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日 本 は今 、 「 超 限 戦 」 という戦 争 のま っただ中 にあ る!

(かなり読み応えある記事である。すべてユダヤDSの仕掛けのようである。
すべてが根底で皇室に行き着く。知らない人も多いと思う:フランク)

2024年03月02日(土) 
https://www.gyouseinews.com/wpj/wp-content/uploads/2024/03/2024030101.pdf

『 超 限 戦 』 と い う 言 葉 を ご 存 じ だ ろ う か 。
『 超 限 戦 』 と は 、 限 度 を 超 え た 戦 争 と い う 意 味 で 、
新 し い 形 の 戦 争 だ 。
軍 隊 が 兵 器 で 戦 う 戦 争 で は な い 。
目 に 見 え な い 「 静 か な 戦 争 」 だ 。
い ま 日 本 は 、 そ の 「 超 限 戦 」 の 真 っ た だ 中 に あ る !

日 本 を奪 い あ う 2 つの勢 力

2 月 2 2 日 、 日 経 平 均 株 価 が 過 去 最 高 値 を 記 録 し た 。
日 経 平 均 は 、バ ブ ル 経 済 の 最 終 盤 だ っ た
平 成 元 年 ( 1 9 8 9 年 ) 1 2 月 2 9 日 に
3 万 8 9 1 5 円 8 7 銭 を つ け た が 、
以 降 下 が り 続 け て き た 。
平 成 1 3 年 ( 2 0 0 1 年 ) 9 月 に は
米 同 時 テ ロ 事 件 の 影 響 か ら
1 万 円 を 割 り 込 ん だ こ と も あ っ た 。
そ の 後 、 自 民 党 政 権 が 復 活 し 、 株 価 は 上 昇 を 続 け た 。
今 年 ( 令 和 6 年 ) に 入 っ て も 上 昇 の 勢 い は 止 ま ら ず 、
つ い に 2 月 2 2 日 の 終 値 が 3 万 9 0 9 8 円 6 8 銭 に な っ た の だ 。

株 価 は 今 後 、 ど う な る の か 。
「 5 万 円 越 え は 間 違 い な い 」 と い う 声 も あ る が 、
慎 重 な 見 方 も 多 い 。
現 実 に は 、 年 内 は し ば ら く 緩 や か に 上 昇 を 続 け 、
や が て 悪 化 す る と い う 見 方 が 妥 当 だ ろ う 。

こ れ ま で 中 国 に 向 い て い た カ ネ が 、
中 国 経 済 の 状 況 を 見 て 日 本 に 流 れ て き た だ け で 、
日 本 経 済 そ の も の が 強 く な っ て い る わ け で は な い か ら だ 。

防 衛 予 算 の 増 大 、 H 3 ロ ケ ッ ト の 成 功 、
な に よ り 兵 庫 県 高 砂 に つ く ら れ た 「 高 砂 水 素 パ ー ク 」 に よ り 三 菱 重 工 の 株 価 が 上 昇 し て い る 。
同 様 に 、 防 衛 産 業 を 担 う 日 本 ア ビ オ ニ ク ス や 、
I H I 石 川 島 播 磨 、 あ る い は 日 本 製 鉄 な ど 、
防 衛 関 係 の 企 業 は 全 体 と し て 上 昇 し て い く 。
防 衛 関 係 以 外 で は 、新 型 コ ロ ナ の 新 し い ワ ク チ ン
「 レ プ リ コ ン ・ ワ ク チ ン 」 の 開 発 で 、
明 治 製 菓 H D に 注 目 が 集 ま っ て い る

こ う し た 一 部 企 業 以 外 は 国 際 情 勢 に 左 右 さ れ る 。

大 雑 把 に 言 え ば 、現 在 の 日 本 は
「 米 英 ・ 大 西 洋 勢 力 」 と ロ シ ア 中 国 中 心 の 「 新 興 国 勢 力
( 大 陸 勢 力 ) 」 の 狭 間 ( は ざ ま ) に あ る 。

2 つ の 勢 力 が 日 本 を 奪 い あ っ て い る 状 況 だ 。
米 英 側 に つ け ば 、 し ば ら く は 安 泰 で 株 価 は ゆ る や か に
上 昇 を 続 け る だ ろ う が 、 や が て 米 英 は 沈 没 す る 。

