見出し画像

『栗山ノート2』から学ぶこと

自分の胸に手を当てて想像してみてください。
「自分は何者なのか?」と…

初めまして(Note初投稿です)

僕は一人の野球ファンで、プロ野球北海道日本ハムファイターズのファンであり、縁あってYoutubeで細々と応援チャンネルを運営させてもらっています。

僕はファイターズの監督に栗山英樹さんが就任してから、栗山さんの書籍を買いあさり、自分の心の拠り所としてきました。

どうやら栗山さんは世間からは“変な人”と見られており、当該僕自身もそう思っている一人です。

そんな栗山さんが2023年に行われたWBC(ワールドベースボールクラシック)で優勝監督となり、その後に上梓した
『栗山ノート2』 栗山英樹

からいくつかの内容を(できるだけネタバレにならないように)紹介をしたいと思います。
ぜひ、一読するきっかけとなればと思います。

◇栗山監督の著書は難しすぎる?◇

『栗山ノート』 栗山英樹著 

をはじめとして栗山さんの本は、昔の偉い人の言葉が多く引用され、理解することが難しく感じます。

ただ、この記事を読んでいる皆さんは、きっと野球が好きなはずです。
特段、ファイターズ(野球)ファンであれば、その情景が脳内で再生されるような描写もたくさん出てきます。
それらと照らし合わせて、如何にも“キレイごと”のように感じてしまう、古人の言葉を素直に受け取ることができるのではないかと常に思っています。

これが僕が栗山監督の著書を推奨し発信している大きな理由です。

◇『不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思ひだすべし』◇

2023年のNHK大河ドラマでは『どうする家康』が放送されており、歴史の再現性をめぐって賛否が沸き起こっているそうですね。
それはさておき、
この
『不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思ひだすべし』
は、そんな徳川家康が残した言葉で
この項では、栗山さんがファイターズの監督時代から、今回のWBCのチーム作りにあたって具体的にこの言葉を意識した内容が述べられており、

自分の思い通りにいかない状況、つまり不自由な状況は、決して特別なことではない。それが当たり前だと考えれば、不満は生じません。
心に欲が染み出してきたら、苦しかった場面を思い出しましょう。不自由を常に思うことは、今の自分を客観視することにつながります。そのなかで、自分にできる精一杯を尽くしていけば、難局をのり越えることもできるはずだ。

と栗山さんも読者にエールを送っています。

令和の世、モノや情報で溢れかえっています。
これは、ある意味では恵まれている環境であり、不自由な環境を避けることが簡単な時代になっています。

今の僕たちが忘れがちな、「不自由な環境を当たり前と思うこと」が、これから生きていくうえで必要であるということを、訴えかけているのかもしれませんね。

◇言行は君子の枢機なり◇

この記事を書いている2023年7月24日時点では球団では39年ぶりの12連敗を喫している最中であり、
長いトンネルをいつ抜けられるのか?
そんな思いと闘いながら、記事をしたためています。

この項は、WBCでダルビッシュ有投手や投手大谷の起用法に関して書かれていますが、

僕から新庄監督へ送りたい言葉であり、栗山プロフェッサーからのファイターズへのメッセージなのではないかと思ってしまうものです。

栗山さんは常日頃、渋沢栄一さんの『論語と算盤』を愛してやみません。
その中の一説にこのような言葉があるそうです。

「失敗はその多くが得意の日に兆しを表す」

2023年6月24日 対マリーンズ戦
ファイターズは、けが人の完全復調を待たずして、交流戦を挟んで5連勝と波に乗っていました。
F4-4M  と同点で迎えたファイターズは9回表、無死2.3塁のチャンスを作り、6連勝へまっしぐらと言う雰囲気でした。

ここで、ファイターズは一度スクイズを外され、三塁走者が憤死します。
その間に二塁走者は三塁へ到達していましたが、一度スクイズを外された石井一成に3ボール2ストライクから再度スクイズを命じるも、再び外され空振三振、三塁走者もタッチアウトとなり、同点のまま9回裏のロッテの攻撃へ移ることになります。

ご承知おきのとおり、ファイターズはこの試合でサヨナラ負けを喫し、この試合を含めそれ以降20試合で3勝しかできず、12連敗を脱せずにいるわけです。

過ぎてしまったことは返ってきませんが、ここから学ぶことは我々にもあるはずです。

「失敗はその多くが得意の日に兆しを表す」

まさに波に乗っている時こそ、失敗の兆しを表すというお見本のような一幕だったのではないでしょうか?

少なくとも、スクイズのサインを出した新庄監督にはこの兆しは見えていなかったように思います。

「ワクワクする野球」、「選手たちの成長」、そのような思いが連勝中の流れにのって、事の本質を越えてしまい、見落としてはいけない“兆し”に気付けなかったのではと思ってなりません。

この大型連敗と6月24日の采配に因果関係があることは誰も証明できませんが、

小さな積み重ねから大きな仕事が作られていくように、大きな失敗は小さな油断や判断ミスがきっかけになる。『易経』に「言行は君子の枢機なり」とありますが、監督の言動ひとつでチームは良くも悪くもなります。発言と言動には、慎重を期さなければなりません。

と栗山さんが記しているように、大きな失敗に繋がる“枢機=兆し”であったように思います。

新庄監督の采配を批判することは簡単です。

僕自身が配信で言い続けているように、この失敗は様々な側面から見ても、悪手であったと思いますが、これを自分に置き換えてみるとどうでしょうか?
何か組織の“長(おさ)”に在られる方、でなくとも、自分自身を引きているのは自らの選択と判断です。自分の日々の行動を顧みても損はないと思います。

ましてや、プロ野球のチームを預かる監督が軽率な発言や言動、采配を行うことがいかに、大事を引き起こすかを、新庄監督が証明してくれた訳ですから、そこは擁護派であろうが、アンチであろうが、
同じくして受け取れる“栗山プロフェッサー”からの言葉なのではないでしょうか?

上記、今回紹介した内容はほんの一部です。
過去の偉人の言葉をWBCのシーンと照らし合わせた遣り口は、臨場感と共に、難しい言葉の数々を心にスッと入れてくれる風のような雰囲気すら感じました。

この記事の冒頭に問いました。
「自分は何者なのか?」と…

著書の冒頭 ~はじめに~ のなかで、

WBC優勝監督の名誉に浴しても私自身は何も変わっていません。
何かを成し遂げたわけでもない自分が、またしても本を書く。身の程知らずではないだろうか、と言う思いが全身を揺さぶります。

と・・・

きっと人は、いつだって何者にでもなく、学び生き続けていく生き物なのだろうと気づかされるものです。

僕はYoutuberでもインフルエンサーでも野球の有識者でもありません。
野球と言うスポーツから学びを得たいという、一人のファンであり、人間なのだと思います。

そんな学びのきっかけの一冊として参考になることを願って、終わりたいと思います。

栗山ノート2



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?