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なぜ私は日本語ラップを聴かないのか

初めに

去る9/2、Tamiwを見に行こうと心斎橋のライブハウスPangeaに行ったんです。
Tamiwはもちろんのこと、他の出演者も素晴らしかったのですが(特にaldo van eyck)、
今回はそこで見たBlack petrolに感化されてnoteを書こうと思い立ちました。
題して、なぜ私は日本語ラップを聴かないのか。

Black petrolのライブは素晴らしかったです(どう素晴らしかったのかは割愛)。
ライブを見ながら思ったのは、日本語ラップの曲でいいなと思ったのはいつぶりだろう?ということでした。
私は学生時代からミクスチャーロックが好きで、ヒップホップも詳しくはないけれども好きです。
しかし、日本語でラップを取り入れている好きなバンドはあれど(Mad Capsule Marketsとか)、
日本語ラップそのもの、さらに言うと日本語を母国語とするラッパーを好きだと思ったことはないんですよね。

私は結構音楽の食わず嫌いがあります。
技術偏重の音楽がダメで、クラシカルなメタルはまったく聴かないです。
しかし、最近RAYの内山結愛さんの様々なレビューを見て、
こんなおっさんが食わず嫌いばかりしていては感覚が老いていくだけでだめだなと思わされています。
そこで今回は、食わず嫌いを克服するためになぜ自分は日本語ラップが苦手なのかを言語化してみようと思った次第です。

そもそも自分はヒップホップに関連するどんな音楽が好きなのか

今回はラップに焦点を当てたいのですが、まずは大きな括りで自分の好みの傾向を明らかにします。
ヒップホップ・ラップに関係する私が好きなアーティストを羅列していくと、

・Asian Dub Foundation
・A Tribe Called Quest
・Beastie Boys
・Beck
・Cage The Elephant
・Dextro
・De La Soul
・Dizzee Rascal
・DJ Shadow
・Gorillaz
・The Go Team
・Kanye West
・Limp Bizkit
・M.I.A
・The Mad Capsule Markets
・Massive Attack
・Outkast
・Prefuse73
・Quarashi
・Rage Against The Machine
・Red Hot Chilipeppers
・The Streets

うーん、これはミクスチャーロック大好きボーイ。
とりあえずここから分かる傾向を書き出してみると、

①純粋なヒップホップ愛好者ではなく、ロックが好きでヒップホップも聴く人
→ファッション含むヒップホップのカルチャーが好きなわけではない
②ギャングスタ系はまったく聴かない
→めちゃくちゃ嫌みな言い方ですが、シニカルなものであったり、政治的な内容のものであったり、教養を感じさせてくれるラップが好きです。それかホワイトトラッシュ系
③別にラップはなくともよい
→トリップホップとかアブストラクトヒップホップとかも好きでラップ自体にこだわりはないです

といったところですかね。
これを頭の片隅に置きつつ、日本語ラップを好んでこなかった理由を述べます。

日本語ラップと共感性羞恥

前述の通り私はMad Capsule Marketsが大好きで、
カラオケに行ったら(行く機会はほぼないけどな!!)Fly Highをよく歌います。
気分よく歌うのですが、Kyonoのラップパートだけは自分をごまかして歌っています…
恥ずかしいんですよね、正直。
だって歌詞の内容も韻の踏み方も陳腐なんですもん。
(「伝説の世界に浮かぶ飛島」とか中二病かよ。「光そう 御来光 最高 開放 左目で今見ろ」も最高、開放とか語彙力小学生だし、そもそも内容に深みがない。この歌詞がめちゃくちゃ好きな人がいたらごめんなさい。)
Kyonoの声はめっちゃ好きなんですよ。
それをもってしてもこの恥ずかしさはカバーできません。

この現象が日本語ラップを聴くときにも起きているんですよね。
特に私が日常生活の中で触れる日本語ラップは大衆向けのメディアで流れるものですから、
どうしても陳腐なものも耳に入るかと思います。
そして、日本人であるからこそ初めて聴いたラップでも使っている言葉や内容がおおよそ理解できてしまいます。
理解できてしまうがゆえに共感性羞恥というものが起こってしまいます。
特にギャングスタ系やイキって自分を大きく見せようとする内容だとこの現象が起こりますね。

一方、他言語のラップだと言語との距離が遠いためにこれが起こりにくいです。
The Go TeamのGrip like a viceという曲の冒頭を例に挙げましょう。

Sophisticated Queen MC
Yes of course that’s me, mistress of ceremony
The one that’s gonna take it to the top of the key
Introducing myself, MC Lisa Lee

″Grip Like A Vice″ The Go Team

これを和訳すると、
″知的に洗練されたMCの女王
ええ、もちろんそれは私、祭典の女帝よ
舞台の中央、頂点に立つ者
自己紹介するわ、私がMC Lisa Lee″
ってな感じでしょうか(三行目はめちゃくちゃ意訳)。
和訳を見ると一気にわあ、この人イキってるよ…と共感性羞恥が湧いてきませんか?w
英詩だけだと日本語話者である自分と歌詞の間に距離があるので、
歌詞に対して良い意味で鈍感でいられます。

