科学と聖書にまつわる随想(19)
「別の命(その2)」
「はたらく細胞」というマンガがあります。役者が演じて実写版で映画化もされるそうです。赤血球や白血球など、体の中の様々な細胞がキャラクタ化されて、その働きをストーリーを通して分かりやすく教えてくれる面白いマンガだと思います。実際の赤血球や白血球は、マンガのキャラクタのように顔や手足も無ければ意思を持って動いている訳でもありませんが、体内で作り出されて、ある期間働いたら分解されるという新陳代謝を繰り返しており、言わば寿命を持っている存在です。
腸は“第二の脳”とも呼ばれるそうです。腸には数多くの神経細胞が張り巡らされていて、自律神経で脳と繋がっており、腸の状態と脳の活動は“脳腸相関”と呼ばれるように密接に関係していると言われています。確かに、お腹の調子が悪いと気分が滅入ったりすることがありますし、食事をしてお腹いっぱいになると眠たくなったり、ということから経験的にもこれは納得できることでしょう。脳と腸を中心とする自律神経系統が、無意識の自分として私たちの体に同居する別の命なのかもしれない、そんな気がします。
そして、腸の状態は、“腸内フローラ”と呼ばれる腸内に住む細菌の状態によって左右されると言われます。ご承知の通り、腸内には善玉菌(乳酸菌やビフィズス菌など)と悪玉菌(ウェルシュ菌や大腸菌など)がいて、そのバランスで腸の調子が変わるそうです。面白いことに、そのほかにも日和見菌といって、腸の調子によって良い方の味方をしたり悪さをしたり、行動が変化するのがたくさんいるそうです。また、悪玉菌は悪さをするのだから居ない方が良いようにも思いますが、まったく居なくなると今度は善玉菌の働きが鈍ってしまい、それもまた良くないそうです。悪者にも存在意義があるというのは、なんとも奥深い気がします。戦争が悪であることは確かですが、元々は軍事用として開発された技術が、民生用として今や私たちの生活に無くてはならないものとして用いられているという例が数多く存在することも、また現実である訳です。
マタイの福音書にある毒麦のたとえ話を思い起こします。
善玉菌にしても悪玉菌にしても、こういう細菌たちも、やはり命を持つ存在です。
また、口の中には口内細菌が居ますし、皮膚の表面にも常在菌として様々な微生物が宿っているそうです。つまり、私たちの体に宿っている命は、自分自身だけではなしに、それ以外に無数の命と共存している状態なのだ、ということを改めて思わされます。
旧約聖書には次のような記事があります。
昔、アラムの王が、イスラエルの預言者エリシャを捕らえようとして大軍を率いてやって来た時のこと、
様々な常在菌たちは、私たちの目には見えませんが、私たちと同棲する別の命を持つ存在として、この「火の車と戦車」のように私たちを取り巻いて守ってくれているのかもしれません。ただ、最初は“良い麦”として蒔かれたはずなのに、“罪”が入り込んで毒麦と化してしまった私たちにとっては、その毒を打ち消すにはイエス・キリストの十字架の血潮を血清として打つこと以外に治療法は無いのです。
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