主張するならば、認めてほしいならば、業界を良くするためのことも考える責任がある思っています。これまで社会(社会で起こる問題や活動も含め)のことに興味なく生きてきましたが、社会の中で生きることの意味や仕組みを今回勉強しました。

ぼんやりとですが、自分のこと、店のこと、業界のこと、世の中のこと、全てがつながっているんだな、と感じています。

そんな感じの個人的な話しでした。




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