市場規範と社会規範

 規範意識という言葉は順法精神に近いものと思っていましたので、社会規範というと、法律的な枠組みのようなものを想像しましたが、大辞林第三版によると、「社会規範:人と人との関係にかかわる行為を規律する規範。習俗や法など。」と書いてあるので、もう少し広い概念のようです。
 アリエリーの本の中では、社会規範と市場規範という対立で書かれています。


 妻の実家で開かれた感謝祭のパーティーに参加した夫が、とても満足し、義母に敬意を払いながらこう言いました。「お義母さん、この日のためにあなたが注いできたくださった愛情にいくらお支払いすればよいでしょうか。」
 夫に悪意がないのは、その真摯な態度からも明らかでしたが、その言葉によって場が一瞬にして凍り付き、パーティーを台無しにしたことは言うまでもありません。
 最近であれば、「空気が読めない」事例として取り上げられそうなエピソードですが、ここでは、何事もシビアに金銭に換算して考える(市場規範)ことを生業としている夫が、仕事に毒される余りに、相互の助け合いといったお金には換えることができない価値(社会規範)にもとづいてもてなす義母らに対して感謝の気持ちを表現するために、不用意に仕事の時の考え方を当てはめて失敗したものとして描かれています。

 この本以外でも紹介されていると思われる事例です。読んだとき、どこかで聞いたことがあると私自身が思ったので、同じような思いをする方がいても不思議はありません。
 事例は、託児所に子どもを預けている母親の遅刻に関するものです。調査場所はイスラエルです。
 子どもの迎えに遅刻する母親に対する罰金は有効かどうかを調査したところ、罰金を科することによって、遅刻が増えました。
 社会規範という原理の下では、遅刻をすると後ろめたい気持ちになるので、そうならないように努力をしていた人たちが、罰金という市場原理を導入されたことによって、遅刻してもお金さえ払えば後ろめたい気持ちにならなくて済むのならば、もっと優先したいことがあるということなのでしょう。
 話はこれだけで終わりません。罰金制度が逆効果になることが分かった託児所は、数週間後に罰金制度を取りやめました。しかし、母親たちの行動は変わらなかったばかりか、むしろ若干遅刻がさらに増えたのです。
 社会規範と思っていたものが市場規範だったと一度認識したら、容易には元に戻らないというのが結論です。
 もしかすると、この調査(実験)の際に、託児所が困っている現状についての説明をその都度丁寧に行うといった条件を付け加えるなどすることによって、異なる結果が出たかもしれません。また、市場規範が働きにくい国や地域であれば、そもそも罰金の影響がなかったかもしれません。この事例については、微妙な問題を含んでいるように思います。もしかすると、この研究に関連した調査、実験がほかにも条件を変えて行われて、その結果が発表されているかもしれません。

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