大 陸 勢 力 側 に つ け ば 、
米 英 側 の 反 発 を 喰 ら っ て 一 時 期 は 大 き く 下 落 す る だ ろ う が 、 必 ず 大 浮 上 す る 。
日 本 は ど ち ら の 道 を 選 ぶ だ ろ う か 。

日 本 に残 っ てほ しい米 英

米 英 ・ 大 西 洋 勢 力 は 、
日 本 が 自 分 た ち の 陣 営 に 残 る こ と を 切 望 し て い る 。
日 本 が ロ シ ア 中 国 側 に つ く こ と を 阻 止 し よ う と し て い る 。
だ が 米 英 は 、 日 本 独 自 の 文 化 は 認 め よ う と し な い 。
こ の と こ ろ 米 英 人 が 日 本 を 訪 問 し 、
日 本 の 風 景 や 料 理 を 絶 賛 し て い る の は 、
米 英 が 日 本 に ゴ マ を す っ て い る よ う な も の だ 。
『 ゴ ジ ラ - 1 . 0 』 が ア カ デ ミ ー 賞 作 品 賞 候 補 に な り 、
『 君 た ち は ど う 生 き る か 』 が ア ニ メ 賞 候 補 に な っ て い る の も 、 米 英 側 が 日 本 に す り 寄 ろ う と し て い る 表 れ と い え る 。

だ が 日 本 は 、 米 英 の 信 頼 は 得 ら れ て い な い 。
年 末 年 始 の 市 場 に 、
ロ シ ア 産 の カ ニ 、 サ ケ 、 イ ク ラ な ど が山 ほ ど 積 ま れ た 。
首 都 圏 で は ど の マ ー ケ ッ ト に も ロ シ ア 産 の 海 産 物 が
あ ふ れ て い た 。
首 都 圏 に 限 ら ず 、 お そ ら く 日 本 中 で ロ シ ア 産 の 海 産 物 が
大 量 に 出 回 っ た は ず だ 。
だ が 日 本 は 、 ロ シ ア の ウ ク ラ イ ナ 侵 攻 に 反 対 し て 、
ロ シ ア に 制 裁 を か け て い る こ と に な っ て い る 。

ジ ェ ト ロ ( 日 本 貿 易 振 興 機 構 ) の 発 表 で も 、
対 ロ 貿 易 は 増 え て い な い こ と に な っ て い る 。
ロ シ ア か ら 日 本 へ の 小 麦 粉 は 2 4 0 0 % … …
2 4 倍 に な っ た と ロ シ ア は 発 表 し て い る 。
サ ハ リ ン ( 樺 太 ) か ら の 天 然 ガ ス 供 給 も 減 っ て い な い 。

日 本 は
国 家 ぐ る み で 対 ロ 貿 易 を ご ま か し て い る の で は な い か 。
そ ん な 雰 囲 気 が 感 じ ら れ る 。
正 月 元 旦 の 石 川 県 能 登 半 島 地 震 に 対 し て 、
北 朝 鮮 の 金 正 恩 ( 元 帥 ) が お 見 舞 い の 電 報 を
打 っ た と 伝 え ら れ る が 、
そ の 際 に 「 岸 田 文 雄 内 閣 総 理 大 臣 閣 下 」 と
最 大 限 の 敬 称 を つ か っ た 。
北 朝 鮮 が こ ん な 扱 い を す る の は 、
日 本 が ロ シ ア 中 国 寄 り だ と 理 解 し て い る か ら で は な い の か … … 。
米 英 ・ 大 西 洋 勢 力 は 日 本 を 信 用 し て い な い 。

「 ジ ャ ニーズ事 務 所 」攻 撃 の深 奥

大 正 時 代 に 『 大 日 本 皇 道 立 教 会 』 と い う 組 織 が つ く ら れ た 。 光 格 天 皇 ( 江 戸 時 代 後 期 の 第 1 1 9 代天皇) の 第 6 皇 子 、
長 仁 親 王 が 臣 籍 降 下 し て 中 山 家
行政調査新聞 (2024 年 3 月 1 日) http://www.gyouseinews.com/ 3
( 京 中 山 家 ) を 名 乗 り 、 そ の 孫 で あ る
中 山 忠 英 が 初 代 会 長 と し て 采 配 をふ る っ た 組 織 で あ る 。

