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自由な生き方したくない?

こんにちは、IT、ゲーム開発のフリースタイル 広報の川崎です。

タイトルだけ見ると何のステマかな?という怪しい響きになってしまいましたが(笑)自由な生き方がしたいという人は多いと思います。
昨今は特にIT技術の進歩やグローバル化によって多様な考え方が受け入れられるようになり、働き方にも「自由」を求める動きは活発になってきていますね。
フリースタイルでは設立当初から、「どんな人間も自由な生き方を実現できる可能性がある」と考えています。
またまた怪しい響きになってしまったけど、今回お伝えしたいことはうまい話ではなくて、愚直に頑張ることの大切さです。

自由な生き方とは選択肢を増やすこと

選択肢の数は能力に比例する

私たちは、目の前の選択肢すべてを選択できる状態が「自由」だと考えています。
例えば、目的地まで行くのに、景色を見たいから徒歩で行くのか、早く行きたいからジェット機で行くのか、快適に行きたいからタクシーで行くのか
自分のやりたい方法を制限なく選べる状態が自由ということ。
選択肢の数は能力に比例します。

つまり、より自由に生きたいと思うなら、今より高い能力を手に入れればいいというわけです。

能力の差は経験の差

弊社社長がよく「人はみんな可能性を持っている。それはイチローやビル・ゲイツといった成功者たちと何ら遜色ないものだ」という話をします。
自己啓発書などでも”自分の可能性を信じよう”といった文言はよく見かけるのではないでしょうか。

経験の積みやすさに周りの環境や理解度、選択のタイミングといった外的要因が絡んでくることはあれど、能力の差は単純に経験の差、というのは考えてみれば納得です。

自分の限界を決めてしまう理由

と、ここまでの内容に「理屈ではそうかもしれないけど、やっぱり自分には無理。自分はこの程度。」と思う方も多いかもしれません。
せっかくどこまでも広げていける可能性があるのに、自分の限界を自分で決めてしまう理由は何でしょうか?

成長=つらい、苦しい という固定概念がある

成長と聞いてどんなイメージがありますか?
「痛みを伴う」「つらい」「苦しい」というイメージがある人は、そこから逃れることを最優先して、自分の理想の姿に一旦蓋をします。
反対に、自分の理想の姿に近づいている工程として、新しい知識を得たり、できることを増やして自分の成長を楽しめる人は、どんなに歩みがゆっくりでも後退していくことはもちろん、停滞することもありません。
前者の方が楽なイメージがあるかもしれませんが、実際にはやりたいことを我慢しつづけ、後から来た人に追い越されていく日々は、それはそれで苦しいのではないでしょうか。

他人の物差しで自分の成長を測ろうとしている

成長は昨日の自分と今日の自分の差で測るものであり、他人と比べて劣っているか、優っているかは追っても仕方のないところです。
他人と比べてどの程度かということにフォーカスすると、
「今から頑張ってもあの人のようにはなれない」
「もっと下の人がいるからこの程度頑張ればいいや」
と歩みを止めてしまうことにつながります。

まとめ

ここまで読んでいただいて、「一度きりの人生、やれることはやって自分の可能性を最大限広げたい」と思う人もいれば、「やっぱりできないかもしれないことにわざわざ挑戦したくない」という人もいると思います。
それぞれの人生、何を選択しても正解・不正解はありません。
でも、成長を追い続けて、結果的に自由な選択肢を増やしていくことにつながるのって楽しそうじゃない?
そう思えるきっかけになればいいな、という思いで書きました(^^)
私もフリースタイルに入って、そういう話を社長や先輩から聞くまでは、成長=つらい・しんどい・やりたくないという固定概念があって、楽しむという考え方がなかったから。
自分を制限している思い込みを一旦外して、自由な生き方を目指してみませんか?

読んでいただきありがとうございました♪

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