酸っぱい葡萄1

 アメリカの大学対抗のバスケットボールのチケットは、販売の何日も前から並ぶ必要があるなど、入手することが容易でないそうです。しかも、何日も並んだにもかかわらず抽選で外れることもありますから、入手したい人はそのことも覚悟して並んでいるようです。


 そのチケットがどのくらい価値があると思うかということについて、入手できた人と、できなかった人に聞くと、かなり差があることが分かりました。


① 外れた人に質問しました。「チケットあるけど、いくらなら出してもいい?」
② 入手した人にも質問しました。「チケットが欲しいという人に、いくらなら譲る?」


 答えです。
 ①の人は、100ドル。最高いくら出せるか聞くと、175ドルと答えました。
 一方の②の人は、3000ドル。いくらまで下げられるか聞くと、2400ドルと答えました。


 チケットを入手するまでは、同じくらい価値があると思っていたはずなのに、それを入手できたか否かの違いによって、10倍以上の価値の差が生まれてしまったのです。


 それぞれの人たちに話を聞いてみると、①の落選した人の場合は、試合観戦に行く代わりの楽しみのために必要となるコストを想定し、②の入手した人は、このチケットによって、その人の人生にとってどれだけ素晴らしい体験ができるかということを考えて値段を付けたようです。


 結局は、「酸っぱい葡萄」と同じような心の仕組みが関係しているのでしょう。認知的不協和というやつです。


 加えて、ヒトは、自分が持っているものを失うことに、強い不安を感じ、失いたくないという気持ちが高まるようです。チケットと引き換えに3000ドルもらえるとしても、チケットを譲ることによって素晴らしい体験をする機会を失うことになりますから、これを失うことに強い葛藤を感じるのです。


 「酸っぱい葡萄」のキツネは、葡萄を手に入れていませんが、もし葡萄を手に入れてしまうと、それが「甘い葡萄」になり、それを何かと交換してほしいと言われると、「とても甘い葡萄」になったことでしょう。

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