こ の 『 大 日 本 皇 道 立 教 会 』 は
幹 事 長 が 頭 山 満 、 幹 事 に 内 田 良 平 、 梅 屋 庄 吉 、
顧 問 に 大 隈 重 信 や 東 郷 平 八 郎 を 置 く 巨 大 組 織 で 、
会 員 に は 出 口 王 仁 三 郎 、 安 岡 正 篤 な ど が 入 っ て い た 。

中 国 で 辛 亥 革 命 を 起 こ し た 孫 文 も
こ の 会 と 深 い 縁 で 結 ば れ て い た 。

ち な み に 孫 文 は 中 国 で は 「 孫 中 山 」 と い う が 、
こ の 「 中 山 」 は 、中 山 家 ( 京 中 山 家 ) の
養 子 ( 猶 子 ) に な っ た こ と か ら 生 ま れ た 名 で あ る 。

( こ の 辺 り の こ と は 本 紙 で 何 度 か 触 れ て い る 。
以 下 を ご 参 照 く だ さ い 。)
https://www.gyouseinews.com/1289/20180911-3/


大 日 本 皇 道 立 教 会 は 「 大 ア ジ ア 主 義 」 と い う 思 想 を
根 幹 に 据 え て い た 。
覇 道 に 生 き る 西 欧 … … と り わ け 英 米 蘭 の 植 民 地 主 義 を
否 定 し て い た 。
大 日 本 皇 道 立 教 会 の メ ン バ ー に 、
喜 多 川 諦 道 ( き た が わ て い ど う ) と い う 男 が い た 。
高 野 山 真 言 密 教 の 僧 で 、 大 日 本 皇 道 立 教 会 の 大 隈 重 信 に
可 愛 が ら れ て い た 。
喜 多 川 諦 道 は 大 隈 重 信 の 命 を 受 け 、
米 国 に 仏 教 を 布 教 し よ う と 、大 正 1 3 年 ( 1 9 2 4 年 ) に 渡 米 。

ロ サ ン ゼ ル ス 大 師 教 会 ( 高 野 山 米 国 別 院 ) の 主 監 と な っ た 。 喜 多 川 諦 道 は 、 日 本 人 の 妻 と の 間 に 二 男 一 女 を 儲 け て い る 。 そ の 長 女 が メ リ ー 喜 多 川 、 次 男 が ジ ャ ニ ー 喜 多 川 で あ る 。

米 国 で 生 ま れ た ジ ャ ニ ー 喜 多 川 は 、
満 一 歳 の 昭 和 8 年 ( 1 9 3 3 年 ) に 家 族 と 共 に 日 本 に 来 て 、
戦 争 を 体 験 す る 。
1 3 歳 の と き に は 疎 開 先 の 和 歌 山 で 大 空 襲 に も あ っ て い る 。
1 6 歳 の と き に 米 国 に 戻 り 、 昭 和 2 7 年 ( 1 9 5 2 年 ) に は
徴 兵 さ れ て 朝 鮮 戦 争 に 出 兵 。
そ の 後 、 軍 事 顧 問 団 の 事 務 員 と し て 東 京 に 来 て 、 以 来 、
日 本 で 生 活 す る 。
ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 を 創 業 し た の は
昭 和 3 7 年 ( 1 9 6 3 年 ) の こ と だ っ た 。
( ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 は 昨 年 「 ス タ ー ト ・ エ ン タ ー テ イ メ ン ト T A R T O E N T E R T A I N M E N T 」 に 名 称 を 変 更 し た が 、
以 下 ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 と 記 す 。 )

昨 年 ( 令 和 5 年 ) 春 に ジ ャ ニ ー 喜 多 川 に よ る 性 加 害 事 件 が
表 面 化 し た 。
ジ ャ ニ ー 喜 多 川 が 「 男 の 子 が 好 き 」 な こ と は 、
か な り 以 前 か ら 話 題 に な っ て い た が 、
表 面 化 し た の は 昨 年 3 月 に 英 国 B B C ( 英 国 放 送 協 会 ) が
「 秘 め ら れ た ス キ ャ ン ダ ル 」 を 放 送 、
同 時 期 に 「 週 刊 文 春 」 が ジ ャ ニ ー ズ ・ ジ ュ ニ ア の
性 加 害 証 言 を 掲 載 し て か ら の こ と だ っ た 。
ジ ャ ニ ー 喜 多 川 が 男 性 タ レ ン ト に 性 加 害 を 行 っ て い た こ と は 、 多 く の 証 言 か ら も 明 ら か だ 。
だ が よ く 考 え て 頂 き た い 。
加 害 者 は ジ ャ ニ ー 喜 多 川 で あ り 、
被 害 者 は ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 の タ レ ン ト た ち だ 。

