見出し画像

ハチスノイトが凄すぎてMiles Davisが聴きたくなった話

ファラさんという方の記事で”ハチスノイト”というミュージシャンのことを知ってそして“Aura”というアルバムを聴いてみて、あまりの衝撃に度肝を抜かれてしばらく放心状態でしたが、ようやく正気を取り戻しつつあるので感想など書いてみます。
詳しくはファラさんの記事を読んでください。

まず、自分は大した知識も持ってないし解説するような語彙力はないのでとお断りしておきます。ただの感想です。


“Aura”
はっきりいって自分のような凡人がこの神の音楽について語ることもおこがましいと思ってしまうぐらいの神々しさでした。オーラというより後光だなと。
どの曲も引き込まれるような美しいハーモニーと民族音楽的なメロディやオペラ的な歌い方、それらが渾然一体となって襲いかかってきます。
ふと「複雑な透明さ」という言葉が思い浮かびました。あるいは地平線とか水平線、大地、空、海、草原といった自然の風景が見えてくるようですが、空には暗雲が立ち込め、海は深く底が見えず、なにやら不気味さも同居するような感覚、または嵐の前の静けさといった感覚を覚えます。人間の力が及ばない自然の力や神々の威光なのではないかとさえ思います。

そういった複雑でありながら透明で美しい音楽をしばらく繰り返し聴いていたら、全身が透明に侵食されていくような感覚に陥りました。
急に「このままではヤバい」と我に返って、Miles Davisの“Zimbabwe”を再生しMilesの暗黒のオーラで景色が歪んで見える、禍々しく透明感とは程遠い音楽を吸収することでなんとか正気を取り戻しつつあり、そして今に至ります。

どちらも人智の及ばないある種の不気味さを感じる音楽だと思いますが、Milesの悪魔的な禍々しい力に対してハチスノイトは後光がさした神々しさという感じでしょうか。
ただどちらも人間の力を越えた計り知れない恐怖みたいなものを感じます。

というわけで、自分の音楽にもこの神々しさを取り入れるべくまたしばらく聴いてみたいと思います。noteが更新されなくなったら神の力にやられたんだなと思ってください。人間が手を出していい領域ではなかったんだと。

ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?