散文Ⅻ


 知らないひとの声がする。午前零時を回っても、星は眠らずに光っていた。沈みきった枕に埋めた頭では、夢の名残がちらちらと燃えている。そのうち常夜灯に溶けていって、朝陽が完全に消し去ってゆく。毎日は、そうやって紡がれている。
 指に馴染んだボタンの感触、いつのまにか忘れていたのは、おとなに成ったからじゃない、こどもを剥奪されただけ。ぬいぐるみの見つめる先に、かつては未来があった。あなたも、わたしも。
 もういちど、夢を見るにはどうしたらいいかな。
 もういちど、あの子を笑わせるにはどうしたらいいかな。
 もういちど、が、もうにどと、やってこないと知らずにいるには、どうしたらいいかな。
 白い壁も天井も、傷付いたフローリングも、黙って見ていないで、すこしは泣いてみせてよ。

 地平線に近いほど満月は大きいなら、地獄に近いほど人生は鮮やかだ。絡み合ったはずの指も運命も、ほどかれて、切り離されて、それでおしまい。ようやく自由になれたのに、まだ泣いているあなたが愛おしい。愛おしいと、そう思えるわたしが、嫌いで嫌いでたまらない。
 だって、そんなの人間みたいだから。
 大好きだった、あなたみたいだから。

 あのひとの名前を呼んで、呪いはそれで解けたのかな。届かない声も涙も、全部、なかったことにできたかな。そんな魔法はどこにもなくて、忘れられないから呪いになっていく。生んだのはあなた。罹ったのはわたし。一対で、平行線のまま終わって、どこへも交わらないのならきっと幸せにだってなれたはずだよ。
「今更、そんなこと言わないで」

 冷えた部屋の角に座って、見上げたはずの星空を夢想する。もうどこにもない。この地球にだって、終わりの時がくる。
 金魚鉢の中で泳いでいたのは、ビー玉だけだった? きっと違うと、あなたは言い張るでしょう。残念だよ、ほんとうにそうだったら良かったのにね。ビー玉にだって、わたしたちはなれなかったんだよ。光を反射して、きらきら光ってみたかったね。冷たい水の温度を、まるい表面に感じて。たまにつつかれて、かわいい音を立てて、すこしだけ景色を変える。そんなことさえできなかったわたしたちに、残されたのは、昨日だけだよ。
 ささいなことでも、きっとね。

 眩しい蛍光灯、すっかり見なくなった太陽は、今頃どうしているだろう。息のできない海の底の生活は、きっと楽しいだろうね。いまは、そういうことにしておいて。
 締め切ったはずの窓から射し込む光は、この部屋を、侵略できずに出て行った。

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