加 害 者 に は 罪 が あ る 。
罰 せ ら れ て 当 然 だ 。
被 害 者 に は 罪 は な い 。
被 害 者 が 罰 せ ら れ る こ と は 、 あ っ て は な ら な い 。
と こ ろ が 「 性 加 害 問 題 を 隠 蔽 し 続 け た 」 ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 に 批 判 が 集 ま り 、 ジ ャ ニ ー ズ の タ レ ン ト た ち が仕 事 を
打 ち 切 ら れ 、 テ レ ビ C M は す べ て 消 え る 状 況 に
な っ て し ま っ た 。
被 害 者 が 排 除 さ れ た の だ 。
ジ ャ ニ ー 喜 多 川 の 性 加 害 問 題 は 、 ど こ か で 歪 め ら れ て い る 。

天 皇 家 を守 る人 々が狙 われ た

藤 島 範 平 ( は ん ぺ い ) 。
子 供 は 作 家 の 藤 島 泰 輔 ( た い す け ) だ 。
藤 島 泰 輔 ( 平 成 9 年 に 6 4 歳 で 没 ) は
明 仁 上 皇 ( 平 成 の 天 皇 ) の ご 学 友 と し て 知 ら れ 、
皇 太 子 時 代 の 明 仁 上 皇 の 物 語 を 描 い た 小 説 『 孤 独 の 人 』 の
著 者 で も あ る 。
明 仁 皇 太 子 と と も に バ イ ニ ン グ 夫 人 の 教 育 を 受 け 、
一 緒 に 学 習 院 を 卒 業 。
天 皇 と な ら れ て 以 降 も 親 し く 付 き 合 っ て い た 。

藤 島 泰 輔 は そ の 後 、 メ リ ー 喜 多 川 と 結 婚 し 、
藤 島 ジ ェ リ ー 景 子 の 父 と な っ た 。
藤 島 ジ ェ リ ー 景 子 は 、 母 メ リ ー 喜 多 川
( 戸 籍 上 の 本 名 は 藤 島 メ リ ー 泰 子 ) が
所 有 し て い た ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 の 全 株 を 所 有 し て い る 。
昨 年 春 に は じ ま っ た ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 タ レ ン ト 叩 き が 、
加 害 者 ジ ャ ニ ー 喜 多 川 叩 き で は な く 、
被 害 者 ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 タ レ ン ト 叩 き に す り 替 え ら れ た の は 、 意 図 的 な も の と 考 え ら れ る 。

「 ス ク リー ン 」に日 本 を復 活 させ たジ ャニー喜 多 川

お 断 り し て お く が 、
男 性 タ レ ン ト に 性 加 害 を 行 っ て い た ジ ャ ニ ー 喜 多 川 を
擁 護 し よ う な ど と は 考 え て い な い 。
そ の 上 で 、 ジ ャ ニ ー 喜 多 川 に つ い て 、
ひ と こ と 申 し 上 げ て お く 。
ジ ャ ニ ー 喜 多 川 が タ レ ン ト と し て 事 務 所 に 来 た
若 い 男 の 子 た ち に 、 太 平 洋 戦 争 の 悲 惨 さ を 伝 え 、
ま た 東 京 大 空 襲 や 沖 縄 戦 な ど で 米 軍 が 行 っ た
残 虐 な 行 為 を 解 説 し て い た こ と は 多 く の 証 言 か ら 明 ら か だ 。

男 の 子 が 大 好 き な ジ ャ ニ ー 喜 多 川 は 、
同 時 に 、 愛 国 者 の 側 面 も も っ て い た 。
天 皇 を 守 る 姿 勢 は 強 固 な も の だ っ た 。
ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 が 創 設 さ れ た こ ろ 、 日 本 の テ レ ビ 、 ラ ジ オ で は 米 国 製 の ド ラ マ や 歌 が 全 盛 を 極 め て い た 。
戦 後 の 日 本 は 、 米 国 の 「 3 S 政 策 」 の ワ ナ に 嵌 ま り 、
ア メ リ カ 製 の 文 化 を あ り が た が っ て い た 。

