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せかいはやさしい

私は人と話すことが苦手だ。というか「にんげん」が苦手だ。こわい。
人当たりは良いらしい。なんとなく、へらへらしてる(ように見える)からか。
見知らぬひとにしあわせを祈られることも多かった(宗教関係)。
今度祈られそうになったら「私、しあわせに見えませんか?」と聞いてみようと思ったのに、声をかけられなくなった。つまらない。
ヘッドホンをしていても「外して」というアクションをされ、道をよく聞かれる。
だが東西南北の概念がないので場所がわかっても案内できない。
なので旅行者のフリをすることが多かった。申し訳なかった。

ひとりが好き。というのと関係あるのかもしれないが、話をすることが下手すぎて落ち込むことも多い。
人との関わりが少なかったからだろうか。どこかに問題があるのか。
絶対伝わってないし、向こうもなにを言われてるかわかんないだろな。。
わかってる、わかるように話せなくてごめんなさい。汗びっしょりになる。
友達は「つまりこういうことね」と言いたいことを汲んで理解してくれる人ばかりだ。ありがたい。
浮かんだ言葉を、片っ端から口にしないと消えちゃう!って焦るのは、なんでだろう。
よく20年近くも医療関係の仕事ができたなと思う。患者さんのお話をウンウン聞きながら、突拍子もないところで口を挟むのにもかかわらず「人当たりが良い」「いい人だ」と言っていただけた。特に年配の方に可愛がられた。ありがたかった。

人当たり、ふにゃった笑顔、それだけでなんとかかんとかやってこれたみたいだ。優しい世界で生きてきた。しあわせだ。

書くときも同じように、浮かんだことから書いてしまう。コピペってすごいな。読み返して「文脈おかしすぎる」って気づいて置き換えて書き直して、、という作業、これができてなかったら続けてなかった。(他のブログね)
何度も何度も書き直すので、なんというか一箇所に集中しすぎて起承転結まで頭が回らない。
そもそも話がうまく組み立てられない。でも書きたいんだ。頭の中には言葉が溢れてるのに、口にできない。音にならない。誰かに伝えられないもどかしさ。パンクしそうになるから、私は書く。自分のために。

今回、応募しよ!noteちゃんと書いてみよ!ってなってから、改めて真面目に考えたのだけど。
私にゃ面白い文章は書けやしないよ…それ以前の問題だよ…自己満足のしか無理だよ…読んでもらう価値ないよ…わりと落ち込んだ。
やがて落ち込み飽きたら諦めがついた。開き直った。岸田さんが目を通してくれるらしい、もうそれだけで良いや。

好きなように書いていく場所でいい。読まれることを意識せず、脳みそが爆発しないようガス抜きをする場所としよう。

キツイことばが苦手だから、自分が読んで「よし」と思えるものだけ残そう。そうしてできるだけ続けていこう。

母は昔から書くことが好きで、いろんなところに応募しては採用され、文章を載せてもらっていた。
そうか、おかーさんのマネしよ!
と思ってやってみたこともある。「書き方」の本も借りた。
でもやっぱり「ルール」みたいなのが気になって、それを気にしだした途端に「私のことば」が逃げていく。書けなくなる。

うん、やめた。楽しくないことは続かない。

とっちらかっててもよい、自己満足でもよい、私が気持ちよければそれで。殺伐とした世の中、私にもそんな場所がひとつふたつあって良いだろう。

余談だが私は部屋も片付けられない。
いろいろと、ちゃんとしたくてもできない。
ものごとの理解力が、たぶん低い。
突発的な何か、に対応できない。
「みんなに合わせる」のが苦手だ。

でも、日々そこそこ楽しくて幸せなんだ。ぼんやりふんわり、幸せなんだ。
そりゃぁ毎日いろいろあるし、こんな状況だし、ぐさぐさ傷ついてもいるけども。
相変わらずへらへら過ごせている。こころの勉強をしているうちに、そんな境地になった。
すっと楽に…はなれず、じたばたして身近な人を傷つけまくり、ようやくここまでこれた。

これでいいのだ。これでいいことにした。

「日々そこそこ楽しくて幸せ」。
それだけあれば、じゅうぶんだと思うんだ。

世界は優しい。
そう決めたらそうなった。

私はそんな世界で、これからも生きていく。

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再びここで書くきっかけをありがとうございます、岸田さん。
ラブレターにはならなかったけど、そして他の何かにキナリ杯を付け替えるかもだけど、いまお礼を言いたくてこれにキナリ杯付けることにします。(外します:5/14追記)
おもしろくなくてすみま…いや、読んでくださって

\ありがとうございます/

#日記 #ありがとうございます #続けていきたい #おめでたい