シンプルな動機

仕事が楽しくなくて、この先もずっと働いていかないといけないのかと思って、先が真っ暗な気持ちになっていた状態から少し抜けた。

抜けたといっても、先輩とは相変わらず合わなすぎて、いよいよ何の言葉も受け入れられなくなっている。
原因はこうするだろう、こう言うだろうという、私の期待。
何回もコミュニケーションが上手く取れなくて失望するのに、それでも、こうしてくれるだろうと期待してしまっている。
そして期待が外れて、感情が乱れる。
感情が乱れるほどに、他人に期待するのは辞めないとなと思う。

そんな感じで、決して上手く行っているわけではないけど、前からやりたかった分野での業務が増えたこともあって、転職活動は一時中断した。
今の職場でも成長できるのかな、と思えるようになった。

真っ暗な気持ちから少し余裕ができて、仕事がなぜこんなにしんどいのか原因を考えていると、いつでも何でも評価を基準にしてしまっているからかな?と思い当たった。

これを早くしないと何か言われる、何か指摘されないようにしないと、とか、やる気はなくてもポジションで評価されるなんてズルいとか、周りがちゃんと見えていない自己中で攻撃的な思考になっていたことに気付いた。

こういう人の評価ばかり気にして、余裕のない人になりたくないのに、なっている自分がいつも本当に恥ずかしい。

大学生になったとき、バイトができることが嬉しかった。
ずっとやりたかった和食の料理屋さんでのホールの仕事。
時間があれば、バイトを入れていた。
働くことが素直に楽しかった。

社会人になってからも、家庭の事情で無職の期間には、早く働きたいと思っていた。

その時の気持ちは、「役に立ちたい」だった。
私も何か役に立ちたい、誰かをサポートしたいと思っていた。

色んな形の貢献の仕方があると思うけど、私は相手や状況を見て、フレキシブルに動くのが好きだ。
一方で、リーダーとして皆を引っ張っていったり、営業のような仕事は大の苦手。
教えるのは大好きだけど、プレーヤーとしてあれこれ工夫しながら、サクサク仕事をこなしたり、手が回っていないところに気付いてフォローできた時に貢献してるって嬉しくなる。

今の職場のことを考えた。
正直、プライベートまで仲良くしたい人は1人くらいで、仕事上は良好な関係だけど、気構えず話せる人は、数人。
それが寂しいと思っていた。
それでも、この人の役に立ちたいと思える人がたくさんいる。
それは幸せなことだと気付いた。

気構えず話せる人の中には、社長がいる。
先輩よりも社長の方が話しやすい(笑)
そんな会社も滅多にないか。

ここで頑張るべきか、他を探すべきか、ない正解を探してしまって、はっとする。
問いかけるべきは(思わずここでも「べき」を使ってしまって、強い思考の癖があることに気づく。笑)、
ここにいたいのか、他にいきたいのか、そんな風に考えようと思う。

ここで成長したいか?
ここで役に立ちたいか?

頑固で、人を受け入れない心でなく、
柔らかく、人のアドバイスも受け入れることができて、しなやかな心で、決めたいなと思う。