母国語だからこそのハードルの高さ

ここで私の好きな傾向を思い出していただくと、
私のようなタイプにとっては日本語よりも他言語のラップの方がハードルが低いことが伝わるでしうか?
ラップ自体にこだわりはないのでそれ以外のサウンドが良ければ好きになれます。
ただ、母国語であるがゆえに日本語ラップには減点の可能性があるんですよ。
乱暴なことを言ってしまえば、他言語のラップなんて絶対私には聴き取れないし、内容は歌詞が書いてあるものを通さないと入ってきません。
もちろんラップの技術などの要素もあると思います。
ただ、それも聴き取りやすさを要求する意味で日本語ラップに対しての方がハードルが上がります。
日本語に対しては何言っているかわからないという感想が出ますが、他言語はそもそもわからないんでそういう感想を持ちようがないんですね。
日本人の私は日本語ラップに対しては一聴にして詩としての内容の深み、巧みな押韻を求めてしまっているわけです。

もちろん他言語のラップに内容や技術を求めていないわけではないです。入口が違うんですよね。まず曲自体に好感を持って、それから歌詞を読み込む。それで内容に惹かれればよりその曲が好きになるという流れです。ラップだけならDizzee RascalのYou’ve got the dirtee loveが最近は最も好きで、消費社会の空虚さを皮肉った内容が心に響きます。脚韻もわかりやすいし。

ここから少し余談です。

※文学部的観点で言うと、日本語の韻文自体を否定しているわけではないのよ。韻文的要素を含んだ日本語小説だと、夢野久作のドグラマグラと高橋源一郎のさようなら、ギャングたちは大好きです。ただ、それも韻文だけが好きなわけではなくて(ドグラマグラの韻文パートのキチガイ地獄外道祭文はそれだけで好きかも。さようなら、ギャングたちの韻文は「アガートは大好きさ、フレガートが」しか覚えてないw)、作品の世界観+αでの韻文という感じです。ラップミュージックに求めるものといっしょですね。

※韻文というと、中国史大好きマンなので(春秋時代の成立から戦国時代、秦の統一までの流れは何も見ずに大体説明できるよ!)漢詩も好きなものがあります。曹操の歩出夏門行とか、杜甫の春望とか。もう使い古された言い方ですが、やはり日本語の日本語ゆえの冗長性は詩作に合っていなくて、英語や中国語のような文を短く切れるような言語の方が合っているんでしょうね。だからこそわざわざ日本語でラップを作る人はすごいと思うとともに、自分がラップを作るなら英語にしてしまうなと思います。美しい日本語派はFuck!日本語だけが美しいわけではなく、他の言語も美しいし、日本語が美しいんじゃなくてその日本語を発している人が美しいだけだから。

なぜBlack petrolのラップをかっこいいと思えたのか

冒頭に戻りますが、先日行ったライブでBlack petrolというバンドがとてもよかったです。
2MCのうち、特に低い声の方のラップがかっこよかったです。
そう思えた理由を考えていくと、ライブ環境ゆえに日本語ラップが聴き取りにくいということが大きいのではないかと思いました。
ラップを含む曲に対する距離感が、他言語ラップの曲に対するものとほとんど同じ状態になっていたんですよね
よって曲の評価基準に占めるラップの比重が大きくなりすぎず、
ラップに対する見方も歌詞の内容よりもフロウがメインになります。
フロウをメインで捉えたとき、確かにBlack petrolのラップはかっこよかったです。
まあ家に帰って歌詞を読んだら、えぇ…となる可能性もあるんですけどねw(すみません、Black petrolはまだそこまで確認できていないです)
あとは単純に曲、サウンドがよかったです。
曲が好きになったら、よっぽど酷くない限りラップの印象も悪くはなりませんよね。

ヒップホップのライブに行きづらい問題

ということでここまで私が日本語ラップにはまらない理由とその対策が分かったような気がします。

理由:日本語が母国語であるがゆえに言葉への要求が高すぎる
対策:言葉にフォーカスしてしまう音源よりもラフでエナジー溢れるライブを入り口にすべき

対策がわかったところでまた新たな問題がありました。
nerdの中年男性が一人でヒップホップのライブに行けるのか…
無理っすね、怖いっすw
完全に偏見ですが、やはりヒップホップというとギャングスタのイメージが強いんですよね。
2pacのwikiとか読んだらあんなん完全に輩ですやんww
まあもちろんこんなのはただの偏見で、見に行ったら楽しいものも多いとは思います。
実際アイドルのRAYが出演するイベントで見たラッパーのIDのパフォーマンスはめちゃくちゃかっこよかったです。
でも、やっぱり強面の若者に囲まれると思うと足が竦みますね…w
ヒップホップのカルチャーにどっぷり浸かっていないというのがここで足枷になってきます。
そもそもそのハードルを乗り越えてまでヒップホップのライブを見たいというエナジーが自分にはない。
これが真実でしょう。

最後に

分析してみたら自分が日本語ラップを好きになる可能性はあるなと思いました。次の2パターンですね。

①一聴して内容もフロウも最高にクールなラップに出会う
②ライブでエナジー溢れるフロウを浴びる

まあ現実においてはこの30年以上の人生で①はほぼなかったんですね。
根っからのラップ好きではない私にとって①は厳しいでしょう。
ということで現実的に起こりうるのは②ですね。
しかし②に関してもライブに行きづらいというハードルがありました。
これはもう自分に対してつべこべ言わず行けとしか言いようがないw

しかし、逆に言えば私のような潜在的リスナーに対して、
ヒップホップ側が提供する機会も多くはないのではないかという疑いもあります。
そこは私が情報に疎いということは確かにあると思います。 
ただ、こういう私のような潜在的リスナーを掘り起こすことにこそ意味がありそうですね(他力本願)。

ということでRAYの内山さんは良い日本語ラップのアーティストを主催のイベントに呼んでください(結局オチはここ)。

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