百冊で耕す(24/9/14読了)
この本から学びたかったこと
まず、前提として…
以前、この本の著者が書いた「三行で撃つ」という本を
読みかけたことがあるのだが、なんだかとても読みづらく苦手だった。
じゃあなぜ再び著者が書いた本にチャレンジしたのか?というと
多読より深読、
100冊という限られた本の中から学んだ人生の方法論を
しっかりと自分の中に落とし込み、より善く生きたいと考えたからである。
だが、結果として、わたしはやっぱりこの著者が書く文章は苦手だった。
それは、どことなく後ろ暗い感じがすること、
世の中を見る態度が斜に構えているように見えること
この辺りが原因であると思われる(あくまでもわたし個人の意見です!)
ただ、著者自身がこの本の中で、
「あきらめて、我慢して読む。もはや目を上下させる運動である。」
「本のなかで、ひとつかふたつ、分かる箇所があった。それで十分だ。」
と解いていたので、わたしも目を上下運動させ、
なんとなくわかった気になったこと、共感したことを
ひとつかふたつ挙げてみる。
この本から学んだこと
この本を読んでみて(目の上下運動をさせてみて)学んだことは
大きく2つほどある。
①読書とは問いを自分で言葉にできるようにするためのトレーニング
まず、1つ目
人はなぜ本を読むのか?という問いの答えに感銘を受けた。
わたしが本を読む理由なんてせいぜい、
知識を蓄え、個人的な問題を解決し、あわよくば年収を上げる行動に繋げ
豊かな暮らしがしたいという俗世の欲にまみれたものであった。
一方で、著者の解は、
・本を読むのはわかりたいからだ
・人間は事実を<知る>だけでは満足できない
・<分かる>がどうしても必要だ
・読書とは問いを自分で言葉にできるようにするトレーニング
と記している。
更に、
・問いは在るのではない、答えは探すものではない
・問いも答えも自分が創るものだ
と断言されていた。
これは、常日頃から仕事のプロジェクトで関わるメンバーに対して
わたしが強く伝えてきたことである。
わたし達は、答えのない問題を解いている
もっと言うと問題すらも自分で設定し、その答えを導き出すことを
生業としているのだから、
答えを探しに行ってはダメだと口酸っぱく伝えている。
思わぬところで、
論点を設定し、答えを創るためのトレーニング方法
の1つを知ることができた。
②情報にはさほど価値はない
データサイエンティストの端くれでもあるわたしが
顧客のデータ管理について幾度となく提言させてもらっている内容が
・データはコストになり得る
・データは集めればなんとかなるものではない
ということである。
またしても思わぬところで、自分の信念と重なる部分を見つけてしまった。
入り方は違えど、著者も
・今の時代、情報はいくらでも、ただで入ってくる
・情報の入力を以下に規制し、整理していくことの方が重要だ
・意識的に情報を遮断しないと無尽蔵に入ってくる
・無尽蔵に入ってくると本当に重要な情報が埋もれてしまう
と記している。
更に、
・時間というもっとも限り在る資源を企業が奪い合い、お金に換えている
・時間がカネに直結する現代社会は情報過多ではなく情報過少だ
・(本当に必要な)情報を得づらくするように社会設計されつつある
という強いメッセージが記されていた。
確かに、現代はスマホやらサブスクサービスやらの普及によって
受動的娯楽が増えている。
電車の中でも皆一様に手元のスマホを覗き込み、
SNSやゲームなどの受動的娯楽に時間を投資していることが伺える。
与えられた娯楽ではなく、自分で選び、自己投資につながる能動的娯楽に
時間を投資することで、限り在る資産をうまく運用したいと思う。
受動的娯楽を楽しむにしても少なくともアウトプットはし続けたい。
今後の行動指針(To Do)
この本で学んだことを受けて、陳腐ではあるが
・朝の時間帯にSNSは開かない
(脳のゴールデンタイムに余計な情報を入れない)
・苦手だと思う本でも学びたいことが学べそうなら読んでみる
→実際に、「百冊で耕す」を読んでみてとても良かったと感じた為
以上の2つを意識して、能動的な生活をしていこうと思う。
わたしの読書記録
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