お彼岸に思うこと
2024年09月22日(日)
お彼岸やお盆の日は、自分のご先祖と出会うイメージがあります。
考えてみれば、今、生きている私たちは
ご先祖から見たら最先端にいるわけで、
先祖たちの様々な思いは、
先端にいる私たちに期待がかかっていると思われます。
そのためでしょうか、ご先祖を大事にしないと開運しない、、、
とよく言われます。
とくに東洋の占いの先生方は強くそう思われる方が多いように思います。
人は勝手に自分ひとりで生きていると思うのは自由ですが、
確かに先祖がいなければ自分もこの世に存在しなかったわけで、
ご先祖からしてみたら、
先端にいる私たちに何等かの思いや期待があっても当然かもしれません。
血縁の他にも同様の流れはあるように思います。
同じような思いを抱いていた様々な昔の人たち、、、
それと同様の思いを持って今を生きている人とは、
おそらく何等かの接点が存在してもおかしくないと思います。
突然、昔の作曲家の魂が乗り移って、
弾けないピアノが弾けるようになるという現象を、
昔何かで読んだことがありますが、
霊的な系譜のようなものが、
血縁とはことなる形で存在するのではないかと思われます。
祈り、、、様々な祈りもあったことでしょう。
今、私たちが練習している讃美歌の一節に、
「戦いの日に憩いの夜に 御国を慕う熱き祈り、
ささげられしは幾千度ぞ、来たらせ給え 主よ御国を」
とあるのですが、
数百年、数千年に及ぶ、熱き祈りが人類の中にあり、
そうしたものは血縁を超えて伝わることでもあるでしょう。
私たちは今、自分ひとりが勝手に自分の人生を生きており、
だから何したって勝手でしょ、、、という捉え方もありますが、
先祖や様々な人々の思いの先端を生きていると考えた時、
自分の存在は自分だけのものでもないということに気づきます。
22日はお彼岸の中日です。
私たちの存在はとても大きいのです。