コンクリートラバーズ 1/4
混凝 士(こんぎょう あきら)。土木学科に所属する大学4年生。一人称 僕。
今久 里統(いまひさ さとる)。士と同じ研究室で同級生。一人称 俺。
教授。一人称 私。
僕がコンクリートに惹かれたポイントは作り手の知識と親切良心が必要であるというところだ。
、、、本音は、一度供試体を作製すれば1ヶ月ほどは休みをもらえるところである。
コンクリートというものは強度が発現するまでに養生を必要とする。しかし、この休みと呼ばれるものはあくまで実験用のコンクリートを作らない期間であって、勉強や次の実験計画は作らなければならない。
というのを知るのはまんまとコンクリート研究室に所属した後に知ったことである。
✴︎
午後から始まる実験に向けて今は配合表を人数分コピーしているところだ。
今日はやけに仮配属の時の教授の笑顔が脳内にチラつく。仮配属歓迎会の時まで、教授はまるで締固めを必要とすることのないコンクリートのように優しかった。
今、彼にその笑顔を求めるのは酷なことだろうか。研究室に所属してから彼の笑顔を見かけることはほとんど無かった。時に厳しく、時に厳しく、ただひたすら厳しかった。
しかし、僕が所属しているコンクリート研究室で教授が一番実験に意欲的なのである。コンクリートを打設する際には材料の計量を行うが、教授はいつも率先して計量している。僕と同級生の今久は微笑しながら、その流れるような手捌きを眺めて研究に勤しんでいた。
「おい今久、お前先生の計量代わってこいよ。」
「え?教授が『今日は私に計量をやらせてください!!』って言ってたぞ。もちろん嘘だ。」
「お前は悪いなー。」
「お前ら追加の配合を増やされたいの?」
「ひえっ、、、、。」
「先生ー!俺はアカハラの道具に研究を利用するのはいかがなものかと思います。」
「混凝、今久。お前らは明日からコアタイム9時17時な。拒否権はない。」
「「そんな〜。」」
こんなおかげ(?)で幾分かメンタルは鍛えられた。
昔のコンクリートっていうのは流動生が悪かったから竹で叩きながら打設していたらしい。だから、コンクリートを“打設”するという言葉が生まれたとも言われている。きっと教授は昔のコンクリートのような人なんだ。頑固で職人肌のような教授は今時珍しいのではなかろうか。
打設は無事に終了し、俺たちは先日実施した強度試験のデータをまとめていた。
今年ももうすぐ年明けを迎える。卒業を控える僕たち4年生は卒論を仕上げなければならない不安や来年度から始まる大学院での生活に対する大いなる希望で一杯だった。
✴︎
卒論は無事に終わった。この場合の無事というのは受理されてかつ発表も無難に終わったということだ。僕は実験することは好きだったがまとめることに関しては大の苦手だった。だから卒論もかなり手こずった。一方で、同じ大学院に進学する今久は普段は学校に滅多に来ないくせに、卒論はすぐに終わらせつつ最優秀発表賞なんて物まで貰っていた。
「混凝ー!!図書カードいいでしょ!何買おうかな?やっぱコンクリートの本かな?」
「僕、この『コンクリートに、こんにちはを』ていう本が欲しいかなー。」
「お前の意見は聞いてないから。やっぱ『目覚めよ。コンクリート。』かなー。それとも「セメントバード」かなー。どっちも買おうかな。」
僕はじゃー聞くなと心の中で思いつつ、今久の天然さに呆れていた。本当にこいつが最優秀発表賞なのかと疑いの目を向けていた。
春休みは来年度に向けた取り組みで忙しい。そもそも大学院生に春休みというものは存在しないのだが。
大学院に入学してから外部に発表する論文の要旨を作るので頭がいっぱいだ。悩めど悩めど担当教員のゴーサインは出ない。ここまでくると自らの能力不足に嫌気がしてくる。
恥を忍んで、今久に論文執筆について尋ねた。
「論文を書くコツを教えてよ。」
「コツ?やったことをまとめるだけじゃん。」
訳が分からない。どうやら僕は今まで勘違いしていたが、今久は相当頭の切れるやつだったらしい。しかも、決して面倒くさがらずに最後まで熱心に教えてくれた。
「ありがとう。どうにか提出できそうだよ。あ、春休み何するの?」
「黒部ダムを見にいくよ。お前も来いよ!楽しいぜ。」
「僕は忙しいからいいよ。それより要旨の提出は?」
「もう終わった。卒論出してすぐに先生が催促したから出してやったよ。先生めちゃくちゃ喜んでてさー。二人で思わず笑っちゃったよ。『コアタイムが増えたおかげだな』なんて言ってくるから、また口喧嘩しちゃってさ。大学院に入学したら毎週俺たちに講義するらしいぜ。本当あの教授はコンクリート好きだよなー。」
唖然としたが僕は決して尊敬したくなかった。何だよ。先生が出して欲しいから出すって。あれじゃ立派な技術者なんてなれっこない。
今久は凄いやつだけどそういう研究に対する意識が低いところが少し気になる。
、、、、あえて言うが、もちろん僕の論文の出来は今久より悪い。
三月末はまだまだ夕方になるのが早いらしい。
誰かが言っていたがコンクリートの無機質さは時として、自然の風景にその身を構え芸術の一種に比喩されることがあるらしい。コンクリートは自然界の石と何ら変わらない。ただ作り手の意のままに形状を変えられるという長所があるだけだ。しかし、コンクリートに限らず人工物が自然の風景に溶け込んでいることがエモいと言うのであれば僕はそれに賛成できる。
要旨は今までの試行錯誤がウソのように受理された。
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