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おにぎり


中2の夏、母が死んだ。


まだ、私は13歳だった。


母と過ごせた時間はたった13年間。


たったの13年間。

母との思い出は十分に詰め込められていて、
思い返して泣くには十分すぎるくらいだった。



私は小さい頃から
人の変化に気づく事が苦手。


前髪を切っただとか、痩せただとか、
新しいリップだとか。


入院中の母に2ヶ月ぶりに会いに行ったあの夏


神様が私に
「ちゃんと見なさい」
と言わんばかりに、母はやせ細ってた。

そして私が帰る時は、
その細い腕で、手すりに体重を任せながら
最後まで笑顔で見送ってくれた。



母が死んだのは、その2日後。





母が余命宣告されたのは、亡くなる4年前。


余命は1年弱だった。




母がもうこの先長くないと自覚して
1日1秒を大切に生きているとき、

私は噛み合ってなかった。



あの時、
母と同じ時間の感じ方をしていれば

私はもっともっと、母を悲しませずに済んだ。




私の握るおにぎりがどうしても食べたいって

夜の10時くらいに急に言われた。


え、こんな時間に?

いや、ご飯食べたやん。
てかご飯、炊かなもうないやん。


しょうもないけど、
この会話がずっと忘れられない。


結局、私が変な意地を張ったおかげで
この夜は作らずに終わった。





今思えば、病気で胃を3分の2摘出して
好きな物も好きなだけ食べられず、

そんな母におにぎりのひとつくらい。




後から祖母に聞いた。

「あの子(母)はね、あんたが握った塩おにぎりが大好きやったんよ。」

「ばーちゃんが握っても食べてくれやしなかったの。」




きっと私が死んだら

地獄に落ちて

手の皮膚がずる剥けになるくらい

熱々の炊きたてご飯を握り続けるんだと思う


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