( 注 : 3 S と は 、 「 ス ク リ ー ン ・ ス ポ ー ツ ・ セ ッ ク ス 」 の
頭 文 字 。 3 S 政 策 と は 、 大 衆 の 興 味 を ス ク リ ー ン ・ ス ポ ー ツ ・ セ ッ ク ス に 集 中 さ せ て 、 他 に 興 味 を 持 た な い よ う に す る
政 策 。 )

ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 が 創 設 さ れ た 当 時 、 テ レ ビ で は
「 ラ ラ ミ ー 牧 場 」 「 ア ン タ ッ チ ャ ブ ル 」 「 ロ ー ハ イ ド 」
「 ル ー ト 6 6 」 「 ベ ン ・ ケ ー シ ー 」 「 コ ン バ ッ ト 」
「 奥 さ ま は 魔 女 」 「 刑 事 コ ロ ン ボ 」 な ど な ど 、
ア メ リ カ 製 の ド ラ マ が 花 盛 り だ っ た 。

音 楽 の 世 界 では、 ポ ー ル ・ ア ン カ 、 ニ ー ル ・ セ ダ カ 、
エ ル ビ ス ・ プ レ ス リ ー 、 そ の 後 に は ビ ー ト ル ズ が
世 界 を 席 巻 し 、 ロ ッ ク 時 代 に 入 る と レ ッ ド ・ ツ ェ ッ ペ リ ン や ボ ン ・ ジ ョ ヴ ィ 、 そ の 後 に は マ イ ケ ル ・ ジ ャ ク ソ ン が 現 れ る 。 ご 記 憶 さ れ て い る 方 も 多 い だ ろ う 。

昭 和 の 時 代 、 日 本 で は 、 ア メ リ カ 製 の テ レ ビ や 音 楽 ば か り が 人 気 だ っ た 。
ア メ リ カ 製 し か な か っ た 。
愛 国 者 の ジ ャ ニ ー 喜 多 川 は 、 こ こ に 風 穴 を あ け よ う と 、
日 本 製 の ポ ッ プ ス 導 入 を 図 っ た 。
そ れ が ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 だ っ た 。
そ の 事 務 所 の 全 株 式 を 保 有 し て い た の は 、
明 仁 皇 太 子 ( 後 の 天 皇 、 上 皇 ) の 無 二 の 親 友 ・ 藤 島 泰 輔 の
奥 さ ん で あ る メ リ ー 喜 多 川 だ っ た 。
そ の 全 株 式 は や が て 藤 島 泰 輔 の 娘 ・ 藤 島 ジ ェ リ ー 景 子 に
わ た る 。
す べ て は 天 皇 家 を 支 え て き た
大 日 本 皇 道 立 教 会 の 流 れ の 中 に あ っ た 。

愛 子 内 親 王 は 「 ジ ャニーズ推 し 」

い ま 皇 族 の 中 で 一 番 注 目 さ れ て い る 方 と い え ば 、
な ん と い っ て も 愛 子 さ ま ( 愛 子 内 親 王 ) だ ろ う 。
そ の 愛 子 さ ま が 「 週 刊 女 性 」 3 月 5 日 号 ( 2 月 2 0 日 発 売 ) で 興 味 深 い 話 を 語 ら れ て い る 。
そ の 一 部 を 以 下 に 引 用 し て み る 。

「 公 私 共 に 充 実 し て い る 愛 子 さ ま だ が 、
実 は 毎 週 密 か に 楽 し み に さ れ て い る テ レ ビ 番 組 が あ る
と い う 。
『 愛 子 さ ま は 日 本 テ レ ビ 系 で 毎 週 月 曜 日 に 放 送 さ れ て い る
人 気 バ ラ エ テ ィ ー 番 組 「 月 曜 か ら 夜 ふ か し 」 が
お 気 に 入 り だ と 伺 い ま し た 』 ( 宮 内 庁 関 係 者 ) 」

「 実 は 愛 子 さ ま は 旧 ジ ャ ニ ー ズ が お 好 き で 、
高 校 生 の と き か ら 、 御 所 で 推 し 活 を 楽 し ま れ て い た そ う 。
特 に 『 W E S T . 』 の 重 岡 大 毅 さ ん と 藤 井 流 星 さ ん の フ ァ ン で 、 彼 ら の 誕 生 日 を 祝 う 様 子 を 限 ら れ た 友 人 に だ け
公 開 し て い る イ ン ス タ グ ラ ム に あ げ て い た こ と も 。
村 上 信 五 さ ん も 、 愛 子 さ ま の 推 し 『 W E S T . 』 と 同 じ
旧 関 西 ジ ャ ニ ー ズ 勢 で す か ら 、 そ れ も あ っ て 番 組 を
応 援 さ れ て い る の か も し れ ま せ ん 」
( 「 週 刊 女 性 」 3 月 5 日 号 よ り 引 用

