共有地の悲劇1
「共有地の悲劇」としてアリエリーが紹介している例です。
中世のイングランドでは、教会の教区に共有地があり、教区民は決まった数の牛や羊をそこで放牧しても良いことになっていました。家畜の数を抑えておけば、ちょうどいい具合に新しい草が生えてきて、牧草の状態はずっと保たれます。農夫たちがみんな規則に従っている間は、なかなかうまいやり方でした。しかし、不幸なことに、一部の農民が自分の財産状態をよくしたいという利己的な欲望にかられて、その共有地で放牧できる数以上の家畜を放牧しました。家畜を増やした個々の農夫にとっては、この戦略が(少なくとも短期的には)うまくいきました。しかし、家畜の数が増えるたびに、一頭当たりの牧草の量が少なくなり、結局、貪欲な農夫たちも含めて、すべての農民が損をすることになりました。
今日では、心理学者、経済学者、環境保護論者が、同じ基本原理を表現するのに「共有地の悲劇」という言葉を使っています。
長期的な視点からどうすべきかは明らかであるにもかかわらず、少しだけならわからないだろうといった考え方をする人がでてくると、相互の信頼関係が崩壊し、共倒れになってしまうのです。
信用は、裏切られるリスクの上に立つガラスの塔のような脆いものということです。
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