2 0 歳 の 愛 子 さ ま が テ レ ビ 番 組 を 楽 し ま れ て い る こ と 、
そ し て ジ ャ ニ ー ズ 好 き な こ と は 間 違 い な さ そ う だ 。
だ が 皇 族 が 特 定 の テ レ ビ 番 組 の 話 を さ れ る こ と は 珍 し い 。
し か も 、 こ の 時 期 に ジ ャ ニ ー ズ を 話 題 に 出 す と は … 。

「 超 限 戦 」で使 用 され る武 器 = S N S

天 皇 を は じ め 皇 族 の 方 々 が 好 き な テ レ ビ 番 組 を
口 に さ れ る こ と は な い 。
そ れ で も 天 皇 家 の 方 々 が 大 相 撲 や 歌 舞 伎 に
強 い 興 味 を 持 た れ て い る こ と は 、
様 々 な 形 で 伝 わ っ て き て い る 。
そ の 大 相 撲 や 歌 舞 伎 の 世 界 が 、
近 年 ス キ ャ ン ダ ル に ま み れ て い る 。
ジ ャ ニ ー 喜 多 川 の 性 加 害 問 題 と 、
そ こ か ら 派 生 し た ジ ャ ニ ー ズ 事 務 所 叩 き 、
そ し て 愛 子 さ ま の 「 ジ ャ ニ ー ズ 推 し 」 発 言 。
も し か し た ら 、 大 相 撲 や 歌 舞 伎 界 の ス キ ャ ン ダ ル に も
仕 掛 け が あ っ た の か も し れ な い 。
な に し ろ 天 皇 家 が 好 ま れ る 世 界 な の だ 。
だ が 概 略 を 眺 め た 限 り で は 、 ウ ラ は 感 じ ら れ な い 。
そ う し た 中 、 い ま 気 に な っ て い る の は
ダ ウ ン タ ウ ン 松 本 人 志 の ス キ ャ ン ダ ル だ 。
9 年 前 に 松 本 人 志 が 行 っ た と さ れ る 性 加 害 事 件 で 、
松 本 人 志 は テ レ ビ か ら 姿 を 消 し た 。
本 当 に 性 加 害 が あ っ た か 否 か は 、
今 後 明 ら か に さ れ て い く だ ろ う 。
だ が 引 っ か か る の は 、 な ぜ 9 年 前 の 話 が
2 0 2 3 年 末 に 取 り 上 げ ら れ た か だ 。
ダ ウ ン タ ウ ン は 吉 本 興 業 の タ レ ン ト 。
ダ ウ ン タ ウ ン を 見 つ け 、 才 能 を 花 開 か せ た の は
吉 本 興 業 の 大 﨑 洋 。
大 﨑 洋 は 、 現 在 は 吉 本 興 業 の 取 締 役 で 、
内 閣 官 房 「 ま ち ・ ひ と ・ し ご と 創 成 本 部 」 委 員 、
さ ら に 大 阪 万 博 ( 2 0 2 5 日 本 国 際 博 覧 会 協会)
シ ニ ア ア ド バ イ ザ ー を 務 め る 。
松 本 人 志 事 件 は 必 ず 大 﨑 洋 に 行 き 着 き 、
大 﨑 は 多 大 な 時 間 と 手 間 を 割 か れ る こ と に な る 。

現 在 の 日 本 全 体 を 俯 瞰 し て み よ う 。
政 府 自 民 党 は 派 閥 の 政 治 資 金 問 題 で 大 揺 れ に 揺 れ て い る 。
国 政 を 司 る 代 議 士 、 国 会 議 員 だ け で な く 、 地 方 議 会 や 市 長 、 町 長 、 村 長 な ど も 、 あ ち こ ち で 問 題 を 起 こ し て い る 。

カ ネ の 問 題 に 限 ら ず 、 セ ク ハ ラ 、 パ ワ ハ ラ 事 件 が
連 日 の よ う に 報 道 さ れ る 。
一 つ 一 つ を 詳 細 に 調 べ た わ け で は な い の で 、
具 体 名 は 列 記 し な い が 、 昭 和 初 期 や 戦 後 の あ る 時 期 ま で 、
日 本 中 の あ ち こ ち で 見 ら れ た セ ク ハ ラ で あ り 、
パ ワ ハ ラ で あ り 、 汚 職 収 賄 事 件 の よ う に 思 え る 。
地 位 や 権 力 を 傘 に 、 悪 い こ と を す る 輩 は
い つ の 時 代 に も い る 。
そ ん な 連 中 が 糾 弾 さ れ 、 つ る し 上 げ ら れ る の は
当 然 の こ と だ 。
し か し 、 こ う し た 事 件 が 次 つ ぎ と 明 ら か に な っ て い く の に
従 っ て 、 日 本 か ら 日 本 ら し さ が 消 え て い く 。
日 本 全 体 が 、 萎 縮 し 、 こ ぢ ん ま り と し た み じ め な 姿 に
変 わ り つ つ あ る 。
胸 を 張 っ て 生 き て き た 日 本 人 が 、 肩 を す ぼ め 、 人 目 を 怖 れ 、 こ そ こ そ 生 き て い る 。
日 本 か ら 日 本 ら し さ を 奪 っ て い る 根 源 は 、
米 英 の 、 西 欧 の 価 値 観 で あ る 。
わ か り や す い 例 が 「 S D G s ( エ ス デ ィ ー ジ ー ズ ) = 持 続 可 能 な 開 発 目 標 」 だ ろ う 。
S D G s は 持 続 可 能 な 1 7 の 目 標 を 掲 げ て い る 。

た と え ば
「 1 ・ 貧 困 を な く す 」
「 2 ・ 飢 餓 を ゼ ロ に 」
「 3 ・ す べ て の 人 に 健 康 と 福 祉 を 」
「 4 ・ 高 度 な 教 育 」 な ど だ 。
こ れ ら の 美 辞 麗 句 に 文 句 を い う 人 は い な い だ ろ う 。
だ が 「 5 ・ ジ ェ ン ダ ー 平 等 」 あ た り か ら 、
ち ょ っ と 怪 し く な る 。
「 水 と ト イ レ 」 「 エ ネ ル ギ ー 」 「 技 術 革 新 」 と 並 べ ら れ る
中 に は 、 西 欧 的 価 値 観 だ け が 優 先 さ れ る 姿 勢 が
見 え は じ め る 。
細 部 ま で 詳 述 す る 紙 幅 は な い の で 一 気 に ま と め よ う 。

い ま 日 本 は 、 西 欧 的 価 値 観 を 押 し 付 け ら れ 、
そ れ が 正 義 だ と 思 わ せ ら れ て い る 。
米 英 が 正 し い と 決 め た 価 値 観 に 従 う こ と が
当 然 だ と 思 わ せ ら れ て い る 。
疑 念 を 語 る こ と は 間 違 っ て い る と
断 罪 さ れ る 世 の 中 に な っ て い る 。
こ う し た 構 図 を 生 み 出 し て い る の が
「 X ( 旧 ツ イ ッ タ ー ) 」 に 代 表 さ れ る S N S で あ り 、
イ ン タ ー ネ ッ ト 情 報 だ 。
米 英 側 は S N S を 利 用 し て の 思 想 戦 が う ま い 。
巧 み で あ る 。
見 事 に 世 論 を 誘 導 し 、 正 義 を 生 み 出 し て い る 。
私 た ち は い ま 、 携 帯 電 話 や パ ソ コ ン の 世 界 か ら
抜 け 出 す こ と は で き な い 。
イ ン タ ー ネ ッ ト の 情 報 や S N S は 、
い ま や 生 活 の 一 部 に な っ て い る 。
そ れ で も 一 部 の 日 本 人 は 、 奇 妙 さ に 気 づ い て い る はず だ 。
英 米 側 が つ く り あ げ て き た 正 義 は 、
決 し て 正 義 で は な い と い う こ と を 。
あ ら ゆ る 情 報 を 鵜 呑 み す る こ と な く 、
そ の ウ ラ で 何 が 動 い て い る か 、
ご 自 身 で 考 え る 癖 を 身 に 付 け て お こ う 。
そ の 姿 勢 こ そ が 、 明 日 の あ な た を 保 証 す る はず だ 。


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